ピロートーク

やがて性愛

わたしはあなたをしなせるよ

行き場を失くした静かな夫婦が、最後にピストル自殺を行う映画を見た。わたしはこの映画が好きで、もう何度も見ているが、横の人は初めてだと言う。あっちゃんのおすすめを見させてくれよ、というリクエストで借りてきた映画の中の一本だ。

ピストルの音は2発響く。
多分だけれど、1発目は夫が妻を撃ちぬいた音で、2発目は夫が自らの頭を撃ちぬく音。

映画は静かな弦の音楽が流れておわる。少し映画について話しあう。登場していた役者について、監督について、物語の最後について。その中で「おれ、あんなふうに死にたいな」とぽつりと言われた。
ピストルは怖いよやめたほうがいいよ、と止めに入ったけれど「たぶん一瞬だし痛くないよ」と言う。そういうもんかな、と思った。

「最初に撃つのは自分?奥さん?」
「相手かなあ」
「優しいじゃん」
「格好つくでしょ」
「画になるよ」

痛いのも熱いのも寒いのも苦しいのも嫌なわたしには死に方が見当たらない。わたしもピストル自殺にしようかな、と言うと「あっちゃんにぴったりな死に方がある」と提案してくれた。何、と聞く。「腹上死」。ハハハハハ、そりゃあいい。気持ちいい時に死ねるなら本望だと笑った。
殺されるならだれが良いだろうか。やさしくて、乱暴な人がいいな。この人は、だめだな。結構気が弱いから。今までにやさしくて乱暴な人なんていたかな、と考える。いなかった。いなかったと思う。そうかだから今日まで死なずに済んだんだな。ホッとして寝ころぶ。ホットカーペットで暖をとるためできるだけ平べったくなった。横の人は、映画のメニュー画面から、劇場版予告や登場人物紹介に見入ってる。横顔を下から見て、生きたいと心底思った。

絶対に死んでやるものか。わたしの野望は、200歳くらいまで生きて、先に死んだ人のわるくちを思い切り言うことだ。それに、まだ見たい映画がたくさんある。ドラえもんとか、男はつらいよとか借りてきたやつも今週中に見ないいけない。意気込みながら、ホットカーペットを全身で抱きしめた。

<それでゐてわたしはあなたをしなせるよ   桜は落ちるときが炎だ>藪内亮輔

屋久島に縄文杉を見に行った話

過去の話になるが、11月に母と屋久島に行ってきた。
目的は縄文杉へのトレッキングで、予約してからは女学生らの修学旅行みたいにキャッキャと準備を行った。
第一に、「どんなウェア着よう 赤がいいかな」「新しいリュックサック買いに行こう」「これを機に山ガールになっちゃったりして」と、形から入る。
第二に、「おやつは必須だって」「写真たくさん撮ろうね」「携帯トイレって本当に使うのかな」「ツアーガイドさんがイケメンだったらいいね」と、あれこれ思いをめぐらせる。
第三に、わたしはアウトドア用品店で購入した「山の遭難バイブル」を読んだ。「楽しいトレッキング旅♪」がいつ命と自然の闘いになるか分からないという山の恐怖を知る。一方、母は自分の体力について過信と自信消失を躁鬱状態のように繰り返した。
この前までは「お母さん、この前旅行で〇〇寺に行ったのよ、そこの長い階段上り下りできたから屋久島も行ける気がする!」と言ってた人が「途中でダウンしたら、近くの木の根っこのところで座って待ってるから、あつこだけでも楽しんできてね」と完全にわたしに思いを託してきたりする。
「その時はお母さんの荷物はわたしが持って、ガイドさんにお母さんをおんぶしてもらおう。それで縄文杉の根っこのところにお母さんを姨捨山のように置いていくから、最悪でも縄文杉は見られるよ」と、からかうと「楢山節考」と呟きながら落ち込んでいた。個人的には正直面白い。


前日は早めに支度をした。
「レインウェア」「はい」「ウェットティッシュ」「はい」と、持ち物リストを読み上げて相互に確認する姿は、女学生というよりも遠足に行く子どものよう。

