ピロートーク

やがて性愛

われら鬱憂の時代を生きて

オッサンとは大河ドラマが好きだ。


わたしの父を見ていると、つくづくとそう思う。人はオッサンになると(もとい齢を重ねると)、時代という自分の手ではどうしようもできないような大きな枠に惹かれるのだろうか。それとも、今生きている現在から遠いものに目を向けたくなるのだろうか。わからないけれど、オッサンとは大河ドラマが好きな生き物だなあと思う。

かくいうわたしも今回初めてそれにはまってしまい、日曜日夜9時半にはもう次の日曜の夜8時を楽しみにしている。母親に「あんたまで!」と驚かれるようになった。
「堺正人ファンだったっけ?」という問いには否定しながら「そういうわけじゃないけど、なんか面白くて」と答える。

 


にしても、と。


「毎年毎年録画して見て、お父さんって大河好きだよね」と母に言うと


「お父さんっていうよりも、男が好きなのよ」と返された。なるほど、と一緒に飲んでいたお茶のカップを片付けに台所へ立った。わたしも並んで立ち、シンクにカップを置いた。
「歴史は男がつくってきたからね」と言いながらカップを軽く水洗いし、母は食洗機に入れていった。さっきとは違う気持ちで、なるほどと思った。台頭してきたのは確かに男ばかりだ。歴史の教科書を見てもその差は明らかだし、何年かに一度大河ドラマで女性が主人公の話があるけれど、やはり歴史そのものを動かしているのは男達だ。母は、なかなか鋭い人だと思う。一瞬ひやりとした。

 

母は、

短大を出て地元で就職して父に出会って結婚をして、

寿退社して兄やわたしを産んだあとにパート勤めをして現在に至っている。

毎日毎日家族の洗濯や食事の準備、掃除をして、週に何回かはパートタイマーで数時間働き、時々は趣味の旅行や映画を楽しむ。多分、この世代の「お母さん」や「妻」をやっている人の中ではかなり平均的で(おそらく平和な)暮らしをしている方だろう。状況や個人の資質や時代は少しずつ違えど、わたしも多分似たような人生を歩むのかなあという気がする。いつか、結婚して子供を産んでまた働いて毎日家事をして時々は自由な趣味の時間を持って。

そして多分、歴史に名前は残らない。わたしも母も。

 

当たり前のことを言うけれど

歴史や教科書に名前が残るような人なんてほんの一握りにしか過ぎない。わたしと母だけじゃなく親類一同歴史に名前を残すようなことは起こらないだろう。分かっている。残したいわけでは無い。

 

母は、

どんな気持ちで「歴史は男がつくってきた」と言ったのだろう。多分、何も考えずに不意に出た言葉だったのだと思うけれど、女としておそらく真面目に生きてきたこの人も、たぶんこの調子で真面目に生きていくわたしも歴史にはきっと残らない。居なかったも同然のまま一生を終える。代替可能なわたし達。

だからと言って適当にちゃらんぽらんに生きようなんてシフトチェンジできないのが人生だ。真田信繁にも信長にも家康にもなれないしなるつもりは無いから、平成の世の中、小さな小さな自分の世界や家庭を城壁で守り王国を築いていく。そうして明日以降また生きていくし、小さな小さな時代を積み重ねていく。おそらくは、多分は。

 

<われら鬱憂の時代を生きて恋せしち碑銘に書かむ世紀更けたり>山中智恵子