ピロートーク

やがて性愛

春画など集めたるなど

舛添知事の政治資金の問題で非難轟轟らしい。ニュースを見る限りは。へえ~~としか思わずに済んでいるのは多分わたしが都民じゃないから。都民だったら「わたしが払った税金をそんな風に使うなんて!!!」と憤怒ぐらいしてたかもしれない。

 

まあ当たり前に良くないからそこのことはどうでもいいんだけれど

 

一番胸を痛めたのは政治資金で「クレヨンしんちゃん」を買っていたのが判明し「違法性は無いけれど不適切」とか言われてたというところ。

ネットニュースでこの話が、小気味のいい見出しと共に語られていてふと自分が小学生の頃を思い出した。確か小学校4年生の頃だった。読書が好きで、図書室で本をよく借りていた当時のわたしはその日も本を借りた。タイトルは今でも覚えている。「こころのひみつ」。
童話や絵本ではなくて、ジュニア新書みたいな本で、同シリーズに「からだのひみつ」というタイトルのものがあった。わたしは「こころ」の方を借りた。物語系の本が好きだったわたしが何故そんなものをいきなり借りたのかというと「こころ」のことを知りたかった。心理学的な本だと思っていた。
でも中身は違った。


“人間は、思春期に入ると第二次成長期を迎えます。そうすると異性に興味を持つようになってきます。男性はマスターベーションを行うようになります。女性もこれまでとは違い心も体も変化するようになっていきます。”


そんな感じの内容が書いてあった。アダルトビデオか本を自販機の前で人目を気にしながら買おうとする中学生くらいの男子の挿絵があった。
心理学系の本かと思って借りたわたしは、どうしようエッチな本借りてきちゃった、と焦った。借りてしまった手前、所持しているが持っていることが見つかるのも恥ずかしい返しに行くのも恥ずかしいしょうがないから自分の部屋のすみっこに隠す。見つかったら恥ずかしい本を読むことも持つことも、初めてだったのでとても慌てた。返すタイミングを見計らっているうちに何週間も借りてしまい、まるで熟読した人のようでより恥ずかしかった。
「こころのひみつ」はもちろんエロ本では無い。でも子どものあつこには発禁処分レベルだったのだ。ああ「こころのひみつ」ごめんなさい。あなたは本当は悪くない。性教育から逃げてはいけない。
舛添さん、やっぱり税金で余計なものと思われるような買い物しちゃだめだよ。でも、でもさあ、どんな事情であれ自分の読んでいるものばれるのってなんか恥ずかしいよね。だってそれを選んだという神経と、その本の内容が頭の中に入っているんだという推測。これってしょうがないけれど耐えられない。税金は適切につかいましょう。本を読むときはカバーをつけましょう。他人が何を読んでいるかに気にかけ過ぎず適切な距離を保ちましょう。ではまた。

<春画など集めたるなど聖人になれざる賢治わが愛読書>福島久男

目をつむっても菜の花の彼

「シュークリームは足がはやいから」 「だから」 「早く食べよう」

3センテンスに分けて言うほどのことかしら、とも思ったけれど「足の速いシュークリーム」って、どうしても運動会で真っ先にテープを切る、かけっこ上手なシュークリームをイメージしてしまいなんだかおかしい。わたし一人だったら笑い転げるんだけれど、まあ駅なので我慢した。

なぜシュークリームをもらっているのかというと、これは単なる好意からに違いない。 待ち合わせに早めに来たこの人が、「あつこが喜ぶだろうな」とお菓子屋でテイクアウトしたのだろう。こういう自分勝手な優しさや好意は、なんとなく父性を感じて個人的には大変好ましい。 ただ、申し訳ないことにわたしはシュークリームがあまり好きじゃない。

なんかさ、最近シュークリーム・エクレア・ロールケーキ的なカスタードクリーム感のあるまったりしたお菓子って食べると気持ち悪くなっちゃうんだよね。昔は大好きだったんだけれど。やっぱり年齢のせい?なんて。

 

 

ていうかさ、わたし達これからケーキ食べに行こうって話してたよね?

「おいしい紅茶とケーキのお店があるらしいよ」って誘ったのあなたよね?