その夜は日本シリーズを行っていて、この試合でカープが負けたら、即ソフトバンクホークスが優勝決定という場面で、明日の支度を終えたわたしはホテルのテレビにかじりついていた。お風呂は母に先に譲り、手に汗を握り試合を見守るも、結果的に負けてしまった。悔しく悲しい思いを胸に、お風呂に入り眠りにつく。

朝は3時半に起きた。服を着替え、スキンケアをして、髪をとかす。化粧してもどうせ汗かいてとれるのはわかっていたから、眉を書いて、色つきのリップクリームを塗っただけにした。
4時にガイドさんがホテルにお迎えに来てくれて、車で山まで行く。その後、バス乗り場で早めの朝食をとり、バスで登山口まで行った。
5時過ぎにトレッキング開始だった。まだ夜明け前で道は暗い。持参した懐中電灯で足場を照らしながら道を進んだ。6時半頃には明るくなってくる。幸運なことにそのツアーに参加しているのはわたしたち母娘しか居なかったため、ガイドのお兄さんと3人で、ひたすらテクテク歩いた。ガイドさんは良い人で、初心者のわたし達を色々と気遣ってくれた。歩きながら、植物のことや屋久島の歴史や文化について教えてくれる。
橋を越え、谷を見下ろし、岩を掴み、ときには階段を這いながら、一歩一歩進む。時々、自分たちより足取りが軽いお年よりたちに抜かれた。外国人の方がタンクトップ姿でスキップするように道を進んでいく。ガイドさんは知り合いを見つけて、楽しそうに談笑をし、わたし達母娘も時々写真を撮ったり、おやつを食べたりして休憩して昼前には縄文杉に着いたが、その頃には汗だくになっていた。
縄文杉について、途中の自然については、きっと他に分かりやすいことを書いている人がいると思うから描写は割愛。

辛かったのは帰り道だ。既に目的を達成してしまったため、ただ歩くためだけに歩くということを数時間続ける。登るときは一生懸命でさえあれば良いけれど、下るときは慎重さが欠かせない。足を滑らせたら大怪我をするだろうということが、往路で良く分かっているからだ。
母は後半から無言になりながらも頑張ってた。わたしは後ろから応援した。頑張って頑張って頑張って、数時間前、まだ夜明け前だった頃に歩いた道に戻ってくる。明るい時間だとこんなふうに景色が見えていたんだなと気づかされる。それを何度かくり返し、ようやくバス停まで着いた。疲れたね、疲れた、と言い合いバスに乗ろうと右足を少しあげると太ももがふくらはぎが足の裏が悲鳴を上げる。歩いている間はそれだけでいっぱいいっぱいで気づかなかったが体中が酷使されていて既に筋肉痛のビッグウェーブが来ていた。

遭難はしなかった。非常食として持参したおやつはたくさん余った。(ちなみに、みかんと梅干のお菓子、GABAチョコレートが疲労回復に重宝した。行く予定の方は参考にされたし。)朝に書いた眉はまだあったし、靴擦れはしなかった。ホテルに戻ってネットニュースを見るとやっぱり昨晩カープが負けたことは夢じゃなかった。でもなんか、昨晩や朝にあったモヤモヤは無くなっており「スポーツなんだから負けることはそりゃあるわいな」「来年また頑張ろう!」と、せいせいした気持ちになっていた。
トレッキングを終えて思い出すことは、縄文杉のエネルギーや自然の美しさでは無くて、母やガイドさんとあれこれ話したことや、ガイドさんの見えないところで母にふざけたこと、やいやい言いながら準備をしたことばかりで、結局のところわたしはそういうタイプなんだろうなと思った。自然も好きだけど、人の方がずっと好きみたい。身体を動かすことも楽しいけど、喋ったり考えたりする方に面白味を感じるみたい。それら全部含めて楽しいかったよ。お母さん、体が元気なうちにまたどこかへ無茶しに行こう。末永く元気であれ。カープよ、今年も頑張ろう。あつこも応援しておるよ。

