ピロートーク

やがて性愛

さわっちゃいけない

職場の近くに、某大学の附属男子校があるため帰る際に電車で時々居合わせてしまう。よく見る3人組がいる。多分中学の1~2年生ぐらい。詰襟に坊主頭、エナメルバッグを肩に掛けて仲良さげにスマホゲームに興じたり、じゃれ合っている。

 

中学や高校を卒業して何年も経ったというのにこうやって男子を間近に見る日が来るなんてなあ、と思う。当時よりずっと近くに、冷静な目で見る事が出来ている。当時は自分や自分の友だちのことでいっぱいいっぱいで、素直な目で男子を見るなんてできなかった。

 

ただ、その3人組の一人にわたしは問題意識を感じる。

何が問題って、もう本当に末恐ろしいほど美少年なのだ。

長いまつ毛にパッチリとした瞳、筋の通った鼻、輪郭はおだやかな卵形。色白ですらっとした体格をしている。初めて見た時に、本当に驚いた。

 

 

 

性犯罪の加害者には「あっちから誘ってきたんだ」と言う人もいるらしい。

もしかしたら本当にあっちから誘ってきて美人局状態になっているのかもしれないけれど、ほとんどは戯言だろう。被害者は、誘いなんかしない。お前が勝手に何かを受信した気でいるだけだ。

 

Twitterとかで絵の上手な皆さんが

「電車で見た可愛いJK」や「BLっぽい雰囲気のイケメンサラリーマンのやりとり」をイラストや漫画に仕立て上げているのを度々見かける。中には和むものもあるけれど、わたしはあれらに抵抗がある。

行きずりの他人に自分の性欲(あるいはそれに似た感覚)を向けたり、自分にとって都合の良いストーリーを当てはめて萌えるやりとりにオナニー臭さを感じる。レイプみがある。

だからわたしはそういった言動から自分を遠ざけてきた。自分はやりたくないしやらない、というスタンスを守ろうとしてきた。

 

わたし、年下好みじゃないしBLも興味無いけれど、この子達、もしかしたらそういった一部の趣味人から見たら格好の餌食になってるんではないだろうか。本当に心配している。じゃれ合っている姿を、誰かに「今日電車で見たカワイイ中学生たち」みたいにTwitterで晒されていたらと思うと気が気ではない。自分の性欲を、一般化させて都合良く描いて見せつけるのは、相手の性を侵しているのと同じことだと思う。良くない。それはとても嫌だ。

前述したようにわたしは見ず知らずの他人に対して性欲は湧かないし「湧いてはいけないもの(仮に湧いたとしても言葉にしてはならない)」だと思っているので、彼ら3人には素直に平等に彼らの将来に対して最大限の幸福と希望を祈っている。

でも、きっと性欲に繋げる人も中にはいて、それが高じると「あっちから誘ってきたんだ」と言うのだろうと思うと、胸が痛い。レイプまではいかなくても、レイプみがある。

 

少年少女たちよ、君たちは確かに綺麗だ。でも綺麗だから好き、だなんてわたしは言ってやらない。汚くったって駄目だって構わないし、どんな君たちでも未来と安全を保障してあげられるような大人になれるよう、わたしも頑張るから、だから、ためらわずに大人になってほしい。

 

<変声期の男の子の声とげとげの芽を吹くようなりさわっちゃいけない>鈴木英子

もう一つの人生なんてどこにもない

朝や夕方の情報番組を見るのが結構好きだ。
司会者や常任コメンテーターの批評や切り口や安定の流れなんかも見ていて面白いけれど、一番好きなのは各ニュースごとに呼ばれる「その道の専門家」たちの意見や振る舞い方。

「日中間の政治情勢に詳しい○○大学△△学部のA教授」
「子供の成長における家庭内の影響を研究されている□□クリニックのB医師」
「桜の開花状況専門家の◇◇学会のC先生」

まあ政治経済や教育、環境問題について詳しい人を探すのはまだわかるけれど
時々 おいおい その専門家どこから見つけてきた??? みたいな人がいるのが面白くて特に好きだし、正直わたしもそういう人になりたい。

 