“おいしい紅茶のお店”と言われたらコーヒー派なわたしも、じゃあ行ってみようかなという気になるのが乙女心というもので。外国人はデートに誘う時、「デートしましょう!」じゃなくって「美味しいアイスクリーム屋さんに一緒に行かない?」と言うらしいです。確かにそれなら着いていきたくなるよね。男子諸君そして女子諸君、よく覚えておくように。殊にわたしをデートに誘う予定があるなら。そしてわたしは実際においしい紅茶が気になって待ち合わせていたつもりだった。まんまとね。

ケーキ前にシュークリーム…と思ったけれど、やっぱりその「何も考えてなさ」と「考えた結果のコレ」感にくらっと来てしまう。なんとか食べ終えた後は、「おいしい紅茶とケーキのお店」に行くべく地図アプリを駆使して向かった。結局迷いまくりで、彼の地図の読めなさにわたしは

「地図が読めないことを責めやしない。ただ一言だけ言わせて。このスットコドッコイ!!!!」と声を荒げた。笑った。やっと見つけたお店ではオレンジのケーキとミルクティを飲んだ。

 

「シュークリームは足がはやい、って言ったけどさ」

「うん」

相手はカシスのケーキをフォークで刺しながら返事をした

「クッキーとかパウンドケーキなんかは足が遅いってわけ?」

「そりゃあ50メートル走14秒ぐらいの鈍足」

「ダサいね」

「ダサいさ」

最初から伝わっていたことが分かってそれが嬉しくって、目を合わせて笑いあった。さっきスットコドッコイって言ってごめん。でもわたしスットコドッコイって言葉現実で使ったのあれが初めてだったよ。紅茶、おいしかった。あとわたしシュークリーム実は駄目なんだ。だからごめんね。でも、ありがとう。嬉しかった。

 

<ひかりより明るいものを見つけた日 目をつむっても菜の花の彼>中家菜津子

これ以上大きくならぬ猫をいだき

飼いネコは年をとると、人の言葉を理解し尻尾が二つに分かれ手拭いをかぶり人の目を盗みながら踊る「猫又」になるらしい。

うちのニャンも夏には10歳になるので、

※(彼は7月生まれのかに座のはずだ)

※(なぜ“はず”なのかというと、彼は10年前の7月の終わりにわたしと兄が拾って来た際に、ようやく目があいて歩ける程度の子猫にゃんだったからだ)

※(捨て猫なので、彼の家族のことはもちろん、彼の誕生日もハッキリしていない。でもそれではあまりにも不憫なので誕生日を『海の日』と設定させてもらった)

※(海の日は7月の第三日曜日と決まっているので、20日の時もあれば21や19日の時もある。これもこれで不憫ではあるが、捨て猫出身の運命の一つとして納得してもらい、誕生日は決まった。)

※(ああ、捨て猫の不憫さや。)

 

うちのニャンも夏には10歳になるので、そろそろ覚悟をしなければならない。覚悟?覚悟とは、わたしを含む家族の目を盗んでこっそりと「化け猫」と呼ばれるニャンになろうとするのを、見て見ぬふりをしながら受け入れる覚悟のことを言う。

かわいいかわいいニャンが、いわゆる「化け猫」と呼ばれる人から恐れられるものになるのは、正直つらいものがある。

 

 

現在進行形で、ニャンはソファの上で丸まって寝ている。ニャンは、多分おおらかで少しどんくさいが優しい性格をしていると思う。そこがかわいいと思うのだけれど、だからこそ時折とても心配になる。

「ニャンは、ちゃんと踊れるようになるだろうか?」

「わたしや家族の目を盗んで、踊るなんて器用なことがこの子にできるだろうか?」

「この子、尻尾もすごく短いし、ちゃんと尻尾は二つに分かれるだろうか?」

 

人間の幼稚園の世界でさえ、かけっこが遅かったり体が小さい子は不当ないじめやからかいの対象になることがあるんだ。化け猫界にそんないじめが無いとは言い切れない。

 

「近所に、舞踊の教室とか無いかな。ニャンに踊りの稽古をつけさせた方が良いんじゃないかなって思うんだけれど」と母に相談すると「まだ大丈夫よ、覚えなければならなくなったら、この子だってちゃんと踊れるようになるわよ」と言ってもらえた。