お正月の大阪観光

お正月は大阪に行った。昨年は祖父の喪中で行けなかったため、二年ぶりだった。グループホームから一時帰省している祖母と親戚たちと、おせちやお雑煮を食べ、会話を楽しんだ。
夕方には親戚も祖母も父も帰ったため、わたしと母と兄の3人で大阪の実家に泊まることになった。翌日は祖母に頼まれていた用事を早々に3人で済ませた。1月2日になんばから出る夜行バスに乗る予定だったので、まだ時間が10時間ぐらい余っている。母に「あんたたち二人で観光でもしてきたら」と勧めてもらえたので、わたしと兄は二人で大阪をめぐることにした。二人で大阪をめぐるのは、昨年の四十九日後に行った「森友学園見学」以来である。
(詳細:思えば遠き春のこと - ピロートーク 思えば遠き春のこと - ピロートーク


梅田駅をかいくぐり、着いたのは大阪市西成区
「着いてきてこんなこと言うのもなんだけれど、なぜ正月にここを選んだの」と聞くと「こういうものを見ておかんといけん」と兄は言った。仰るとおりだなと思ったので、それでその話はおしまい。

めし、湯、簡易ホテル、従業員募集、など雑多な看板がある街中に大きな建物に寄り添うように段ボールや毛布にくるまれる人たちがいた。いつも思うのだが、段ボールは分かるけれど、毛布ってそんなに外に落ちているだろうか気になる。金網に、正月の炊き出しについての広告が貼られていた。時々、むわっとした匂いが鼻を刺激する。真冬でこの匂いなら、真夏はどうなるのだろうと思った。時々わたし達は記念写真を撮る。
「…そこで暮らしている…フリーランスの方々はさ…」と兄は、言葉を丁重に選んでいるようで見事に失敗していた。野良猫を2匹見つけて、その後に床にばらまかれたドライフードを見た。「お兄ちゃん、あれ」とフードを教えると「人は、どんな状態になっても何かの面倒を見ることで保ててる部分があるんじゃのう」と言った。わたしも同感した。

玉出スーパーを横目に、めし屋を通り、50円でジュースを買える自販機を見た。商店街にはカラオケスナックや、飯屋、呑み屋の他、なんとなく入ってはいけないなと察せるお店がいくつもあった。わたし達は腹ペコで、だけど地元のお店に入ることもなく、ぼんやりとした話をしながら通っていく。たくさん歩いた先に、あれ、っとなった。

飛田新地だった。わたしの方が先に気づいて、兄にそのことを伝えると「決してお店の中を見るのではない」「目を合わせてはならんぞ」と強く言われた。古めかしいお店が向かい合うように並んでおり、店の前に、ババアが座っているのをちらりと見ながら歩いた。
「決して見るな」とは、『千と千尋の神隠し』で千尋がハクにそんなこと言われてたなと思った。湯屋っていうのもオマージュだろうし、と謎のシンパシーを感じながら歩いていたら見えてしまったのだが、オッサンという感じの身なりの方が、魔女のキキちゃんのような紺色のワンピースでボブヘアーのお嬢さんと室内に入っていく姿が見えた。ジブリ違いだよ。そっちじゃねえよと思った。

「あれって自由恋愛の名のもとに行ってるんじゃろ ソープとどう違うの」と聞くと「たしかソープは混浴のうえの自由恋愛で、新地は飯屋のうえでの自由恋愛なはず」と教えてくれた。なるほど、お店の横に料理組合と書かれた提灯が飾っている理由が分かった。「コーラが一瓶出るらしい」と兄は教えてくれた。

「でもさあ、お嬢さんがた、肉体労働で稼ぐことになったとしても、デリバリーおねえさんとか繁華街ならいろんな職種があるのに、なんでこういう目立つ方で働くのだろう」
「おそらく、親元は同じで、最初はそういうところで働いていたお姉さんたちに『もっと稼げる場所があるよ』と上の人が言うんじゃないだろうか」
「なるほど ありえそうだ」

