ピロートーク

やがて性愛

わが生きざまのごとき灯が

「ダメな大人」の影響力はすごいという話です。


知ってるかもしれませんが、わたし、たけし映画が好きでして、昨年の頃に『菊次郎の夏』を見たんですよ。
見てない人のためにおおざっぱにネタバレ抜きであらすじ説明します。


小学3年生の少年、正男は東京の下町で祖母と暮らしています。
正男は小さい時に父を亡くし、母は遠くに働きに出てると祖母から聞かされていました。
夏休みが始まると、祖母は日中は仕事、友達は家族旅行、通ってるサッカークラブは夏休暇になってしまい、正男は暇で寂しい気持ちになります。
そんなあるとき、正男は箪笥から母の写真を見つけます。その写真には母の住所(愛知県豊橋市)も書いてあり、正男は母に会いに行くことを決めました。
祖母の友人のおばちゃんが「子ども一人で行くのはあぶない」と、おばちゃんの夫のチンピラ中年である菊次郎(ビートたけし)に、同行させるようにします。
こうして正男と菊次郎の旅がはじまります。

 

背中に彫りもんがある菊次郎は ハッキリ言ってろくでなし。
正男の所持金やおばちゃんから渡された旅費は競輪につぎこむし
競輪で得たお金はキャバクラや酒につかうし(正男も連れて行く)
窃盗、当たり屋、自動車泥棒、たかりは当たり前。菊次郎が夜、酒を飲んでいる間、正男は放っておかれて変態ジジイにパンツ脱がされそうになるし。(なんとか未然に防げたから良かったものの)

いろいろあって、菊次郎との旅がおわるころ、正男は映画の冒頭とは比べ物にならないほど良い表情をしている。そして映画を見ていた人たちは「ああ この旅は正男にとって良いものだったんだなあ」と思うことが出来るようになっている。


菊次郎の夏』の話はここまで。ここからは山田洋二の話をする。
山田洋二監督作品、映画『おとうと』は、鶴瓶演じるろくでなしの弟と、しっかりものの姉(吉永小百合)の家族愛の話なんだけれど、公開されたとき、プロモーションで吉永小百合が「どこの家庭にもひとり、こういう人(鶴瓶演じる弟)がいるものでして…」と語っていたことがとても印象的だった。
「うちだけじゃなかったのか!!!!!」と。
わたしの一族にも、「ダメな大人」がいる。わたしの家族含むみんな、その人に迷惑をかけられてきて、変な苦労をしょったり心配をしてきた。だが、それはわたしの家に限ることなのかもと思っていたが、吉永小百合の家族にもいるのなら、わたしの家族にいるのは何も不思議では無いなと悟った。


そう。ダメな大人ってのは一家族にひとりはいる。
そして、その存在は良かれ悪かれ子供にすごく影響を与える。


わたしとわたしの兄はかなり影響を受けた方だと思う。わたし達は子ども時代、その人のことを「優しくておもしろいおっちゃん」として慕い、遊んでもらったり色々なことを教わったりして、大きな影響を受けて育った。
今考えるとあのおっちゃんは、世間的に見たら「ダメな大人」だったのだと思う。でも、だからと言って、わたしたち兄妹から遠ざけるべき悪いものだったかというとそれは絶対に違う。あのおっちゃんが居たからこそ、今のわたしや兄があると思うし、受けた“悪影響”なんかどうってことない。

同じく山田洋二監督の『男はつらいよ』の寅さんだって同じだ。寅次郎はけっして立派な大人とは言えないだろう。でも、さくらの息子の満男は寅さんを慕い、成長するにあたって大きな影響を受ける。


子どもの時こそ気づかなかったが、立派な大人になるのは意外と苦労する。
きちんと働いてお金を稼ぎ、できれば家庭を築き、安定した暮らしをしていくこと。なかなか思うようにはいかないが、かといって、アウトローに生きるのはもっと大変そうで覚悟が必要だ。だから、大人は映画で、自分のサイドストーリーとしてダメな大人像を求めるのかもしれない。寅さんを見て涙するのは、きっと、自分とは全然違った生き方だけど、根っこのところに自分が持っていたい純粋な優しさがあるからだ。
そして子どもが親戚のそんな人に惹かれるのは、その人から感じる優しさや楽しさが、子どもの感じる波長に合うからかもしれない。周りの大人とは違う生き方をしている人は、子どもにとって可能性のひとつであると同時に、自分の延長線上の存在に感じられるから身近に思えるのだと思う

 

さて、アウトローに憧れても成り切れず、だからといって立派な大人にもなれる自信がないわたしは、せめて優しい人になろうと、柔軟剤を目盛り以上に入れて、洗濯機を回す。

 

<ぶざまなるわが生きざまのごとき灯が冬の運河に映りて揺れぬ>道浦母都子