ピロートーク

やがて性愛

これ以上大きくならぬ猫をいだき

飼いネコは年をとると、人の言葉を理解し尻尾が二つに分かれ手拭いをかぶり人の目を盗みながら踊る「猫又」になるらしい。

うちのニャンも夏には10歳になるので、

※(彼は7月生まれのかに座のはずだ)

※(なぜ“はず”なのかというと、彼は10年前の7月の終わりにわたしと兄が拾って来た際に、ようやく目があいて歩ける程度の子猫にゃんだったからだ)

※(捨て猫なので、彼の家族のことはもちろん、彼の誕生日もハッキリしていない。でもそれではあまりにも不憫なので誕生日を『海の日』と設定させてもらった)

※(海の日は7月の第三日曜日と決まっているので、20日の時もあれば21や19日の時もある。これもこれで不憫ではあるが、捨て猫出身の運命の一つとして納得してもらい、誕生日は決まった。)

※(ああ、捨て猫の不憫さや。)

 

うちのニャンも夏には10歳になるので、そろそろ覚悟をしなければならない。覚悟?覚悟とは、わたしを含む家族の目を盗んでこっそりと「化け猫」と呼ばれるニャンになろうとするのを、見て見ぬふりをしながら受け入れる覚悟のことを言う。

かわいいかわいいニャンが、いわゆる「化け猫」と呼ばれる人から恐れられるものになるのは、正直つらいものがある。

 

 

現在進行形で、ニャンはソファの上で丸まって寝ている。ニャンは、多分おおらかで少しどんくさいが優しい性格をしていると思う。そこがかわいいと思うのだけれど、だからこそ時折とても心配になる。

「ニャンは、ちゃんと踊れるようになるだろうか?」

「わたしや家族の目を盗んで、踊るなんて器用なことがこの子にできるだろうか?」

「この子、尻尾もすごく短いし、ちゃんと尻尾は二つに分かれるだろうか?」

 

人間の幼稚園の世界でさえ、かけっこが遅かったり体が小さい子は不当ないじめやからかいの対象になることがあるんだ。化け猫界にそんないじめが無いとは言い切れない。

 

「近所に、舞踊の教室とか無いかな。ニャンに踊りの稽古をつけさせた方が良いんじゃないかなって思うんだけれど」と母に相談すると「まだ大丈夫よ、覚えなければならなくなったら、この子だってちゃんと踊れるようになるわよ」と言ってもらえた。

子供を二人育てあげた母の言うことだから信頼したいとは思うが、幼稚園生の頃泳げなかったわたしは母から「小学校にあがったときに苦労するかも」とスイミングクラブに通わされた過去がある。結局顔に水をつけることができず、クラブは一日でやめたけれど。やっぱり「そういうこと」なのだ。母はそう言うが、家族の中でわたし一人ぐらいは、ニャンの将来や進路を過干渉気味に心配する者が居ても良いと思う。

 

<これ以上大きくならぬ猫をいだき梅雨時の青い雨をみてゐる>小田辺雅子

君は最後の抱擁をする

たまねぎとかミョウガとかああいう薄皮が重なってできている野菜。どちらもそんなに好きじゃないんだけれ剥いてむいてムイテいくと細くて小さな芯みたいなのがあるじゃない。あんな気持ち。
わたしは抱きしめられていた。

効果音でいうなら“ひゅるひゅる”
色でいうなら溶け出しの蜂蜜色
季節でいうなら秋の早朝の静けさ
刈られた田畑から鷺が飛びたつさまを、
高くて青い秋の空に白い雲が浮かんでいるさまを、
抱かれた肩越しに見た気がした。

これは、心象風景。只のイマジネーション。
頭の中でもう二度呟くと、場所は品川区に戻っていた。
秋でも朝でも鳥の姿も無い。目黒川が見える道の出来事。

 
たまねぎの芯の話を、このタイミングで自分からする度胸も無いが相手が何を考えているか分からない。分かったふりをするのはなお嫌。べらべらと話すのもきっと野暮。だから黙って抱かれていた。
そのうち頭の中の鷺が皆飛びたってしまい、暇になったので質問をすることにした。

「わたしのことが好きなの?」
そう聞くと、うん、と答えた。
お医者さまでも草津の湯でもア ドッコイショ 惚れた病は治りゃせぬよチョイナチョイナ。
脳内で草津節を歌い、わたしは感傷的な気持を殺した。センチメンタルは大概クソで、わたしはいつかロックバンドを組むなら「死ねセンチメンタルズ」にすると前々から決めている。


