ピロートーク

やがて性愛

はじまりとおわりは

甘いものが好きだけれど、パンケーキに多くを求めてはいない。バターとメイプルシロップか蜂蜜があれば十分最高。
でも、おしゃれなカフェとかにあるパンケーキ達はいつも色々と乗っかっていて豊かで贅沢な気持にはなるけれど食べにくい。食べるのがとろいから、トッピングのバニラアイスクリームは溶けてケーキ本体がべちゃべちゃになってしまう。こんなべちゃべちゃパンケーキが食べたかったんじゃないのに、と自分が嫌になる。
パンケーキだけの話じゃ無くて、何においてもわたしはとろい。もっともっととスピードを求めていきたいのに、気が付いたら何も言えないでお話が終わってしまう。
のび太だって、のび太だってもっとテキパキと食べられるだろう。思っていたことをすんなりと話せるだろう。

会話やパンケーキだけならまだ良くて、恋愛でもいつも自分のとろさがきっかけで終わりに向かう。(そんなに恋愛経験多くないけれど)わたしが人とお別れをする際は大体同じパターンだ。

まず第一に、喧嘩や意見の食い違いみたいなものが起きる。
第二に、わたしは話し合って、解決策を見つけようとするから「どう思ってるの、考えを聞かせて」みたいなことを言う。
第三、大体あちらは何も言わない。(「分からない」「すぐには決められない」みたいなことをよく言われる)
第四、返事が来なかったり分からないと言われたものはしょうがないから、「考えがまとまったら教えてね」や「じゃあ○○なの?」と質問をする。
第五、わたしは返信まだかなあと考えている間に相手の気持ちが無くなるようで、連絡はぷつりと糸が切れるように無くなる。わたしは待ち焦がれたり苦しんだりするけれど、ゆっくりと心に占める存在感がフェードアウトされていって、それで、おしまい。

のび太はいいよなあ、とろいけれどドラえもんが居るもん。同じようにとろくてドジなのに何でわたしのところにはドラえもん来てくれないんだろう。ドラえもんさえ居たら、のんびりと返信を待つわたしに、「ここは追いLINEをするべき」とか「電話で話す作戦に切り替えだ」とか「この話題は一旦流して、明るい話に持ち込むんだ。次に会った時に明るく質問するべきだ」とかアドバイスしてくれるんだろうなあ。いいなあ。ドラえもんがいる生活は。
もうわたし個人の資質の問題なんだろうなとも思う。そういう風に持ち込んでしまうわたし。フェードアウトする傾向にある男性ばかり好きになるわたし。食べるのが遅いって分かっていても、華やかなケーキが見たくって、つい注文してしまうわたし。

ドラえもんが来ないまま大人になった今のわたしに残ったものは、アイスクリームでべちゃべちゃになったケーキと、紅葉狩りに行こうって言ってた空約束だけです。ああもうクリスマスになってしまいます。今日なんか東京は雪が降りました。紅葉ももう終わりでしょう。昨日気づいたんですが、べちゃべちゃになりがちスイーツは、パンケーキだけじゃないのよ。フレンチトーストもなの。知っていた?わたしは、また一つ賢く、一つ愚かになりました。

 

<はじまりとおわりはわたしが決めること檸檬は荷から床にころがる>中家菜津子

例えばスーパーボールのような

地元の友達と喋っていて、近況報告は済んでるしお互いのことなんて知り尽くしているので他人の話になる。


誰々が警察官になったとか、大手商社の営業に転職したとか、海外で暮らしてるらしいとか、結局大学院で博士課程とってるとか
あの子が結婚したとか、まだ彼氏ができないとか、Facebookで彼女との写真ばかりアップしてるとか
そんな感じの地元トーク。


「こういうさあ話って面白いしこの町で暮らす中で役に立つけど、もっと役に立たない情報を話し合おうよ。誰がどこに就職したとかは、その気になればそのうち知ることできるけれど、自分しか知らない話、皆さん無いの?」
と、わたしが無茶なこと言うと
仲良しの友人Aが
「あつこの求める話にそえられるか分からないけれど」という前置きで話し始めた。