河童と人間の生命比較倫理学、とか(?)
猫ちゃんのおみみ甘噛み研究家、とか(?)
秋葉原アイドルと秋葉原カレー店愛好会、とか(?)
そんな感じのひとかどの人物。


ただ、こういった方々がどういうときにテレビ番組にコメントを求められるのかは今のところ検討がつかない。
たぶん河童の社会進出の際に河童が「河童だから」という理由で不当な差別を受けて裁判を起こした際や、猫のおみみにがん細胞を殺す成分が見つかった際、アキバ系アイドルが秋葉原のカレー屋で謎の死を遂げた際なんかには、うってつけかもしれないが、そんな事件が起きるとはなかなか考えにくい。

ぼーっとテレビ見てるときに「河童と人間の生命比較倫理学を研究していらっしゃる○○大学のA先生にご意見を…」なんて司会者が言い出したらわたしは絶対に三度見はするだろう。タイミングや分野によっては牛乳ぐらい吹き出すかもしれない。

あまりの○○に何かを吹き出す、というのは面白さや驚きの強さの比喩にはなれど指標にはなり得ぬと思う。でもそのときばかりはわたしは吹き出すだろう。ただわたしは吹き出す側よりも吹き出される側、コメンテーター・専門家側としてその場に座したい。
わたしは葛藤する。ひとかどの人物になりたいのは、自分の自信のなさからくる願望であって知的探求心では無いんじゃないだろうか。認められたい誉められたいからわざとニッチな分野のスペシャリストになりたい、と言い換えているだけなんじゃないだろうか。そんなの本当の「専門家」じゃなくって、ただの元気なミーハーさんなのでは無いだろうか。
わたしは葛藤する。どうせ、何にもなれやしないんだから何か一つぐらい頑張ってみよう。ひとかどの人物になれるように。今からでも何かに近づくことは出来るっていうことをわたしが信じたい。

 

<もう一つの人生なんてどこにもないあかね雲からほとばしる蜜>加藤治郎

「サヨナラスルタメニデアツタワケヂヤナイ」

また思い出話をしようと思う。数年前、上野駅で小さな花束を買った。
  ・なぜ買ったのか:知り合いの演劇を見に行く手土産として
  ・どんな花だったか:忘れた。上野駅構内のアオヤマフラワーマーケットのミニブーケ。確か黄色ベース。
店員さんにラッピングを依頼すると、「ただ今先のお客様のラッピング中ですので店内をご覧になってお待ちください」と言われた。店員さんは真っ赤な一輪のバラに華奢な包装を施していた。
「あ、はい」と返事をしてわたしは真っ赤な一輪のバラの購入者を探した。店内にはわたしの他一人しかいなかったからすぐに分かった。


メッセージカードを書くミニテーブルの前で高校生男子が固まっていた。

 

それはそれはもう、イケてない男子だった。
男子校でコンピュータークラブ、とか無線研究会みたいなのに所属していそうな、眼鏡でひょろりとしていて制服の着こなしがもっさりしている男子。おおおっお前!!!その花は誰にやるんか!!!ええな!!!と心がはずんだ。
メッセージカードをちらりと見た。(前回も思ったけれどわたし本当に最低!!!手癖っていうか目が悪い目が!やめろ!!!!自分がされて嫌なことを人にするんじゃない!!!)

男子らしい字(ほめてる)で、メッセージカードは書きかけだった。

 

お誕生日おめでとう!
これからも

 

その男子は固まっていた。「これからも」の先の言葉を探していた。
わたしは思わず目をそらした。「これからも」何なんだろう。自分なら何て書いただろう。何て書けば良いのだろう。
構文としては「ずっと一緒にいようね」がベーシックだと思う。でも、男子は言葉が胸につかえて出ず、書くべき正しい言葉を探しているようだった。
「ずっと一緒にいよう」という言葉は、たやすくて使い勝手の良い言葉がいいし汎用性が高い。わたしも言ったし言われてきた。そして約束をやぶり破られてきた。恋を終えて言葉が嘘になるたびに未練がましさから「ずっと一緒って言ってたくせに」とわたしはひねた。

言っちゃ悪いけれど
高校時代の恋愛はたいてい長く続かない。長持ちしたところで高校時代の3年間。それ未満で終わるのがほとんど。ずっと一緒にいられるカップルなんて一握りで、わたしも頑張ったけれど2年半で終わっちゃった。もう大人になっちゃったわたしがうら若いカップルに向けて言うのは凄くイジワルだけれど、いつか彼らの恋が終わるときあの一輪のバラはどのような思い出になるのだろう。


自分の叶わなかった夢を他人に託すのは、ずるい。でも、あの男子にはもう二度と会うことはないだろうから、勝手に託す。わたしの過去の分の恋を、君が成就させてくれ。頼む。末永く幸せに暮らし続けてくれ。ハッピーエンドを見せてくれ。