「わたしのことがとても大切?」
そう聞くと、うん、と答えた。
うん、以外に何か言えないのかしら。わたしが「もう会うのは止めよう」とか「貴様はここで死ぬ運命だ」とか言っても、うんって答えるんじゃないかしら。

「死ねセンチメンタルズ」のデビューシングルは多分「死ねセンチメンタル」だろう。ツアー名は「感傷殺戮ツアー’2016」とかで、ライブ中のメンバー紹介では「黙れ糞ポエム!ボーカルの田中です」「おまえの涙は金にならん、ギターの吉岡です」みたいになっちゃうんだろう。夢は膨らむ。こんなことならギターもベースも処分しなきゃよかったなあどっちも大してうまく無かったけれど。でもわたし率いるバンドなんだし、その時は楽器の練習は死ぬ気でやろうと思う。

他人が来たけれど、抱き合っているようなわたし達を見て、Uターンしていった。実際は一方的に抱かれているだけなのだが他人からはラブシーンに見えるのだろう。直立不動のわたしは、彼の肩越しから何もかもを見た。この人はどんな表情をしているのだろうかわたしが今目を見開いているなんて思っていないんだろう。目を開く。視界に映る全てを吸収することで感傷を捨てようとする。野菜の中の小さな芯に自分を重ねる、イメージを続けた。


<きつくきつく我の鋳型をとるように君は最後の抱擁をする>俵万智

 

青年の詩今日も溢れ出づ

高校生の時、宮崎あおいがブルーハーツの歌をアカペラで歌っているCMが流行った。earth music&ecologyのナチュラルな雰囲気とその歌い方は妙にマッチングし、ネットでそのCMの宮崎あおいが可愛いって話題になっていると書いてあった。でも、実はブルーハーツファンのわたしは、CMや宮崎あおいに対して何かがちろちろと引っ掛かった。

 

たしか17歳の時、授業の一環で高校の近くの市民会館へ皆でお芝居を見に行った。現代の若者がなぜか太平洋戦争中にタイムスリップして特攻隊に入れられるという話だった。若者たちは最初は現代的な感覚で「特攻隊とかマジねーよ!」みたいなことを言っているがその時代で過ごしていくうちに、洗脳(?)されていく…といった話。あんまり面白くないなあ、と見ていると飛行機の訓練の場面のBGMがブルーハーツの「旅人」だった。なんで「旅人」???

「プルトニウム」という言葉のイメージから→原発→原子力→原爆→戦争という連想ゲームやってるんじゃないでしょうねえまさか。と訝しい気持ちになった。

若者たちはとうとう「お国のために!」と万歳三唱をしながら特攻機に乗り散って行った。そうしてエンディング。静かな舞台に流れるBGMは、なぜかブルーハーツの「青空」だった。なんで「青空」???

いやあこれは違うだろう、と首を大きくひねる。なんかもう言いがかりでしょ、ていうかブルーハーツをBGMにしておけばなんか上手くまとまると思ってない?だとしたらちょっと思慮が浅いんじゃないの???

愚痴りたかったけれど、隣の席の友だちはブルーハーツファンでは無かったので黙っていた。

 

今更わたしが言うことではないけれど、ブルーハーツは凄い。偉大だ。でも、なんかさあ、やかましいこと言っているってことは自分でもよ~~く分かっているんだけれど、大好きなバンドの曲を、そうやって大雑把に使われるとファンとしてはあまり良い気持ちしない、ってあるよね?そりゃあ宮崎あおいは可愛いけれど、なんか、ちろちろと引っ掛かるって気持ち。通じない?

上記のこと1,000文字弱の内容を考えていて気付いた。

 

 

「ブルーハーツ本人達は、きっとそんなこと言わないし思わない」

 そうだ、きっとそうなのだ。

ファン、という言葉はfanatic(狂信者)という言葉を略したものらしい。わたしは狂信者ではないはずだけれど、他人の姿に自分の願望や理想や考えを重ねて勝手に胸を痛めたり怒ったりするなんて、そんなのは傲慢としか言いようがありません。ああ、ドブネズミみたいに、美しくなりたい、ときってある、よね?