「Bいるじゃん。私、中高一緒だったから結構連絡取り合ってて二人で飲んだこともあるんだけれど、Bは男がニューバランスの靴履いてるのは許せないらしいよ」

「そうそう そういう話だよ!!!」とわたしはAに握手を求めた。

そういう話なら、と友人Cが
「Bは大学生のとき〇〇駅の東口のスポーツショップでバイトしてて、D君がよくお客として来てたらしいよ」と教えてくれた。

君たちさすがわたしの親友だ分かってくれてありがとう俺たちずっと友達でいような、とわたしは友人達を褒め称えた。

役に立つ情報やためになることばかり摂取してたら、どんどんつまらなくなりそうで怖い、という話でした。
わたしは昔、Bのことが嫌いだったけれど、今回の一件でかなり見直した。だから余計な雑談は大切です。終わり。

 

<楽しくて役に立たないものがいい例えばスーパーボールのような>山本左足

楽しくて役に立たないものがいい

今年からカープファンになった。
そのことを兄に伝えたら「今年からってのがダサいよな」と言われてぐうの音も出ない。
兄はベイスターズファンなので「調子はどうっすか」と聞くと「まあ昨年よりはね」と言っていた。

ダサくても好きになっちゃったのはもうしょうがないので、来年以後も応援したいなあと考えている。

 

なぜカープファンになったのか?というと数点の理由があげられる
・友人らと見に行った観戦がとても楽しかった
・広島という土地が大好き
・奥田民生と吉田拓郎のファン
・はだしのゲンが愛読書
・「鈴木誠也」という選手が、わたしのよく知っている高校卒だった


「ひいきの球団も欲しいし、せっかくだからカープファンになろっかな」というノリで今日に至っているから、いわゆるミーハーだ。

でもわたしは何か好きになるとずーっと好きでいるタイプだからきっと今後もカープを応援するだろう。
ただ毎試合必ずテレビにかじりつくタイプでもない。ネットニュースや野球アプリで、試合結果を見るだけでも満足も出来てしまう。熱心なファンからは、にわかとか言われるかもしれない。まあそれは別にいい。


兄以外の人に、カープファンになったことを伝えると
「カープ女子なんだね!」か「カープ女子って言うと、カープファンって機嫌悪くなるんでしょ?」のどちらかの返事が来ることも知った。これは、なんだか面白い。

前者には「そうっす 自分カープ女子なんす」とわざとらしく照れる。わたしはカープ女子と呼ばれることに抵抗はないから気にならない。後者にはでも「そういう人もいるらしいですね〜〜でも分かりますよね〜〜」とコメントをする。この言葉に嘘はない。そりゃ前から好きだったのにポッと出の新人扱いされたらいい気はしないだろう。

 

何はともあれ好きなものは多いほど楽しいし、知識はあればあるほど良いと信じているので、カープファンになって良かった。

幸運なことに、カープがセリーグ優勝の可能性が今年は高いとか。こいつぁ景気がいいね。勝てばうれしい負けたらくやしい出来たら優勝してほしい、それで良い。ミーハーは最高に楽しい。ミーハーは生きやすい。人から何か言われても「でもなーんか、好きなんですよねえ」とケラケラ笑ったら、こっちのもんだ。好きにはいろんな形があっていいし、自分に都合の良い好きの在り方で続けていきたい。

 

<楽しくて役に立たないものがいい例えばスーパーボールのような>山本左足

 

ついでに、Wikipediaで爆笑問題の田中を調べると
「野球ファンで、子供の頃の憧れもプロ野球選手だった。特に読売ジャイアンツ(巨人)ファンであることが知られている。(中略)伊集院光によると「100対0で巨人が勝っても喜ぶ」(内容よりも試合結果しか気にしていない)ということであるが、最初は広島東洋カープファンであった。 」とある。わたし、これ凄く共感する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A3%95%E4%BA%8C_(%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E8%8A%B8%E4%BA%BA)

 

君の都合で決まる本当

フェチという言葉をよく見聞きするがどうも苦手だ。自分が何に興奮するかを語るのは抵抗があるし、語られると、その人と部位によっては、謎のセックス感にあてられてしまいぐったりと来る。


「あなたが好きだ。」
「だからあなたの体の部位の一つ一つも愛しく思う。特に愛着を感じる部位もある。」
「でもそれは、その部位すらもあなたであるから愛しいのであって、部位だから好きという訳ではない。」
「わたしはあなたの魂そのものを愛しているのだ。」
こういうことなら言えるけれど、“魂”とか言うと、それだけでひかれることもあるので注意しなければならない。


