ピロートーク

やがて性愛

われらかつて魚なりし頃

バイト先にいる魚にえさをやるとパクパク食いつく。その姿を見て驚いたことは、水面の辺りまで上がってえさを食べるのではなく、降ってくるえさに狙いを定めて食べることだった。
たくさんの量を食べたいのなら、水槽の上へあがって捕らえるのが良かろう。それを知ってか知らないでか、水槽の中腹(富士山でいうと、六合目あたり)に降りてくるまで捕らえないとは何なのだろう。
えさが降ってくるというと人間であるわたしにはぴんとこないところがある。
お米や小麦や野菜やお肉は地上で育まれたものを摘み取って頂いているし、お魚は海から引き上げて頂いている。果実なら背の高い木から成ることもあるけれど、基本的にどれも降ってくるものではない。

空からお米やパンや野菜の種が降ってくるという状況はどうも、わたしたちにはイメージができない。


野生のお魚じゃなくて、飼っているものだから、こうなるのは当たり前なのだけれど魚はどんな気持ちなんだろう。魚。サカナ、さかな。


わたしも太古は魚で、ようやくの思いで陸に上がって、哺乳類となって、人間になって、たくさんの輪廻をくぐりぬけてわたしになったことを思い出した。
わたしと魚は、遠い親戚だったんだ。そして、わたし以外の人々も同じに。


その数日後、デートで水族館に行ってきた。
きれいだねと言いながら色とりどり地球中の魚たちを見ていて、わたしたちの祖先を思った。
わたしも君も、何度もの輪廻をくぐりぬけてこうして生まれて出会ったんだねとも思った。(言わなかったけれど)
魚だったころわたしは何をしてどこらへんを泳いでいたのだろうか。
暑い国の海か、寒い国の海か、どこかの湖だったかもしれない。
えさは、食べただろうか。
何が好きだったのだろう、小魚かそれとも海草とかプランクトンだったか。
自力でとったのだろうか、それは上から降ってくるものだったのだろうか。

 

海のことはよくわからない。
だけれど、懐かしく思うのは気のせいじゃない。


「あっちゃん目をつむって口開けて」
デート相手の彼にそう言われて、言われるがまま口を開けるとあめを放り込まれた。
甘い。
えさが降ってくるとはこういうことだろうか。
だとしたらわたしは、わたし達は太古の頃から何も変わってないのかもしれない。誰かを好きになるってこういうことなのかもしれない。


そんな風に考えた。


〈われらかつて魚なりし頃か鱈比し藻の蔭に似るゆふぐれ来たる〉水原紫苑