 

<鳳仙花の種爆ぜゆくを見つめつつも青年の詩今日も溢れ出づ>福島久男

主義なんてないから船に乗るんだよ

自己というものがぺらっぺらなので、自分ルールを持っている人に弱い。

「俺、財布はポーターって決めてるんだよね。今の壊れたらまた同じのを一生買い続けるつもり」と言われたから、なんで?と聞くと「ポーターの財布は皮がやわらかいから後ポケットに入れてもなじむんだよ」ですって。きゅん。

また別の日は「靴下と下着は全部ユニクロ。家用のパンツは全部グレーでシャツは全部白。外用はどっちも全部黒。」と言われたから、なんで?と聞くと「なんかそう決めてるんだよね」ですって。きゅんきゅん。

あるときは「ついでにメガネはJINS、リップクリームはキュレル、シャンプーはスーパーマイルド、タバコはもうやめたけれど昔はマルボロだった」なんで?と聞くと「なんかしっくり来たんだよね」ですって。きゅんきゅんきゅん。

 この手の発言を聞く度に目がハートになっちゃう(古典的な表現!)

 

もし彼のどこが好きなの?と聞かれたら、わたしはきっと「彼、家では絶対パンツがグレーなんだって。そういうところ」と答えるだろう。そたらきっとあなたは「はあ???」と言う。気持ちはよくわかる。自分でもそれはなんか変だということが分かる 。

 

自分ルールは、自己で完結しているものが特に良く、他人に強制したり見限るための手段にするようなものはだめだ。こだわりが自己完結しない人はきらいだ。

「この前お寿司食べに行ったんですよ」とか言ったときに「どこの寿司屋?俺寿司は絶対に銀座の〇〇って決めてるんだよね、〇〇じゃ無いの??もったいない!!!」とか返されたら本当にむかつく。うるせえわたしがどこで寿司食べようがてめえの知ったこっちゃねえだろ。これだからグルメは嫌いだ。どこどこのあれを食べちゃったらもう他のは食べられないよね!とかすぐ言うし。いらいら。

 

そんなわけで自己がぺらっぺらなわたしは、定位置のようなものをあまり無く、様々なものに流動性がある。

わたしも何か自分ルールを持とうと、ずっと前に「これから何か悲しいことがあったらてんとう虫コミックスのドラえもんを買おう」と決めてみたんだけれど、何冊か増えたところで「この巻はAと喧嘩したときに、この巻はBにふられたとき、この巻はCにああ言われた日……」とコミックスを見る度に悲しくなったのでやめた。もう少しでドラえもんを嫌いになるところだったから本当によかった。それからは気が向いた時に買うことにして、ドラえもんとは良好な関係を築けている。

ここ一年ぐらい、また自分ルールを作ってみた。

「傷ついたときにはアップルパイを食べる」

アップルパイは前から好きだったけれど、なぜここでアップルパイを選んだのかは自分でもよく分かっていない。でも悲しいことがあったり傷ついた時に、落ちこむのと同時に「あっ…アップルパイ食べなきゃ、アップルパイのお店調べなきゃ…」と謎の使命感に燃え、検索している間は傷ついたことや悲しい事を考えずに済んでいるから今のところ成功と言えるだろう。

今後、わたしとアップルパイの関係はどうなっていくのか。それは自分でもまだ分からない。

 

<主義なんてないから船に乗るんだよ>なかはられいこ

ハイソフトキャラメル買って

わたしはキャラメルというとハイソフトが一番思入れが深い。ちびっ子の頃からやれ遠足だ旅行だとずいぶんお世話になってきた。
情けないやら恥ずかしいやらで、わたしはちっとも味覚が繊細でないので(美味しい、チョーおいしい!、好きじゃない、もう食べたくない、ぐらいしか種類がない)個々のキャラメルの味に違いを見いだせる自信は無い。でも、ハイソフトがキャラメルの中では一番好き。やわらかくて、なんだか甘みもまろやかな感じがする。色も少し濃いめなので、ああ砂糖を煮詰めて出来てるんだと思い知らせてくれる。チョー美味しい。

ただわたしは歯があまり強くなく、歯並びも少し変なところがあるので、気を抜くと虫歯や歯肉炎になりやすい。この前、会社の先輩からもらったキャラメルを食べていたら差し歯がとれたので、今度歯医者さんにしぶしぶ行くことになっているぐらい。でもあのとき食べていたキャラメルはハイソフトじゃないからハイソフトは悪くない。


