ピロートーク

やがて性愛

それぞれの影を濡らして


かっこいい別れを演出するためにお習字を習いたい。

たとえば、互いに愛しあっているのに、別れを切り出さなければならない恋なんかだと理想的だと思う。
直接でなんてとても言えないから、サイドボードの上にあるメモに「さようなら」と一言書いて、わたしは早朝に部屋を出ていく。
少し遅れて起きた彼は、わたしの不在に気付いた後、そのメモを見て全てを察する。彼は立ち上がり、ブラインドの傍へ向かう。そして、昨夜とこれまでを思いながら、ブラインドを開ける。窓の外には一人で過ごすことになるこれからの朝がやってきている。そんな彼の姿には、煙草が一本あっても絵になるだろう。

要するにわたしの想像力は貧困そのものなので、こんなありきたりな別れ方に憧れ、その憧れの場面が訪れた時のためにお習字を習いたいと思っているのだ。


わたしの字は丸っこくて、大人っぽい字とはあまり言えない。下手ではないけれど、かっこいい別れの場面にふさわしい字かというと、そうでは無い。切なさが残る大人の恋の終わり、というよりも女子高校生が書いた手紙の字っていう感じだ。

試しに白いメモに「さようなら」と書く練習をしてみる。あまり真っ直ぐに丁寧書くと形式ばって見えるから、さりげなく見えるように走り書き気味に。斜めにずらしてみたり、縦書きにしたり、字のサイズを変えてみたり、様々な形の「さようなら」を書いた。
「さようなら」「さようなら」「さよなら」「さようなら」
今まで言えなかった分もこれから言う分も。文字の後ろに、誰かの顔の影がちらつく気がしたけれど、それも含めてお別れだ。みんなみんな、さようなら。
呪文を唱えるように書いているうちに、メモが「さようなら」で埋め尽くされてしまった。
こんなメモを人に見られたら、ギョッとされてしまうことを案じ、数個の「さようなら」を消した。フリクションで書いていて良かったと思った。消したはずの文字が、うっすら残っていることが気になった。

 

<それぞれの影を濡らしてわたしたち雨だった、こんな雨だった>井上法子

 

2017年下半期 読書記録

2017年下半期は、ほとんど資格の勉強に費やしたりしてたので読書はなかなかできませんでした。本棚の本を取り出して、久しぶりに読んだり、勉強の本を読んだりばかりでした。

てなわけで、初めて読んだ本で、よかったものは一冊だけ。

○昔々の上野動物園、絵はがき物語
明治・大正・昭和… パンダがやって来た日まで/小宮輝之(求龍堂

絵はがきがかわいいのはもちろんだけど、関東大震災や戦時下を動物たちがどのように生き死に、民衆に求められたりかわいがられたり、政府から扱いに困られたりしたかがよくわかって良い。

たとえば、気に入ったり心に残ったエピソード。
関東大震災後の復興中にライオンのペアをエチオピアから迎え、そのペアから生まれた二頭の乳母はブルドッグだったとか(ふたごのライオンはオスの方に“富士”メスの方に“桜”と名付けられたらしい)
キリンのペアーを育てるにあたって、冬は温めようとストーブをガンガン焚いたら、温まった空気は上に上がるので頭ばかりあったまってしまい、一年持たなかった経験が明治時代にあったので、昭和の時はその反省を生かして飼育したら繁殖や長生きに成功したこと、
太平洋戦争の猛獣処分にあたって一番犠牲になった動物はクマで、戦後に呼んだヒトコブラクダは蹄のクッション部分が固くなり歩けなくなってしまったので、獣医さんがラクダ用のクッション性のある靴を作って履かせたり。他にもたくさんあるけど、微笑ましかったり涙ぐんでしまったり。
事実を書く以上、明るい話だけではなく暗かったり悲しいエピソードもあるので、読んでてあっちらこっちら心が動かされて忙しかった。
読書できてないなぁ、もっとしないとなあ。