子供を二人育てあげた母の言うことだから信頼したいとは思うが、幼稚園生の頃泳げなかったわたしは母から「小学校にあがったときに苦労するかも」とスイミングクラブに通わされた過去がある。結局顔に水をつけることができず、クラブは一日でやめたけれど。やっぱり「そういうこと」なのだ。母はそう言うが、家族の中でわたし一人ぐらいは、ニャンの将来や進路を過干渉気味に心配する者が居ても良いと思う。

 

<これ以上大きくならぬ猫をいだき梅雨時の青い雨をみてゐる>小田辺雅子

君は最後の抱擁をする

たまねぎとかミョウガとかああいう薄皮が重なってできている野菜。どちらもそんなに好きじゃないんだけれ剥いてむいてムイテいくと細くて小さな芯みたいなのがあるじゃない。あんな気持ち。
わたしは抱きしめられていた。

効果音でいうなら“ひゅるひゅる”
色でいうなら溶け出しの蜂蜜色
季節でいうなら秋の早朝の静けさ
刈られた田畑から鷺が飛びたつさまを、
高くて青い秋の空に白い雲が浮かんでいるさまを、
抱かれた肩越しに見た気がした。

これは、心象風景。只のイマジネーション。
頭の中でもう二度呟くと、場所は品川区に戻っていた。
秋でも朝でも鳥の姿も無い。目黒川が見える道の出来事。

 
たまねぎの芯の話を、このタイミングで自分からする度胸も無いが相手が何を考えているか分からない。分かったふりをするのはなお嫌。べらべらと話すのもきっと野暮。だから黙って抱かれていた。
そのうち頭の中の鷺が皆飛びたってしまい、暇になったので質問をすることにした。

「わたしのことが好きなの?」
そう聞くと、うん、と答えた。
お医者さまでも草津の湯でもア ドッコイショ 惚れた病は治りゃせぬよチョイナチョイナ。
脳内で草津節を歌い、わたしは感傷的な気持を殺した。センチメンタルは大概クソで、わたしはいつかロックバンドを組むなら「死ねセンチメンタルズ」にすると前々から決めている。


「わたしのことがとても大切?」
そう聞くと、うん、と答えた。
うん、以外に何か言えないのかしら。わたしが「もう会うのは止めよう」とか「貴様はここで死ぬ運命だ」とか言っても、うんって答えるんじゃないかしら。

「死ねセンチメンタルズ」のデビューシングルは多分「死ねセンチメンタル」だろう。ツアー名は「感傷殺戮ツアー’2016」とかで、ライブ中のメンバー紹介では「黙れ糞ポエム!ボーカルの田中です」「おまえの涙は金にならん、ギターの吉岡です」みたいになっちゃうんだろう。夢は膨らむ。こんなことならギターもベースも処分しなきゃよかったなあどっちも大してうまく無かったけれど。でもわたし率いるバンドなんだし、その時は楽器の練習は死ぬ気でやろうと思う。

他人が来たけれど、抱き合っているようなわたし達を見て、Uターンしていった。実際は一方的に抱かれているだけなのだが他人からはラブシーンに見えるのだろう。直立不動のわたしは、彼の肩越しから何もかもを見た。この人はどんな表情をしているのだろうかわたしが今目を見開いているなんて思っていないんだろう。目を開く。視界に映る全てを吸収することで感傷を捨てようとする。野菜の中の小さな芯に自分を重ねる、イメージを続けた。


<きつくきつく我の鋳型をとるように君は最後の抱擁をする>俵万智

 

青年の詩今日も溢れ出づ

高校生の時、宮崎あおいがブルーハーツの歌をアカペラで歌っているCMが流行った。earth music&ecologyのナチュラルな雰囲気とその歌い方は妙にマッチングし、ネットでそのCMの宮崎あおいが可愛いって話題になっていると書いてあった。でも、実はブルーハーツファンのわたしは、CMや宮崎あおいに対して何かがちろちろと引っ掛かった。

 

たしか17歳の時、授業の一環で高校の近くの市民会館へ皆でお芝居を見に行った。現代の若者がなぜか太平洋戦争中にタイムスリップして特攻隊に入れられるという話だった。若者たちは最初は現代的な感覚で「特攻隊とかマジねーよ!」みたいなことを言っているがその時代で過ごしていくうちに、洗脳(?)されていく…といった話。あんまり面白くないなあ、と見ていると飛行機の訓練の場面のBGMがブルーハーツの「旅人」だった。なんで「旅人」???