そんな今日、昼間に画像が送られてきた。彼からだった。
「これめっちゃ美味しい」
何か綺麗なパッケージのお菓子を持った彼の手。
「これなあに?」と聞くと新発売のキャラメルだそうだ。
またキャラメルか、と思ったけれど、彼のことは好きなのでたった今現在わたしの歯事情は話さなかった。だってかっこ悪い。口閉じてれば見えんし。

わたしはキャラメルではハイソフトが一番好き、と彼にメッセージを送った。ハイソフト、良いよね。おれも好き、パッケージもおしゃれだしやわらかいし。
知性を見せつけ合うようなやりとりをせずに、あくまでもやわらかく優しく会話を進められるから、彼のことが好きだ。やわらかさとは優しさはよく似ている。


「このキャラメル、ローソンで売ってたよ。ぜひ買ってみて。おれ、もう食べ終えちゃった」
「食べ終わるの早いね、きゃらめる君になっちゃうよ」
「それだけおいしいってこと。おすすめ」
「そんなにいっぺんに食べて、虫歯にならない?」
「きちんと磨けば大丈夫だよ」


このきゃらめる君め、虫歯になっちゃえ、と思った。
やわらかさとは優しさ。優しさとは甘さ。甘さは虫歯につながる。虫歯は痛い。優しさで、あなたも痛め。苦しめ。わたしだって差し歯抜けちゃったんだから。
わたしは好きな人の幸せを願う。でもそれと同時に、同じくらいの強さで、好きな人の不幸も願う。わたしの帰り道にローソンは無いので、スーパーに寄った。どうせ歯抜けだしどうせ虫歯になるんだから、とハイソフトを買った。ハイソフトは、やっぱりやわらかくって甘くて美味しい。ねえ、不幸を祈ってしまって、ごめん。でも、本音です。


<一時間たっても来ない ハイソフトキャラメル買ってあと五分待つ>俵万智

何故僕があなたばっかり好きなのか

人生で2つしか時計を身につけたことがない。
ひとつめが、大学受験のとき。
高校の先生が、受験会場や模試の教室によっては時計が無いところもあるから自分の時計を持って行くように、と言っていたことを母に伝えたら安い時計を買ってきてくれた。赤いベルトのアナログ時計で、わたしが受験生で無くなった途端に壊れて、天寿を全うした。たぶん。
ふたつめが、就活生のとき。
キャリアセンターの先生が、時間を守るのは社会人の基本で、面接の会場とかで携帯で時間をチェックするのはマナー違反だから、シンプルな時計を身につけなさい、と言ってきた。それを祖父母に伝えて、ピンクゴールドのきらきらしたお洒落時計を誕生日に贈ってもらった。シンプルがどうのとかは完全に無視した。かわいいのが欲しかった。

 

そして社会人になったからといって、時計を身につけはしなかった。
だって内勤だし、社内に時計あってPCもスマホも普通に見て確認できるし。キーボード打つ際に地味に邪魔で、つけて会社に行っても、作業をする前に外して鞄にしまっちゃうのが関の山。


が、今回はじめて時計が欲しいなあ、と自分の意志が動いた。

ミッキーマウス・ウォッチ。
調べてみたところ、5000~1万円前後で買えるみたいで、「食指が動く」とはこのことかと感じた。
別に、Disneyファンってわけじゃないんだけれど、わたしの左手首にミッキーマウスが、両腕を動かしながら笑顔で時刻を指したら、なんだか毎日が楽しくなる、気がする。


ネットで調べた中だったら、これがいいな。

黒いモデルの、皮っぽいベルトのやつがとくに可愛い、気がする。

 

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時計ってこだわっている人が多くて、高いやつは本当にきりがなくて、時計道は果てが無いのだろう。でもミッキーマウス・ウォッチは、なんだか時計にこだわっていない人みたいで凄く良い。
壊しちゃう前提で、いつかもっと良いものを買うという前提で、欲しい。

 