 

追伸
この前、ふとした拍子で高校時代に付き合っていた人と会うことになったので、わたしは親友に打ち明けた。
「○日、高校時代の彼氏に会うことになったんだよね、何着て行こう」と相談すると彼女は「普段通りの恰好でいいじゃない」とのこと。
「駄目なんだよ!!!逃がした魚は大きかったって思われないと!!!あの頃とは違う大人の余裕がある素敵なあつこを演出したいんだよ!!!!」と上島珈琲で力説。
「じゃあ裸でいいんじゃん?ヤっちゃえよ」とのこと。案外それもいいかもしれない、と思ったが、当日は、もちろん服を着ていたし手も触れ合わずに別れた。当たり前田のクラッカー。ちゃんちゃん。

 

<「サヨナラスルタメニデアツタワケヂヤナイ」パソコン通信に花片のふる>橘夏生

月面に脚が降り立つそのときも

数年前、今晩はスーパームーンという予報が出た日の朝、電車に揺られていると隣に立っているおじさんが携帯に対して真摯に向き合っていることに気が付いた。ついでに、電車が揺れたはずみでメールを打っていた画面が目に入った。「今晩はスーパームーンだって!」という一行目。なかなか詩的である。

 

おおっ、と思い体勢を整えた後も画面を覗き込む。

(卑劣!自分がされるのだったら絶対に怒るくせに!)

 

 

「今晩はスーパームーンだって

仕事を早めに切り上げて、満月の下二人でお風呂に入っていちゃいちゃしちゃおっか」

 

 

ハートやウサギちゃんや月の絵文字を使って彩られたメールをおじさんは推敲していた。推敲の果てに、対象の相手(おそらく女性)に送られた。

メールはものの数秒で相手へ届くらしい。おじさんは送信ボタンを押した後、携帯電話をスーツのポケットにしまった。きっとこの数秒でメールは彼女に届いていた。

 

キモい、とかいやらしい、とかよりも

わたしの父親より年上っぽいおじさんも、恋人相手にはニャンニャンなメールを送るんだなあと新鮮に感じた。そりゃあ、そうか。恋だもんな。

その日の夜はなんだか集中できなかった。今頃おじさん達は逢瀬を楽しんでいるのだろう月を見上げているのだろう二人は幸せだろうか、、とスーパームーンよりもそちらが気になって仕方がなかった。二人の幸せを切に願った。

 

恋人にだけ見せる表情はもちろん、二人だけに通じる言語ってあるよなあって思う。わたしも恋をするたびにそういう言葉や表情を作り、恋が終わるたびにフォルダごと削除してきた。

今年の頭に、不倫騒動でLINEが流出し「センテンススプリング」や「卒論」を見たときに、ああ、って感じた。二人だけの言葉が晒されていく。晒された後はその言葉は使われるのだろうか。使いにくくないかしら、むしろ積極的に使うのかしら。ていうかLINEって流出するんだなあ。

 

 

だから、「LINEって流出するんだねえ」とわたしは言った。

「パスワードとかそういう問題なのかも」と相手は言う。

「LINEが流出しちゃったら、わたし達が湯たんぽのこと湯たぽんって呼んでることもばれちゃうのかしら」

「ばれちゃうね、でも流行語大賞狙えるかも」

「大賞に選ばれたら授賞式何着ていけばいいんだろう」

「湯たぽんらしくオレンジ色がいいよ、きっと似合うよ」

「似合うかしら」

「保証する、絶対かわいい」

 

 

流行語大賞を貰うのは難しそうだけれどそう言ってもらえるならオレンジ色の下着でも買おうかな、と思った。素敵な下着を好きな人に自慢するぐらい許されるはずだしそれなら大賞をもらえるかもしれない。

2016年のスーパームーンは11月にあるらしい。あのおじさんは、また彼女と一緒に月を見て愛を深めるのだろうか。わたしは、彼は、スーパームーンを誰と見るのだろうか。答えは11月にとっておくことにする。

 

<月面に脚が降り立つそのときもわれらは愛し愛されたきを>村木道彦

いさめますか道ときますかさとしますか

駅前のマツキヨが閉店し予想以上の打撃を我々はくらった。母は「猫缶をこれからどこで買えばいいのか」と友人らは「ヘアースプレーが」「化粧品の試供品が」「日焼け止めクリームが」とそれぞれの生活必需品を買う場所を失ったようでおろおろしていた。