ではわたしにフェチは一切ないのかというと、そうでもなくって、わたしは名前というものにクラクラしがちだ。
「優子」「健太」「誠一」「真由美」みたいなメッセージ性の強い名前も好きだし、「奈々子」「茜」「遼介」「蓮」みたいな名前の由来が分かりにくかったり響きを重視でつけられた名前も好きだ。名づけられた背景や、友達や恋人からの呼ばれ方を空想しては勝手に好きになる。


Twitterを見ていてくださる方は分かると思うけれど、うちにはニャンがいる。ニャンは便宜上ニャンと呼ばれ記載されているけれど本名は実は別にある。でもわたしの本名をここで述べないように、ニャンの本名はここには記さない。
ニャンは基本的におっとりとした良い子なんだけれど、この前久しぶりに粗相をした。わたしはベッドの上を汚されてしまったため怒りたかったのだけれど、こちらの都合だけでニャンを怒るのはそれは筋違いだ。だから、説得をした。


「ニャンよ、よく聞きなさい。お前の名前は本当は◎◎◎◎だね」
「◎◎◎◎という名前には、強く優しく立派なネコになって欲しいという願いをこめられているんだよ」
「おまえは粗相をしたね、粗相そのものは悪いことじゃない。誰にだって失敗はあるものだから」
「でもね、ニャンよ。おまえには◎◎◎◎という名に恥じない立派なニャンになってほしいのだよ」
「強く、優しく、大きく…。ネコでもヒトでも、生き物の価値や男らしさというのはそういうところからはかられるものだと思うよ」
「分かるかい、ニャンよ。◎◎◎◎よ」

 

最初は抱っこをしていたが暴れだしたので(わたしは猫抱っこが下手だ)、途中から寝転がるニャンの前にわたしが正座して説いている。なーんだか変だけれどまあいい。わたしは偉そうなことを言っているがこれらのほとんどは嘘なのだ。
◎◎◎◎という名前には実は意味は無い。わたしの兄が、某猫マンガに出てくる可愛い猫ちゃんのキャラクターからパクったのだ。要するにこの説得は名前にかこつけた方便だ。今回は説得力を重視したので、◎◎◎◎という名前を都合よく利用させてもらった。名前に重きをのせる考え方は好きだけれど、所詮名前なんか何文字かの組み合わせに過ぎない呼称に過ぎない、という考え方もわたしは支持している。名前なんてものは素晴らしいものだから、意味なんてくだらないものは自分の都合に合わせて使い分ければいいのだ。
なにはともあれニャン(◎◎◎◎)がもう粗相をしないことを祈るばかりだ。

 

<本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当>枡野浩一

 

書架でわたしは迷わない

横溝正史の金田一耕助シリーズが大好きなんです。

高校生の頃にはまったのですが、地元の本屋さんやブックオフではメジャーどころしか売られていなくて。
「犬神家の一族」「八つ墓村」「獄門島」「本陣殺人事件」「悪魔が来りて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」どうしてもそこらへんばかりになってしまう。今なら、都内の有名な古本屋街に行ったり、ネットで買ったり出来るけれど、当時は高校生だったし。本屋や古本屋でにネチネチと探すぐらいしか出来なかった。


でもある日、わたしの高校の図書室はなぜか金田一耕助シリーズが充実していることに気づいて。「白と黒」「仮面舞踏会」「夜歩く」「悪霊島」あたりも置かれていて、大体そろっていたんです。何故だか分からないけれど、本当に充実していた。
それで、いざ借りようと本についている貸出カードを確認すると、真っ白だったんですよね。
ていうことは、今借りようとしている「わたし」以外、この高校では誰もこの本を借りていないということ。横溝正史の小説は、図書館に来てパラパラと読んで立ち去るなんてことは不可能だから、イコール誰にも読まれていない新品の本。

 