「プルトニウム」という言葉のイメージから→原発→原子力→原爆→戦争という連想ゲームやってるんじゃないでしょうねえまさか。と訝しい気持ちになった。

若者たちはとうとう「お国のために!」と万歳三唱をしながら特攻機に乗り散って行った。そうしてエンディング。静かな舞台に流れるBGMは、なぜかブルーハーツの「青空」だった。なんで「青空」???

いやあこれは違うだろう、と首を大きくひねる。なんかもう言いがかりでしょ、ていうかブルーハーツをBGMにしておけばなんか上手くまとまると思ってない?だとしたらちょっと思慮が浅いんじゃないの???

愚痴りたかったけれど、隣の席の友だちはブルーハーツファンでは無かったので黙っていた。

 

今更わたしが言うことではないけれど、ブルーハーツは凄い。偉大だ。でも、なんかさあ、やかましいこと言っているってことは自分でもよ~~く分かっているんだけれど、大好きなバンドの曲を、そうやって大雑把に使われるとファンとしてはあまり良い気持ちしない、ってあるよね?そりゃあ宮崎あおいは可愛いけれど、なんか、ちろちろと引っ掛かるって気持ち。通じない?

上記のこと1,000文字弱の内容を考えていて気付いた。

 

 

「ブルーハーツ本人達は、きっとそんなこと言わないし思わない」

 そうだ、きっとそうなのだ。

ファン、という言葉はfanatic(狂信者)という言葉を略したものらしい。わたしは狂信者ではないはずだけれど、他人の姿に自分の願望や理想や考えを重ねて勝手に胸を痛めたり怒ったりするなんて、そんなのは傲慢としか言いようがありません。ああ、ドブネズミみたいに、美しくなりたい、ときってある、よね?

 

<鳳仙花の種爆ぜゆくを見つめつつも青年の詩今日も溢れ出づ>福島久男

主義なんてないから船に乗るんだよ

自己というものがぺらっぺらなので、自分ルールを持っている人に弱い。

「俺、財布はポーターって決めてるんだよね。今の壊れたらまた同じのを一生買い続けるつもり」と言われたから、なんで?と聞くと「ポーターの財布は皮がやわらかいから後ポケットに入れてもなじむんだよ」ですって。きゅん。

また別の日は「靴下と下着は全部ユニクロ。家用のパンツは全部グレーでシャツは全部白。外用はどっちも全部黒。」と言われたから、なんで?と聞くと「なんかそう決めてるんだよね」ですって。きゅんきゅん。

あるときは「ついでにメガネはJINS、リップクリームはキュレル、シャンプーはスーパーマイルド、タバコはもうやめたけれど昔はマルボロだった」なんで?と聞くと「なんかしっくり来たんだよね」ですって。きゅんきゅんきゅん。

 この手の発言を聞く度に目がハートになっちゃう(古典的な表現!)

 

もし彼のどこが好きなの?と聞かれたら、わたしはきっと「彼、家では絶対パンツがグレーなんだって。そういうところ」と答えるだろう。そたらきっとあなたは「はあ???」と言う。気持ちはよくわかる。自分でもそれはなんか変だということが分かる 。

 

自分ルールは、自己で完結しているものが特に良く、他人に強制したり見限るための手段にするようなものはだめだ。こだわりが自己完結しない人はきらいだ。

「この前お寿司食べに行ったんですよ」とか言ったときに「どこの寿司屋?俺寿司は絶対に銀座の〇〇って決めてるんだよね、〇〇じゃ無いの??もったいない!!!」とか返されたら本当にむかつく。うるせえわたしがどこで寿司食べようがてめえの知ったこっちゃねえだろ。これだからグルメは嫌いだ。どこどこのあれを食べちゃったらもう他のは食べられないよね!とかすぐ言うし。いらいら。

 