マツキヨが無くなったなら他のお店も近所にあるんだしそちらに行けばいいだけなんだけれど、どうしてもマツキヨがあったこれまでの生活と比較してしまう。市民の心に根付いたマツキヨ愛の精神は思いのほか深かった。

 

しばらくして工事が始まり、中身は一時がらんどうとなる。つい最近、そこはセブンイレブンとして生まれ変わった。オープン当日店前には不釣り合いな程大きな花輪が飾られてあった。

 

○○工務店、○○屋、株式会社○○代表○○、など見覚えのある店名の名前を冠した大きな花輪には、バラやひまわり、ガーベラといったメジャーな花から見たこともないような花まで飾られていた。 

その中から一本、抜きとる。

抜き取った赤いバラは、棘がきれいに処理されていてすべすべした。

匂いもよかった。茎の部分が思っていたよりもずっと長くてひょろりとしている。

花は10センチも無いが全長では50センチ以上はあった。

 

 

 

手に握り持って帰り、茎の余分な部分を斜めに切り、小さめの花瓶に水を入れて飾った。

 

「あら綺麗!どうしたの?」と母に聞かれたから「セブンの前からぱくってきた」と答えると、こってりしぼられた。当たり前だ。これは花泥棒。窃盗罪かなんかで訴えられても何も文句は言えない。

「防犯カメラもあるんだし危なっかしいことはやめなさい」と言われた。

なるほど防犯カメラね。そう思ったので次の日の帰り道は、黄色いひまわりを持ちながらどこにあるか分からないカメラに自慢するように堂々と花を掲げて歩いた。またしぼられた。「お巡りさん来てもお母さん知らないからね」と言われた。もう大人なのに、そんな叱られ方?

花瓶に花は2輪となり、部屋が明るくなった。

 

明日はブルーのを持って来よう、と思っていたらその日から花輪の飾りは撤去されていた。まさかわたしのせいじゃあるまい。

家へ帰って「花、撤去されてたから今日はおみやげ無い」と言うと「あんたを警戒しているのよきっと」と笑われた。そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。ものを盗むことはいけない。花を持ってきたのは犯罪だ。もしそこに関して何か言われたらわたしはきっと何も言い返せないし罪を償っていかなければならない。

ただ、内田百閒の「素人掏摸」って短編があってだね、なにわたしは川上弘美の「センセイの鞄」で知ったクチなんだけれども。後付けの理屈なんだけれどどうもあの花輪は慇懃無礼だった。だから自分の圧倒的悪さを盾に盗った。でも何も変わらない。せめて“明日”にも飾られたままだったらまたかすめて、部屋を一層明るくすることが出来たのにとは思う。それだけです。
sumima-sen,mou-shima-sen.soredake-desu.

 

<いさめますか道ときますかさとしますか宿世のよそと血を召しませな>与謝野晶子

 

春画など集めたるなど

舛添知事の政治資金の問題で非難轟轟らしい。ニュースを見る限りは。へえ~~としか思わずに済んでいるのは多分わたしが都民じゃないから。都民だったら「わたしが払った税金をそんな風に使うなんて!!!」と憤怒ぐらいしてたかもしれない。

 

まあ当たり前に良くないからそこのことはどうでもいいんだけれど

 

一番胸を痛めたのは政治資金で「クレヨンしんちゃん」を買っていたのが判明し「違法性は無いけれど不適切」とか言われてたというところ。

ネットニュースでこの話が、小気味のいい見出しと共に語られていてふと自分が小学生の頃を思い出した。確か小学校4年生の頃だった。読書が好きで、図書室で本をよく借りていた当時のわたしはその日も本を借りた。タイトルは今でも覚えている。「こころのひみつ」。
童話や絵本ではなくて、ジュニア新書みたいな本で、同シリーズに「からだのひみつ」というタイトルのものがあった。わたしは「こころ」の方を借りた。物語系の本が好きだったわたしが何故そんなものをいきなり借りたのかというと「こころ」のことを知りたかった。心理学的な本だと思っていた。
でも中身は違った。


“人間は、思春期に入ると第二次成長期を迎えます。そうすると異性に興味を持つようになってきます。男性はマスターベーションを行うようになります。女性もこれまでとは違い心も体も変化するようになっていきます。”