以上です。

渋谷から阿佐ヶ谷までの終バスに

渋谷が苦手という話。

都内の大きな駅はなんとなくイメージがつくけど、渋谷だけはどうしても何度行っても意味がわからない。

新宿もややこしいかもしれないがブロックごとにイメージしたら大体分かる。
東口はアルタや伊勢丹、少し行けば三丁目と歌舞伎町。西口は高層ビル群、南口はバスタがある。
池袋は東口と西口が分かればほぼ攻略。東口にはサンシャインがあって、西口には立教大と芸術劇場。北口は歓楽街。
上野ならどこから出たら何があるかイメージしやすい。上野公園方面、アメ横方面、あっち側から出たらパンダのでかいぬいぐるみがいる。
東京駅はあっちが丸の内でこっちが八重洲側。品川はあんまり行ったことないから忘れちゃった。


ところが渋谷。
これは常日頃言ってるんだけど、渋谷駅は江戸城に似てると思う。

ほら京都は碁盤の目状に街ができてるっていうじゃない。それと江戸城は真逆で、江戸城は、江戸城を中心に放射線状に街ができてる気がするのよね。図参照。

 

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それと同じで渋谷も渋谷駅を中心に街が組み立てられてて、訳がわからん。ハチ公側にいたつもりが少し歩いてたら別のゾーンに居る、みたいなことが多々ある。図参照。

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人と渋谷で会って、何食べる?とか〇〇ってどっちだっけ?とかなっても何一つ分からなすぎるからわたしは「渋谷よかロンドンの方がまだ案内できるレベルで渋谷は無理」と何も言えなくなる。ロンドン行ったことないけど。たぶんロンドンの方が案内できる気がする。

 

イラスト変だったらごめん。てなわけで渋谷が苦手です。一緒に行くことになっても何も期待しないでください。何も知りません。

 

<渋谷から阿佐ヶ谷までの終バスに揺られおり母の胎内おもいて>斎藤光

夜の浮浪の群に入りゆく

自分は人並みにきれい好きだとは思うが、潔癖症というわけでは全然無い。周りに自称潔癖症の人が何人かいるので、聞いたところ、多かれ少なかれこんな感じだった。


・自宅以外の便座に座りたくない
・人~他人がにぎったおにぎりは嫌
・洋服の貸し借りに抵抗有り
・温泉に抵抗あり~自宅のお風呂でも一番風呂がいい
・リップクリームの貸し借りに抵抗有り
・「一口ちょうだい」など食事に手をつける、つけられる
・電車のつり革には触りたくない
・バスタオルは家族共有では無く個別にしたい
・自分のベッドで人に寝られると嫌だ
・外に出る服と部屋着を分けたい
・ウォッシュレットは使いたくない
・寄せ鍋の直箸はされたくない
・旅館とかでのスリッパ共有が嫌だ


わたしはこの中だと「他人が素手でにぎったおにぎり」のみ抵抗がある。土井善晴先生が握ったなら別だけど。上記の項目を大きく分けると対外的・対内的の二つに分かれるのかな?
【知らない人が関わってるのは嫌だ系】か、【自分のテリトリーを守りたい系】みたいな?細分化しようとするとなかなか難しい。


わたしの友人のKさん(男性)はその中でもなかなかの潔癖症なため、上記のことは大体あてはまる。一緒に食事などしていても「ねえ これ こうやって食べようと思うんだけど大丈夫?」とめっちゃ気をつかうが、まあそれは他人と関わるってことはそういうことだよなとぐらいには思うし、それを抜きでもKさんとは仲良しのお友達なので、嫌では無い。(面倒ではある)

「じゃあ、友達の元カノと付き合うとかは平気なの?」と聞いたら「潔癖とかじゃなくてそれはなんか嫌だけど、ある程度はしょうがないよね」とのこと。まあそうよね。

「前に見たたけしの映画で、不良達が女の子を誘拐して集団レイプするのよ、みんなで代わりばんこで」「まわす、ってやつね」「そう、もちろんそれは犯罪なんだけど、それは出来るの?」

 

 

数秒間が空いて、一言。
「それは…できるね」

 


「てめぇ本物のクソヤローだな」
「冗談だって」
「全体的にもっとためらえよ このクソッタレ」
「だから、あっちゃん、これは冗談だって」 

 

 

 

とことん   とことん責めぬきながら、盛られた生ハムを箸でつついた。これは許された行為。だいたいね、こんな居酒屋で何か食べながらきれいに拘るなんてそもそも無理なのよ諦めなさい、そう言って、わたしは追加注文をした。ほらアルコール消毒じゃ、頭からかけてやろうか。やめい。やめんわい。ヘラヘラと、酔いながら。夜は汚くてとても楽しい。