「おれは、だめなんだ。こういうの、参っちゃうんだよね」と兄はその土地の独特の雰囲気に面くらってしまったようでぐったりしていた。意外と潔癖なんだなと思った。わたしは結構平気で、ただのフィールドワークという感じだった。商店街の中を歩いていると、カラオケスナックから宗右衛門町ブルースが聞こえてきた。商店街を抜けさらに道を進むと、また商店街と飲み屋街。わたしたち兄妹はたこやきを分け合い、ゲームセンターに入る。兄はアーケードゲームを、わたしはピンボールをした。スマートボールでは景品のコアラのマーチをゲットできた。

さらに進む。まだまだ進む。やたら高い建物があり、それはあべのハルカスだった。「来たことある?」「無いのう」「スカイツリーは?」「スカイツリーならあるわい」「わしもじゃ」関東在住民ならみんな話しそうなことを話した。ビル内には入ったが、展望台まで行く元気は無かったのでやめた。梅田を経由してまた実家に帰った。母に「楽しかった?どこに行ったの?」と聞かれたので「あいりん地区と飛田新地あべのハルカスの近く」と答えると「はあ?」と言われた。妥当な反応だと思う。なにわともあれ。なんてちゃって。新鮮なお正月だったなと思う。

 

ただ、他人の人生を垣間見るとき、わたしはそれをコンテンツとして面白がって見てないだろうか心配になる。見てる自分をイメージすると嫌なやつだなと思う。でも、見ないでモノを言うのも嫌だし、きれいなものしか見てないような奴も嫌だ。複雑な心境。たぶん考えすぎな面もある。でもわたしは猫好きだから、猫好きだからという理由でいいから、猫に餌を与える人たちのことは見ていたい。と、思う。おしまい。

鼻歌のさびでつまずく

先日、激しく派手ににすっ転んだ。バスが行ってしまいそうだったので、追いかけようと走った際に左足をぐねってそのままスライディングしたのだ。
その結果、左足ねんざ、右すね擦り傷と打ち身、両手擦り傷、スマホケース半壊、靴とストッキング全壊、更にバス逃すという大損傷を負った。その日は昼間に大事な打ち合わせがあったため久しぶりにOLらしい服装をしていた。久しぶりにはいたストッキングにわたしの脚は守られたのだと思う。
ボロボロの状態で出社して、先輩方に「なんていうか…かわいそうに」と言われた。

左足が痛くてうまく歩けない。夕方に久しぶりに会った友人にそう言った。「お医者さんには行った?マキロンは?」と立て続けに聞かれ「病院はきらい しみるのもいやだ」と言ったら、おおまじめに病院に行くこときちんと治療することの大切さをわたしに語った。

 

その人とはその後、旅行のお土産を交換しあって、お茶をして、帰路へ向かった。この人と会う時別れる時はいつももう二度と会えないような気がしてしまうため「また会える?」と聞く。「会えるよ」「次はステーキハウスに行こう」だって。
友人は新宿にある某ステーキハウスが大のお気に入りで、ポイントカードを作ってこつこつためているらしい。

わたしたちは帰る方向が別だけれど、名残惜しくて、相手の使う駅まで送っていくことにした。

「足捻挫してるのに悪いよ」と遠慮されたけど「じゃあそこの坂のところまで」「そこの横断歩道まで」とずるずると駅まで着いていった。


駅入り口の横には、おしゃれなカフェレストランがある。お客さんはいなく、既に閉店してるらしい。小学校の掃除の時間のように椅子が机のうえに上げられていた。横を通った時に店内からハイロウズの『日曜日よりの使者』が聞こえてきた。
わたしはこの曲がすごく好きでとても大切だから、嬉しかった。歌うのを我慢した。相手がこの曲を知らなかったら良くないから。心の中で口ずさむ。

 

このままどこか遠く連れてってくれないか
君は 君こそは 日曜日よりの使者

 