そんな感じの内容が書いてあった。アダルトビデオか本を自販機の前で人目を気にしながら買おうとする中学生くらいの男子の挿絵があった。
心理学系の本かと思って借りたわたしは、どうしようエッチな本借りてきちゃった、と焦った。借りてしまった手前、所持しているが持っていることが見つかるのも恥ずかしい返しに行くのも恥ずかしいしょうがないから自分の部屋のすみっこに隠す。見つかったら恥ずかしい本を読むことも持つことも、初めてだったのでとても慌てた。返すタイミングを見計らっているうちに何週間も借りてしまい、まるで熟読した人のようでより恥ずかしかった。
「こころのひみつ」はもちろんエロ本では無い。でも子どものあつこには発禁処分レベルだったのだ。ああ「こころのひみつ」ごめんなさい。あなたは本当は悪くない。性教育から逃げてはいけない。
舛添さん、やっぱり税金で余計なものと思われるような買い物しちゃだめだよ。でも、でもさあ、どんな事情であれ自分の読んでいるものばれるのってなんか恥ずかしいよね。だってそれを選んだという神経と、その本の内容が頭の中に入っているんだという推測。これってしょうがないけれど耐えられない。税金は適切につかいましょう。本を読むときはカバーをつけましょう。他人が何を読んでいるかに気にかけ過ぎず適切な距離を保ちましょう。ではまた。

<春画など集めたるなど聖人になれざる賢治わが愛読書>福島久男

目をつむっても菜の花の彼

「シュークリームは足がはやいから」 「だから」 「早く食べよう」

3センテンスに分けて言うほどのことかしら、とも思ったけれど「足の速いシュークリーム」って、どうしても運動会で真っ先にテープを切る、かけっこ上手なシュークリームをイメージしてしまいなんだかおかしい。わたし一人だったら笑い転げるんだけれど、まあ駅なので我慢した。

なぜシュークリームをもらっているのかというと、これは単なる好意からに違いない。 待ち合わせに早めに来たこの人が、「あつこが喜ぶだろうな」とお菓子屋でテイクアウトしたのだろう。こういう自分勝手な優しさや好意は、なんとなく父性を感じて個人的には大変好ましい。 ただ、申し訳ないことにわたしはシュークリームがあまり好きじゃない。

なんかさ、最近シュークリーム・エクレア・ロールケーキ的なカスタードクリーム感のあるまったりしたお菓子って食べると気持ち悪くなっちゃうんだよね。昔は大好きだったんだけれど。やっぱり年齢のせい?なんて。

 

 

ていうかさ、わたし達これからケーキ食べに行こうって話してたよね?

「おいしい紅茶とケーキのお店があるらしいよ」って誘ったのあなたよね?

“おいしい紅茶のお店”と言われたらコーヒー派なわたしも、じゃあ行ってみようかなという気になるのが乙女心というもので。外国人はデートに誘う時、「デートしましょう!」じゃなくって「美味しいアイスクリーム屋さんに一緒に行かない?」と言うらしいです。確かにそれなら着いていきたくなるよね。男子諸君そして女子諸君、よく覚えておくように。殊にわたしをデートに誘う予定があるなら。そしてわたしは実際においしい紅茶が気になって待ち合わせていたつもりだった。まんまとね。

ケーキ前にシュークリーム…と思ったけれど、やっぱりその「何も考えてなさ」と「考えた結果のコレ」感にくらっと来てしまう。なんとか食べ終えた後は、「おいしい紅茶とケーキのお店」に行くべく地図アプリを駆使して向かった。結局迷いまくりで、彼の地図の読めなさにわたしは

「地図が読めないことを責めやしない。ただ一言だけ言わせて。このスットコドッコイ!!!!」と声を荒げた。笑った。やっと見つけたお店ではオレンジのケーキとミルクティを飲んだ。

 

「シュークリームは足がはやい、って言ったけどさ」

「うん」

相手はカシスのケーキをフォークで刺しながら返事をした

「クッキーとかパウンドケーキなんかは足が遅いってわけ?」

「そりゃあ50メートル走14秒ぐらいの鈍足」

「ダサいね」

「ダサいさ」

最初から伝わっていたことが分かってそれが嬉しくって、目を合わせて笑いあった。さっきスットコドッコイって言ってごめん。でもわたしスットコドッコイって言葉現実で使ったのあれが初めてだったよ。紅茶、おいしかった。あとわたしシュークリーム実は駄目なんだ。だからごめんね。でも、ありがとう。嬉しかった。

 

<ひかりより明るいものを見つけた日 目をつむっても菜の花の彼>中家菜津子