<汚れたるヴィヨンの詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく>山崎方代

あの夏の数かぎりなき

京都の人は京都プライドがすごいから、「前の戦争」っていうと太平洋戦争じゃなくて『応仁の乱』をさすらしい、という話を聞いた。都市伝説?わたしは京都にあまり縁がないから「そうかあ」ぐらいにしか思わない。
京都市以外を京都と認めない、とか、都落ちという言葉に敏感という話は以前どこかで聞いたことあるけれど、まあその程度だ。この話が事実なのだとしたら、応仁の乱は相当凄かったんだろう。ただ、わたしは応仁の乱にあまり縁がないから「そうだろうねえ」ぐらいしか言えない。


仕事で雑談をしていたときに「あつこさんって震災の時何歳だったの」と不意に聞かれた。
文脈的にここでいう「震災」とは、東日本大震災のことだということは分かる。「なんと、わたし高校3年生だったんですよ」と言うと「若!!!!」とのこと。自分でもそう思う。若すぎる。
「大変でしたよ~卒業式も入学式も延期になるし、卒業旅行は中止になっちゃうし」とわたしは話す。相手も「私達は仕事してたな~~電車動かないから●●さんのところに泊めてもらったのよね」と雑談は続く。

東日本大震災が、「あの震災」として共通認識になり、みんなが思い思いにその時何をしていたかを話し出すのは、わたしは実は結構好きだ。不謹慎なのかもしれないけれど、みんなが「あの瞬間」何していたかを知れることは、地球の裏側とテレビ電話しているような感動がある。なんだか感慨深い。震災の影響や被災者や被災地どうこうでは無くて、ただただ、感慨深いのだ。

わたしは確か友達の家で卒業アルバムを見ていたと思う。実家の近くにいたから、帰るのには不便は無かったが、家に着いたら親からめっちゃ心配された。母はパートに行く途中の道だったらしい。仕事は中止になって家に帰ると、ニャンが部屋の隅に隠れて怯えている姿を見たと言っていた。かわいそうに、おおよしよし。

 

母に「東日本大震災の前、お母さんにとっての『あの震災』ってなんだった?」と聞いたら「阪神淡路大震災かしらね~~~あれは凄かったなあ」と言っていた。住んでいる場所や年齢や時代によって、「あの」は変わる。でも同じ「あの」を共有している間、わたし達は同じ方向を見つめている。それは、なんだか、とても凄い。

 

ちなみに今のところ一番感動している「あの」は、幕張で仕事をしていたというKさんだ。Kさんはその日、幕張のホテルの高層階で、お客さんへのセミナーをしていたらしい。Kさんが他の人に頼まれて、おつかいで一瞬ホテルから出たときに揺れたらしい。Kさんは、揺れる高層ビルを見つめながら「俺だけ生き残ってしまうのか」と思ったそうだ。

 

<あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ>小野茂樹

どこまでも本気でしたか


『話聞いてみると、そいついつも一人で飯食ってるんだって。やっぱり食事は家族でしないとね…』教師をやっている知り合いが「家庭環境が複雑な子」の食事事情の話を始めた。そんなことを聞いたからには黙っていられない。

「家族そろって食事をして、そこでコミュニケーションをとれるのが最高だとは思うけど、いろんな家庭があるんだから 出来ないおうちもあるのはしょうがない。一人ごはんだからかわいそうだ、という考えは、かわいそうがられた子どもがかわいそうだし、今後自分が子どもを育てる時に苦しくなると思う。」
「私たちが育ったころとは時代も違うし、働き方や家族の在り方も変わりつつあるはずだ。自分が育ったころを理想として今を生きようとすると歪ができるだろう」
「さらに言うならば子どもが孤独を抱えているのだとしたら、それの根本的な原因は食事が一人だから、では無いだろう。一人の食事は抱えている孤独の中の一部に過ぎない。もし家族の愛情を本人が感じられる環境に居たならば、一人の食事に感じるさみしさは今のものとは違うはずだ」

ここまでのことを一息で言う。
相手は納得したり顔をゆがませたりしながらこれを聞き「あっちゃん、教師になったほうがいいんじゃない?」と言った。「わたしは残業とか福祉の精神とか聖職者とかそういうマインドは絶対無理」と返す。