ジブリ映画の「耳をすませば」って分かりますか?あれ、いいですよね。少女が図書館で借りた本のカードを見ると、いつも自分の前に同じ男子の名前があるんですよ。名前は「天沢聖司」。良い名前ですよね。詩的。
少女は、だんだんと見たことも無い「天沢聖司」が気になってくる。その後に実際にその男子と出会って、最初は反発するも仲良くなって、好意を寄せあうようになるんですよね。まあ、読書好きの少女にとってあれほどドリームなお話はありません。


もちろん当時のわたしも「よっしゃ!!やったるでえ!!!」と、横溝正史相手に誰かの天沢聖司になろうとやる気が湧いてきたんです。しかしね、半分も読んだところで気づいたんですが、わたしが通っていたの女子校なんですよね。どう考えたって運命の人に出会える訳がない。それに、わたしなら、横溝正史の小説ばかり読んでいる女子と運命的な出会いなんて絶対にしたくない。
でも気づいたときにはもう遅くって、貸出カードの名前は既に自分で埋まっているし、だいたい読み終えちゃったし。もうここまで読み終えたら、出会いとか関係無しに「読みたい」「読破するぞ」の方が強くなって来てた自分に救われたりしました。


何が言いたいかというと、わたしは探偵になりたいんです。
それでいて、難解で複雑な殺人事件なんかを華麗に解決したいんです。でも現時点ではそうはいかなくって、ニュースで複雑な殺人事件を見るたびに「ああああの場に居合わせられたら」、解決するたびに「先越された!」とハンカチを噛みしめているのです。てなわけで、難事件が起きましたら解決するのでぜひご連絡ください、ということです。


ついでに、金田一耕助シリーズなら「夜歩く」がマイベスト。鳥肌立ちました。おすすめです。

以上。

<夕暮れの書架でわたしは迷わない ひとさしゆびで本を引きぬく>中家菜津子

にんげんの世なのでこんなに

「お化けより本当に怖いのは人間」みたいな発言をよく聞くけれど、わたしとしてはお化けの方がマジで怖い。だって、人間相手ならたとえば地の果てまで逃げたり警察に相談したり監獄行覚悟で相手を殺すとかの対策が練られるけれど、お化けはそうはいかない。物理的社会的に逃げても、お化けは問答無用で追いかけてくる。お化けが超こわい。

でも、幸運なことにわたしには霊感がちっともない。電車で横に座ってきた人の足が無くても、顔の無い男に付け回されても、すりガラスの向こうに髪の長い女のシルエットがあっても多分気づかないだろう。そんな自分のことは結構好きだ。

 

 

 

怪談好きの仲良しの先輩がいる。しょっちゅう一緒に遊んでおり、展覧会に行ったりお茶したりお祭りや古本屋や寄席に行ったり、互いにおすすめの本や漫画を貸し合う仲だ。先輩はわたしのことを「あつこ」「あっちゃん」等ではなく「あつ子」と呼ぶ。

 

そして先輩はわたしにやたらと怪談の本を貸してくる。「僕が怖いと思ったやつに付箋つけておいたから。あつ子も照らし合わせてみ」と有無を言わせない。

わたしもわたしで借りた本を律儀に読んでは、どのストーリーが良かったかメモしては報告をする。その先輩は怪談を話すのも好きで、喋りもなかなか上手い。でもわたしは上記のとおり怖がりなため「超面白いけれど本気で怖いから最後は爆発オチにしてくれ」と事前に頼んでいる。先輩は快く了承し、爆発オチ怪談をしてくれる。怪談を聞くことそのものは、わたしも好きなのだ。

 

 

ポルターガイスト現象が起きるアパートがいきなり爆発したり、部屋に侵入してきた男が触ったであろうドアノブが爆発したり、百物語をしていた人たちの一人が話のラストでいきなり立ち上がって爆発したり。これまで様々な爆発オチ怪談を語ってもらった。どんな恐怖怪談でも爆発オチになると、その唐突さに笑えるので、わたしはなんとかここまでやれて来ている。とはいえ、オチる前の話はやはり怖く、いつも早く爆発してくれ…と祈りながらゾクゾクと話を聞いている。

 

先輩によって怪談の量をこなしているうちに、ある種のパターンを覚え、最近は謎の霊感が備わってきた。

夜、一人で帰ったりしていると「これは後ろ振り返ったら霊がいるパターン」エレベーターに乗ると「これは次の階のエレベーターホールに血まみれの女がこっちを睨んでくるパターン」と覚えたての怪談を自分の実生活に置き換えるようになってきてしまい、大変怖い。

