ピロートーク

やがて性愛

思ひ出に折り目をつけて

1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、4月は?

 

うーん、と唸った。
「しゃあない?」
それじゃなんか諦めてる感じ
「しょうもない」
やめなよ4月がかわいそう
「粛々と」
それだ

 

そんな会話を交わしながら、桜並木を並んで歩いた。
粛々と、四月が過ぎて行こうとしていてなんとも心地よい。
「2016年も4分の1が終わっちゃったよ」とも言われたけれど、いいじゃんそれはそれで、とわたしは返せた。
4分の1も終わっちゃった、から。
今だから言えるけれど、2015年はわたしにとって本当にろくでもない1年だった。
良かったことを思い出そうにもひとつも出てこない。何度「今年が厄年なんだっけ?」と調べたことだろう。厄年でも無いのに、一年の間でここまで不幸が集中して訪れるとは、神様(そんなものはいません)は幸不幸の配分をてきとーにやったな、と睨んでいる。
 

わたしの言う“不幸”なんてたかがしれていて、要するに恋愛の話だ。
何があったのかは割愛するが、傷ついたあまりに、仕事が終わった後まっすぐ帰ることはせずに、寄り道に勤しんだ。
わたしの中にまだ生きていた(もしかして突然連絡が来て会うことになるかも)なんていう淡い期待と、何かきらきらしたものでも見たり買わなきゃやってられない、というふらふらの心と、駅に隣しているファッションビルに毎日通った。仕事が落ち着いている時期だったので、それこそ一か月程。
(ここまで傷ついても、会いたいと思って期待してしまうのがわたしの性分なのだろう)

ビルの中のアクセサリー屋には、ピアスにネックレス、髪飾り、ブレスレットなどきらきらしているものがひしめき合っていた。
指輪が欲しい、と思った。
 

身を飾りたてることは、威嚇や祭祀的な祈り、身を守るための本能から来ているとどこかで聞いたことがある。その時のわたしは何かすがるもの誓いを立てるものやわたしを守ってくれる確かなものが欲しくてたまらなかった。手ごろな指輪があったのではめてみた。
ゴールドのシンプルなもの。少し窮屈だけど丁度良かった。値段は2,000円。身を守るなんて安いなあと思いレジに並んだ。

 

それから少しの時間が過ぎて、わたしの心もいくらか冷静さを保てるようになった。いつも落ちこんで泣いているほどわたしも暇じゃ無いし、何しろ白けてきた。白けた気持ちになった頃にようやく以前のように連絡をとりあうことができるようになった。
会おうよ、ということになって約束をとりつけた。じゃあ19時に新宿の、前待ち合わせたところでいい?といざ会おうとするとそれは簡単なことだった。寄り道先を変えるだけ。待ち合わせには、買った指輪を左手薬指にはめていった。
「あ」と気づかれたから、何か聞かれる前に「買ったの」とだけ言った。
その人は何か言いたそうに目をぱちぱちさせていたけれど、話は続かせなかった。
 


それからまた何事も無かったかのように毎日が過ぎて行って、わたしはその人に会うたびにその指輪をしていってる。もう何も言われなくなった。会う時にしかつけないけど、毎日つけていたら跡が残るのかしら。
過ぎていない時間のことは分からないし、過ぎた時間のこともよく分かっていない。
辛すぎた日々は颯爽と過ぎて行っちゃったし、4月も粛々と進み、5月へ向かおうとしている。


では5月は、轟轟と?
じゃあ6月は???


早いこと時間なんて過ぎていって、老婆になってしまいたい。
さすがにその頃にはわたしの傷も癒えているだろう。何かにすがりつかなくても平気なぐらい落ち着いているだろう。わたしの知り合いもきっと皆死んじゃっているだろうから、もうあの人に傷つけられることも無いし、悲しかったことさえも都合よく思い出して、うっとり懐かしめるだろう。

もっと時間よ過ぎてしまえ、早く全部思い出になっちゃえ。そうじゃなきゃやっていけない。

 

<思ひ出に折り目をつけてたたまむか夏の真白きドレスを仕舞ふ>栗木京子