そんなわけで自己がぺらっぺらなわたしは、定位置のようなものをあまり無く、様々なものに流動性がある。

わたしも何か自分ルールを持とうと、ずっと前に「これから何か悲しいことがあったらてんとう虫コミックスのドラえもんを買おう」と決めてみたんだけれど、何冊か増えたところで「この巻はAと喧嘩したときに、この巻はBにふられたとき、この巻はCにああ言われた日……」とコミックスを見る度に悲しくなったのでやめた。もう少しでドラえもんを嫌いになるところだったから本当によかった。それからは気が向いた時に買うことにして、ドラえもんとは良好な関係を築けている。

ここ一年ぐらい、また自分ルールを作ってみた。

「傷ついたときにはアップルパイを食べる」

アップルパイは前から好きだったけれど、なぜここでアップルパイを選んだのかは自分でもよく分かっていない。でも悲しいことがあったり傷ついた時に、落ちこむのと同時に「あっ…アップルパイ食べなきゃ、アップルパイのお店調べなきゃ…」と謎の使命感に燃え、検索している間は傷ついたことや悲しい事を考えずに済んでいるから今のところ成功と言えるだろう。

今後、わたしとアップルパイの関係はどうなっていくのか。それは自分でもまだ分からない。

 

<主義なんてないから船に乗るんだよ>なかはられいこ

ハイソフトキャラメル買って

わたしはキャラメルというとハイソフトが一番思入れが深い。ちびっ子の頃からやれ遠足だ旅行だとずいぶんお世話になってきた。
情けないやら恥ずかしいやらで、わたしはちっとも味覚が繊細でないので(美味しい、チョーおいしい!、好きじゃない、もう食べたくない、ぐらいしか種類がない)個々のキャラメルの味に違いを見いだせる自信は無い。でも、ハイソフトがキャラメルの中では一番好き。やわらかくて、なんだか甘みもまろやかな感じがする。色も少し濃いめなので、ああ砂糖を煮詰めて出来てるんだと思い知らせてくれる。チョー美味しい。

ただわたしは歯があまり強くなく、歯並びも少し変なところがあるので、気を抜くと虫歯や歯肉炎になりやすい。この前、会社の先輩からもらったキャラメルを食べていたら差し歯がとれたので、今度歯医者さんにしぶしぶ行くことになっているぐらい。でもあのとき食べていたキャラメルはハイソフトじゃないからハイソフトは悪くない。


そんな今日、昼間に画像が送られてきた。彼からだった。
「これめっちゃ美味しい」
何か綺麗なパッケージのお菓子を持った彼の手。
「これなあに?」と聞くと新発売のキャラメルだそうだ。
またキャラメルか、と思ったけれど、彼のことは好きなのでたった今現在わたしの歯事情は話さなかった。だってかっこ悪い。口閉じてれば見えんし。

わたしはキャラメルではハイソフトが一番好き、と彼にメッセージを送った。ハイソフト、良いよね。おれも好き、パッケージもおしゃれだしやわらかいし。
知性を見せつけ合うようなやりとりをせずに、あくまでもやわらかく優しく会話を進められるから、彼のことが好きだ。やわらかさとは優しさはよく似ている。


「このキャラメル、ローソンで売ってたよ。ぜひ買ってみて。おれ、もう食べ終えちゃった」
「食べ終わるの早いね、きゃらめる君になっちゃうよ」
「それだけおいしいってこと。おすすめ」
「そんなにいっぺんに食べて、虫歯にならない?」
「きちんと磨けば大丈夫だよ」


このきゃらめる君め、虫歯になっちゃえ、と思った。
やわらかさとは優しさ。優しさとは甘さ。甘さは虫歯につながる。虫歯は痛い。優しさで、あなたも痛め。苦しめ。わたしだって差し歯抜けちゃったんだから。
わたしは好きな人の幸せを願う。でもそれと同時に、同じくらいの強さで、好きな人の不幸も願う。わたしの帰り道にローソンは無いので、スーパーに寄った。どうせ歯抜けだしどうせ虫歯になるんだから、とハイソフトを買った。ハイソフトは、やっぱりやわらかくって甘くて美味しい。ねえ、不幸を祈ってしまって、ごめん。でも、本音です。


<一時間たっても来ない ハイソフトキャラメル買ってあと五分待つ>俵万智