 

「先輩のせいで逆説的霊感が備わっちゃって生活に支障きたすんですけどどうしてくれるつもりですか」とクレームをいれると「爆発オチにしたらいいじゃん」と言われた。仰るとおりだけれど、これじゃあわたしが爆発する可能性の方が高い。霊に襲われるのも嫌だけれどオチのたびに自分が爆発するのも勘弁してほしい。

 

「いいじゃん、霊感。備わったらさあ、話してよ。怪談聞きたいな」と先輩はのんきなことばかり言うので、いつか本物の霊感が備わって本気で怖い思いをしたら、登場人物を先輩に置き換えて爆発させてやろうと思う。

 

<にんげんの世なのでこんなに木がしろくたゆたゆたゆと揺れています>阿木津英

やくざ死す

会社で一人残業している時に、別の部署のカッコいい先輩が来る。
「頑張ってるね、大変?」と、自販機で買った飲み物を差し入れしながら聞いてくれたら、何て答えるのが正解か?

 


具体的でありきたりなシチュエーションを例に出して、なんかモテる友人に聞いてみた。

「はい、頑張ってます。でも、ちょっと悩んでいて…って目を伏せるの。そうしたら、今後その先輩が気にかけてくれてるようになるでしょう。それで相談したいことがある、って連絡先を交換するのよ。そしたら外で会えるようになるわよ」と。


わたしは駅前のチェーン店のコーヒーショップで絶望した。

「そんなの…ズルじゃん!!!!」と言うわたしに、彼女は「物の言い方って大切よ」と笑う。
わたしならきっと「ハイ!頑張ってます!しんどいですけれど、どうにかしなきゃっすね!何とか22時までには終わらせたいっす!!!」と答えてただろう。反応が体育会系。
「体育会系だって恋がしてえよ」とわたしは意味不明の涙を流すことになった。

 

そういうわたしも男の人とお付き合いをしたり好意を寄せられたことが何度かあるので、そういった反応が全てでは無いということは分かっている。でも、要するに、モテるタイプではないし、【そういうモテ方】をしたことが無い。

【そういうモテ方】をする人は、どこにでも一定数居る。そして彼女らの彼氏は、クラスメイトやバイト先の人やSNSを通じて会った人、とかでは無く「カード発行センターで担当してくれたお兄さん」や「学校の先生」や「公園で知り合ったバンドマン」みたいなことが多い。
わたしとしては「知りあうことは出来るとしても、どうして付き合うって流れになるの???」と疑問でしょうがなかった。で、ようやく出た答えの一つが上記の“弱みを見せる”らしい。

 


この前「その男、凶暴につき」を見たんです。北野武初監督作品の映画。タイトルどおりバイオレンスシーンが多いんですが、わたし、いたく感動してしまいました。
それでね、好きな彼に、たけしのこと。話すじゃないですか。

「この前、たけしの映画見たのよ。それで、たけしが凶暴な警官の役なのよ。それで、麻薬の売人の男を殴るシーンがあって。『おい、この野郎。バカヤロウ。ええ?ああ?こっのバカヤロウ。』って殴ったり蹴るの。相手がうずくまっても構わず乱暴するのよね。いやあ、いいわあ。映画って心や体の動くところを映し続けるのが基本なんだなあって思っちゃった」

手を拳にしてエアーパンチをしつつ、たけし風に首をクイって横に曲げ、映画を観たときの感動を相手に伝えるために、精一杯まねをした。

そしたらさあ「面白いし俺はめっちゃ好きだけれど、あっちゃんがモテない理由はそれだよね」と言われたんですわ。はあ~~~あ!これです!!!!これまでは自分の言葉づかいが体育会系だからだと思っていたのですが、たけしの物真似。正確に言うと、「たけしの物真似をする必要も無いのに自らしてしまう姿勢」が原因だったそうです。もうこりゃどうしたら良いのかますます分かんなくなってきた。バカヤロ!!!ていうか20歳も何年か過ぎて今更モテも糞もあるかってんだい。コノヤロ!!!こちとら江戸っ子でい!!!!ダンカンバカヤロー!!!

 

<やくざ死す故郷の空の青も見ず>西村恕葉