いろいろ問題が生じるたびに考えたり悩んだり行き詰ったりはするが
わたしの言いたいことは要するに「みんなが生きやすく生きられるように色々試行錯誤しよう」「現状で変えた方がいいことはどんどん変えていこう」だ。
わたしは詩や花や音楽や恋といった、美しいものが好きで、無駄なものを強く愛する。だからこそ、合理的や建設的と言われるような考え方を支持するのだ。それだというのに「あっちゃんはさ、なんか年々強くなってるよな、俺なんかそのうち負けて吹っ飛ばされそう」なんて言われてしまっている。ちがう。強くはなっているかもしれないが、好きでこうなったわけではない。
強くならなかったら、わたしは多分あの時に死んでいたと思う。そういう「あの時」がわたしには、ある。

理屈ばったことはいつもすらすら言えるのに、そういう自分のことはどうしても言えず、目をかっぴらいて、にじんだ涙を気合いでかわかした。

 

<どこまでも本気でしたか唇に滲み始めるあなたの轍>田丸まひる

「いま風をたべているの」

知り合いが第二子妊娠中らしく、わたしも嬉しい。第一子は坊やだった。産まれたての頃、わたしも抱っこをさせてもらったがとても可愛かった。今は2才になったそうだ。最新の写真を見せてもらったら健やかに成長しているらしく、この前までは赤ちゃんだったのにすっかり「ちびっ子」になっていて感動した。

「本当におめでたいね、坊やもお兄ちゃんになるんだね。嬉しいだろうね」とわたしが言うと「そうなの だけどだめなの」と言われた。な、何がダメなの、と心配したら話は続いた。

「坊やにね『ママのお腹には赤ちゃんが居るんだよ』って教えるじゃん」

教えるね。実際にいるもんね。

「そしたらね、坊や、なんか勘違いしたのか、人間のお腹には赤ちゃんが居るって認識したそうで、自分のお腹さわりながら「赤ちゃん!!!!」って言うのよ」

なるほど、となった。 坊やなりの理屈があり、「通した理屈」と「実際の状況」にギャップがあるところにおかしみや可愛らしさを感じ得る。微笑ましいが、ここで笑ったら坊やにとっては「????」となるだろう。そして、笑われたことに対して、戸惑いや疎外感を覚えることになるだろう。

 

少しだけ違うが、わたしにも同じような経験がある。

5才の頃、わたしはクレヨンしんちゃんが大好きで、漫画をよく読んでいた。漫画の中には、しんちゃん(5才)の母ちゃん、みさえは29才とのことだった。だからわたしは「同い年のしんちゃんの母ちゃんが29才なら、わたしのお母さんも29才なんだろうな」と認識し、わたしの中で母は数年間29才でいた。(母は29才のまま年をとらなかった。母は実際は32才でわたしを産んでいるので、そもそもが間違っていた)

わたしが1年に1歳年をとるように母も1年に1歳年をとる。永遠の29才なんて、ありえない。小学校にあがる頃、干支の話や世間常識としてようやく理屈をつかんで、母の年齢を更新させたが(29才の後にいきなり40歳ぐらいになったんだから全方位型の衝撃)、とにかく子供というのは自分の知っている知識だけで世界の全てを理解しようとし、更に自分のママとパパを基準に大人や世間を測るから無茶苦茶な理屈になりがちだ。そしてそれはカワイイ。(過去の自分含む)

 

兄と新幹線に乗っている時に、雑談としてその話をしたら

 「となるとあれだよな。Twitterとかで大炎上したり、他人に自分一方の理屈をリプライ飛ばす人ってのは子供と同じなんだよな」と言っていた。たぶんそうなんだとわたしも思う。

 

母ちゃん29才以外にも、わたしはいろんな勘違いをしていたが、今となっては全てが微笑ましい。坊やもいつか笑い話にできるだろう。「おれ、子どもの頃、人間のお腹の中には赤ちゃんが居るもんだと思ってたんだよ」なんて。笑いたい。でも、なんだか、笑ってはいけないような気がして、とても愛おしい。

 

<「いま風をたべているの」といふ吾子と自転車のベル鳴らしつつゆく>小野光恵