そういえば北海道出張の話はどうなったのか聞くと、まだ未定らしい。行くときは六花亭のバターサンドか苺のチョコレートを買ってきてねと念を押す。あっちゃんの予定も聞かれたから来月に島へ旅行する話をした。楽しそうで何より、と言われた。楽しいよ。
改札から手をふってバイバイ。帰る時にさっきのカフェレストランの横をまた通った。もう曲は変わっていて、ウルフルズの『笑えれば』になっていた。リアルな選曲だなと思った。わたしの予想だと、おそらく次の曲はエレカシだと思う。

 

<鼻歌のさびでつまずく小春かな>黛まどか

枝毛切るその真剣な目で

ここ最近のめまいがひどくてもう本当にしんどい。めまいは三半規管によるものが多いらしく、耳鼻科で検査をしたけれど、聴力問題無し、脳由来のめまいでも無さそうということで「寝不足やストレスによるものかと、女性はホルモンバランスのこともありますし」と言われた。正直「まあそう言われるだろうな」という感想だ。

分かっている。だいたいの体調不良は寝不足・ストレス・ホルモンバランスの乱れのどれかでなんとか言い逃れできる。坂口安吾の「肝臓先生」という小説がある。どんな体調不良にも「肝臓が悪い!!!」とばかり言う医者の話だ。(もちろん先生は診断のうえで肝臓の悪さを主張している)柄本明麻生久美子主演で映画化もされていた。あれは素晴らしかった。小説とは少しストーリーが違ったが、小説には無い生命の躍動感というものが表現されていて、本当に素晴らしかった…。

わたしも医者になる道が人生のどこかにあったらホルモン先生になろうと思う。どこの体調不良を訴えてもホルモンバランスの乱れにまず注目する医者に。
でも結構そういうこと言う人って多いよなとも思う。どこの不調もすべてストレートネックやスマホの使い過ぎや歯並びの悪さのせいにする人とか。もちろん構わない。きっとあなたがたはストレートネック先生であるだけに過ぎないからだ。

 

<「枝毛切るその真剣な目でおれの話をちょっと聞いてくれよ。」>植松大輔

夏の日の水面のひかり

この夏はとても良かったと思う。
イカ割りをしたり島にいったりドライブをしたり、充実していた。やり残したこと、として泳ぎに行こうよと言われた。

わたしは泳ぐのがあまり得意じゃない。水泳の授業も好きじゃなかった。小さいころに母が、泳げないとこの先苦労するだろうと思ってスイミングクラブに入れたそうだが、顔に水をつけるのが怖いとギャン泣きして1日で辞めたそうだ。今では顔に水つけられるし、中学生くらいのときは100メートルなら泳げたけど、でもまあ得意じゃない。

「海は怖いよ」と言ったら「プールでもいいから行こうよ」と言われた。「プールはなあ、わたし肩冷やしちゃいけんから」と言うと「剛腕スラッガーじゃあるまいし」と即座に返してもらえた。わたしのプロ意識を汲んでくれてありがたい。今はまだ信用されていないようなので、早く球界に貢献できるくらいの肩を作っていきたいと思う。

妥協案ということで、区民用温水プールに行くことになった。
かわいい水着はもっているが、区民プールには不適切な気がするのでスマートな競泳用水着を購入したいなと思う。

わたしの高校は女子しかいなかったんだけど、水泳の授業が年何回かあった。我が校の水着は、脚が下着のように股から太ももにかけての切れ込みがあるタイプでは無く、太ももの真ん中くらいまで丈があるスパッツ型のスクール水着だった。あれは良かった。切れ込みのあるパンツ型はなんとなく気恥ずかしい。ああいうのが良いな、と思って画像検索をかけるとスクール水着をアダルトに使用している画像が出てきてしまい、気分が悪くなりすぐに閉じた。

今年は平成最後の夏らしく、みんなそれを大義名分のように何かをしたりたのしんでいてとても良い。ただ、その言葉はわたしにはなんだか不釣り合いな気がしていた。わたしは泳ぐことよりも、マラソンよりも、電化製品の取り付けよりも何よりも暑いことが苦手だ。毎年、暑さにやられて今年こそは死んじゃうなと思うっているから、わたしにしたら毎年が「今年こそ最期の夏」だからだ。でも、今年も生き延びられた!来るぞ!実りの秋だ!これならわたしでも言える!「平成最後の秋」が来る!来年の今頃は新年号初の秋だ!!!
ちなみにわたしは10月に26歳になる。楽しみが止まらない!

