ピロートーク

やがて性愛

人憎まねば立ち直れぬのか

「…忘れちゃえよ 悪い犬にかまれたと思って」
「そんなこと言わないでよ 無神経ねあんたたち男って
じゃあ あんたは犬にかまれたことを忘れられるの?」

   
        『河よりも長くゆるやかに』吉田秋生


性にまつわることを一言つぶやけば、あっというまにRTやふぁぼは稼ぐことができる。レスには呟いたことに対する共感や称讃、話題によっては非難中傷や無茶苦茶な理屈の反論をぶっかけてくる人も居て、正直怖い。だからあまりに生々しい話はしないようにしているわたくし。
けれども、こういった漫画を読むたびにいつも言いたくなる。訴えかけはしなくても、つぶやくぐらいしたくなる。

性犯罪の被害者は女性だけではなく男性にもいる事実はあるし、性別に関係なくそれらは絶対に許されないことだ。性は、生きることや尊厳の根っこにある定義に似ているから、それを無理やりに侵すことはならない。とはいっても被害者は圧倒的に女性が多いってことも、きっと真実。

 

“チカン”と括られる人にはじめて会ったのは小5の頃だった。
日が暮れる前の時間帯、習い事の帰りの細い道が昨日降っていた雨で道がぬかるんでいた。おけいこバッグを持ったわたしは運動靴でぬかるんだ地面を踏み、ぐにゅぐにゅとした感触を楽しんでいた。誰かがすれ違ったな、と思ったらその人が後ろから抱きついてきて、何かを当ててきたと思ったら、あっちは逃げた。近所の子ども110番の家に走り、母を呼んでもらった。当てられたのは、たぶんスタンガンだった。厚着の季節だったから傷も残らず、しびれたりもせず、無事だった。

後日談としては、
防犯ブザーを持ち始めた(わたしの世代あたりから普及し始めた印象がある)、
学校で、教頭先生に呼ばれ面談をされた(犯人について、その後の心境についてなど。わたしはこの先生が一気に嫌いになった)
地域の通信に「5年生の女児童が変質者に遭遇した」といった警告文章が載った

しばらくはその道を歩くのが怖くて、通らねばならない時は走った。
数年たって彼氏とその道を通った時、もちろん何も起きず、そこにきてやっと克服できた気がした。もうあの道を怖がることは無いだろう、通ってもきっと何も起きないだろう、もう大丈夫。そう思えた。その彼氏と別れて、また数年たって家を引っ越した。あの道を通ることはもう二度となくなった。
でも、その各数年の間、また様々な嫌な思いをしてきた。電車内で触られたり、道で抱きつかれたり、夜道をついてこられたり、他にもたくさん。
こういった思いをしてきたのはきっとわたしだけじゃない。他の女性も(時々は男性も)あっただろう。


ただ克服した今でも思う。なぜあの頃のわたしは被害者にならなきゃいけなかったのだろう。あの道を恐れなければならなかったのだろう。ただの帰り道だったはずなのに、ただの幸せな少女だったのに。
ぐんぐんと身長が伸び始めていたわたしでも、他人から見たら、自分は弱くて小さい生き物に見えたということがショックだった。わたしの完全な幸福を身勝手に侵してきたあの人を、あの人たちを許しはしないし絶対に忘れてなんかやらない。相手がどれほどそれらしいことを言ってきても、わたし自身の危機管理能力を注意されても、全部、恨むことにしている。


おかげであれから十数年経った今のわたしはとても強くなり、幸せに暮らせている。けれども今だに恨み続けているし許していない忘れていない。以前読んだ人生相談で「自分が幸せなら他人の不幸など望まないはず、自分の幸せを考えよう」とあったけれど、わたしにはそれは無理。わたしは幸せになりたいのと同時に、あの人たちの不幸を全力で願う。出来るだけ不当に苦しんで不幸な道だけを歩んでほしい。

 

わたし個人の身勝手な意見だけれど、不当に自分の領域を侵してきた“チカン”を、絶対に許してなんかやらず、恨み憎しみ続けていいと思う。なぜ、そんなことは忘れてもっと前向きに生きなきゃならないんだろう。そんな不自然なポジティブが推奨されるのだろう。憎むことだって恨むことだって、十分に生きる力を与えてくれる。

冒頭のセリフは、男にむりやり「ヤられた」ことのある少女と、その男友達の会話だ。吉田秋生の漫画は好きだ。不自然さを強要してこない。
自分の幸せを考え、前向きに生きるためには、許せない奴は不幸になってほしいと思い続けたい。もちろん思い出すだけでしんどくなっちゃう人にはこの考え方は向いていないし、一刻も早く現在の自分の幸せだけを見た方がいいと思う。
だけれど、おかげで強くなってしまったわたしにとっては、「犬にかまれたこと」は一生のうちの大事件だし、噛み傷が消えたとしてもその事実は変えられないことなので、恨むしか、もう方法がないのである。わたしのその後の余生のためにも。


<人憎まねば立ち直れぬのかと弾きいて不意に涙あふるる>道浦母都子