そんなことをスクロールするごとく適当に話していたら、次の週に会ったとき、デニーズで、あの人はタブレットを見せながら言った。
「俺、あれから結構本気で調べたんだけれど、ディスカウントサイトとかなら数千円で買えちゃうんだね。それでこれがあっちゃんには似合うと思う。これ」
見せてくれたのは、ベルトが布製で、トリコロールカラーのものだった。ああ、この人は、わたしが居ないところでわたしの手首とミッキーマウスのことを考えていたのか、と思うとなんだか無性にいとしくなって、「こっちおいで」と頭を寄せさせて、なでた。
「いいこだね、本当に、いいこちゃん」
年上の男に対して、何様目線だよなんて言わないでくれ。わたしはわたしだ。何を可愛がろうがどうやって愛そうが、誰かから指示される筋合いなんて、どこにもない。
壊しちゃう前提で、いつかもっと良いものを、良い人を選ぶ前提で、時計を、人を選んで身に着けていく。ミッキーマウス、あなたもあんたも、わたしにとったら同じことなんだから、良い気にならないでよね。気分良くいられるのなんて、今だけなんだから、調子のらないでよ、ね。ふんだ。

 

<何故僕があなたばっかり好きなのか今ならわかる生きたいからだ>早坂類

あなたとはほんとうに家族になりたかったんだよ

実はマッキーファンということを今更知ったので、「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対、って要するにどういうこと?」と聞いた。「おまえ、俺がマッキーファンだと知って最初に聞くことってそれなわけ?」と少し呆れられた。相手の気持ちは分かる。あと、わたしを「おまえ」と呼ぶこの人を見たのは初めてだったので、少し驚いた。

「もう恋なんてしない」なんて「言わない」なんだから、これからまた恋をしていこうっていう意志があるってことだよ、と教わった。わたしはわたしでマッキーに悪態をつく。

「だったら最初からそう言えばいいのに。もったいぶって、嫌な奴だ。だいたい、タイトルが悪い。説明が足りんね説明が。言わなくても分かる、なんて考え方は傲慢だ。」
「マッキーを悪く言うんじゃないよ」
「何よわたしじゃなくってマッキーの肩を持つんだ」
「そうじゃないけれど」
「もう恋なんてしないなんて?」
「言わないよ絶対」

 


悪態をつくときは徹底的に、悪口は歯切れよく。下手に優しさなんて出さずにためらわず。
本当はマッキーは好印象を持っているけれど、わたしはこの「自分ルール」を意識的に守った。

今こそこうして楽しくマッキートークをしているけれど、実はさっきまでマジトーンで別れ話をしていた。
それをなんとか持ちこたえさせて、何とか話を変えようとした結果がこのザマ。おまえ、なんて言われちゃって、互いに互いの優位性をちらつかせながら楽しい夜のお散歩。前に読んだ小説の中で恋愛のことをこう書かれていたことを思い出した。

 

でも、甘くみあわないで、どうやってひとは愛しあえるだろう。許しあって、油断しあって、ほんのすこしばかり見くだしあって、ひとは初めて愛しあえるんじゃないだろうか。

 

この小説を初めて読んだのは、中学生の頃だったからいまいち感覚が分からなかったけれど、今ならわかる。
ほんのすこしだけ甘く見くだしてこの程度の男だと油断して、分かったふりをして、ここまでこうしてやってきていたわたしがここに居た。その結果が、さっきの寸前で切り上げた別れ話。どうにかこうにか、いくつかの条件付きでやり直すことになったけれど、こんなところまで来てしまっていた。
わたしはその人が好きで好きでたまらないのだけれど、もっと甘く見て許して油断して見くだして、わたしなりの幸せをその人抜きでも手に入れられるように頑張ることに決めた。これは、わたし一人の小さな決意。その人とこれから本当に愛しあうための、寂しい決意。

「と言いつつもわたしその曲サビしか知らないのよ」
「まあそういう人が多いよね」
「もし君にーひとつだけー強がりを言えるのならー」
「もう恋なんてしないなんてー言わないよぜったーいー」


夜の渋谷区にマッキーの歌詞が響く。
「もう恋なんてしないの?」と聞くと、その人は無言になってしまった。わたしが居なくなった後のこの人のことを考えると、案外大丈夫だろうって想像がつく。でも、それでも少しかわいそうに思った。安心して、わたしも同じだよ、いつかまた別の人をきっと好きになれるから。だから大丈夫だよ。

その日はきちんと家に帰った。ふと検索して、そこで歌詞の全てを初めて知った。わたしは、ほんの少しだけ泣いた。

 

<ずっととけない氷がほしい あなたとはほんとうに家族になりたかったんだよ>田丸まひる