でもその前に、まずはプールだ。夏の名残を惜しむべく、では無くて、だらだら生きてだぼついたボディを絞り、素晴らしい秋を迎えるべく、ダイエットがてら区民プールにでも通う習慣を作りたいと思う。

 

<夏の日の水面のひかり   ゆらぎ  花  水底の泥にしづもる記憶>早坂類

真田丸 めっちゃ好き

真田丸』(2016年の大河ドラマ堺雅人主演)が本当に好きだった。今でも狂おしい程好きだし、分かる人には分かるだろうけど、毎週Twitterでその名残を呟いている。

真田丸、本当に面白かった。
世間からもなかなか評判が良かったらしく、わたしも嬉しい。初めてきちんと視聴した大河ドラマがあれで良かったと心から誇りに思う。
今年は『西郷どん』を面白がって視聴している。もう8月も半ばなので、ストーリーは折り返し地点を越えているようだ。クライマックスは西南戦争だろうから、あとはそこまで走りきるだけだろう。

といっても、わたしは2017年の『おんな城主 直虎』を見ていない。真田丸の最終回後、わたしは酷いロス状態に陥り『あれ以上に好きになれる面白いドラマなぞない』と次回作(直虎)を見ることを放棄したのだ。あの選択は間違っていた…。おかげで、いまだにロスは抜けきれない。早めに手を打っていれば(直虎を見ていれば)こんなふうにはならなかっただろう。直虎、面白かったらしい。本当に見ておけばよかった…超後悔している…。

未だに真田丸のオープニングテーマを歌いながら家事をしたり、寺島進に頬を赤らめたり、内野聖陽を憎んだりしていて、テレビ視聴や日常生活に支障をきたしている。
内野聖陽をなぜ憎んでいるかというと、彼は徳川家康役だったので、堺雅人らの秀吉チームを倒したからだ。内野聖陽は何も悪くないことは本当はわかっている。あれはドラマだし、歴史だ。せめて憎むなら徳川家康だろう。それでもわたしは、現実とお話と歴史を混同して、一番無関係な内野聖陽を憎んでる。内野さんごめん。あなたの演技は最高だった。そのうち、あなたがカッコいい素敵な役で出ている映画かドラマを見て好きになるから、それまでは憎ませてほしい。

2016年当時、わたしは兄に真田丸の良さを本気で語っていた。死ぬほど面白い、毎週 登場人物たちと共に泣き笑い時代を生きることができる素晴らしさを最上の喜びと説明した。すると兄に「そんなに面白いもんかね」「おれは大河は見たことないな」と言われた。そして「いや」と何かを思い出したように話し出した。
「そういえば子供の頃に一話だけ見た。石川五右衛門が釜茹でされるやつ。あれはなんか印象に残ってる」とのこと。
石川五右衛門が釜茹でされる場面がある大河ドラマはそりゃいくつかありそうだけれど、わたしには分からない。ていうか、そんなシーンを幼少の頃に見て、その後の人生や価値観大丈夫だっただろうか。悪影響が及んでいないことを(兄に対して)祈るばかりだ。

子どもの頃の体験や印象とは強く残りがちだ。わたしがもし今子供で、子ども時代に真田丸にはまっていたとしたら、今以上に内野聖陽を憎む気持ちがDNAに染みついてしまっていただろう。その点では、大人になってからはまって良かったと思う。内野さんとしてもわたしとしても、一番被害が少なく済んだのだろう。そういうことにしたいし、その点に関しては内野さんはわたしに感謝してほしいぐらいだ。