ピロートーク

やがて性愛

それぞれの未来があれば


昔から約束を反故されることが多かった。

「土曜日遊ぼう、電話するね」「○○しに行こう、日曜に××駅集合で」「今度の水曜日空けておいてよ、△△に連れて行ってあげるよ」

 


どの約束にもワクワクして楽しみにして手帳にメモする。
そして電話を待つ、駅に向かう、他の約束を断り空けている。
いつもいつも何も起こらない。
土曜日一日家に居て待ってても電話は鳴らなかったし、駅に向かって集合時間についての連絡がいつ来てもいいように準備していてもグループラインは沈黙を守りこんで、空けておいた水曜日は「ごめん、忘れていて。仕事入れちゃった」と言われる。

なんだろう何か悪いものでも憑いているのかしら。
わたしがあらゆる口約束に期待し過ぎ・本気にし過ぎなのかしら。
それとも、みんなわたしが思っているほどわたしとの約束を楽しみにしていないのかしら。

 


「江の島に行こうよ」と最初に言われたのは昨年の秋だった。
「鎌倉の鶴岡八幡宮では冬期限定で警備員が赤い服着てるんだよ。ロンドン守衛みたいなやつ。
かっこいいんだよ。それで、江の島で食べ歩きしよう。あっちゃんそういうの好きでしょう?」
「いいね、行こう行こう」

手帳につけられたしるしの、その2日前。
明後日だというのにちっとも話題に上がってこないのが心配になって聞いてみると、
「ごめん忘れていた。仕事入っているんだ」と言われた。(案の定)(お約束のせりふ)
「ごめんね、もう少しあたたかくなったら行こう」
「そうね」
まるまる空いた一日は、一人でアップルパイを食べにカフェに行った。


それから何か月か経って、わたしは訳ありで情緒不安定な時期を過ごしていた。
「辛いときに一緒に居てあげられなくてごめん。
これから1ヶ月会うことできないけれど、今抱えてる仕事さえ手を離れたら、今度こそ江の島行こうよ。
江の島は猫がいっぱいいるんだよ、あっちゃんそういうの好きでしょう?」
「うん、好き」

1ヶ月の辛抱、と約束の日にちを逆算しながらめそめそ暮らす日々にも飽きてきた頃、再び日にちが迫ってきてるというのに話題に出てこないことを恐れて問うてみる。
「忘れていた、本当にごめん」「仕事のアポ入れちゃったんだ」「ごめん」


「もう、いい」
(わたしは一人でアップルパイを食べにカフェに行った。)

 

やっと江の島に行けたのは、先月のゴールデンウィークのことだった。
「今度こそ行こう、絶対に行こうよ」という彼の熱心な誘いに、わたしは「そうね、行けたらいいね」とだけ返事をした。
(この会話のあと、アップルパイがおいしいお店を検索した)

 

とても良い天気で、わたしはお気に入りのワンピースを着て、江ノ電に乗って。
あらかじめ二人で買ったビーチサンダルをはいて浜辺を歩いたり足を浸してみたり、洞窟に入ったり、野良猫の写真を撮ったり、甘味処に入ったり。


楽しかった。

 

楽しかったのだ、本当に。


帰り際、終電ギリギリの小田急に乗っているとき涙があふれてきた。

約束を忘れられていたことに気づいたときも、会えないでひたすら待った1ヶ月の間も、馬鹿みたいにめそめそめそめそ泣いていたけれど、どれとも違う涙だった。


自分が死んでしまった、気がしたんだ。


約束をしたとき、江の島で遊んでいる楽しいわたしたち、のイメージが現実になることが嬉しかった。
だめになったとき、わたしはアップルパイを食べて憤りながら涙を流しながら、本当なら今頃楽しく遊んでいたのだろうなと考えた。


行きたくてしょうがなかった江の島の一日が終わろうとしている今、

約束を心待ちにしていたわたしも
会いたくて会いたくて、寂しかったわたしも
空想の中で幸せに遊ぶわたしも、
みんないなくなってしまって、残っているのは楽しい思い出を胸に、帰る現実のわたしだけで。


この先に未来なんてとてもあるように思えなくて、ぼろぼろと涙が出てきて。


横で眠っている人も、途中からわたしの様子がいつもと違うことに気づいたようで、手を握ってきた。
「明日仕事なんだ、お泊りできなくてごめんね」と謝ってきた。
ちがう、別れが惜しいんじゃない。一人が寂しいんじゃない。
かわいそうなんだよ。
誰が?
過去のわたしが。

 

お別れを告げなければ、いけないな。
約束を二度(二度も!!!憤怒!!!!!)忘れられたことで信頼が下がった、というのもあるけれど、この先、自分の内側にこれ以上の死者を出すのだけは勘弁願いたかったからだ。
後日、そんなこと考えながらカウンターに並んで食事をしていると声をかけられた。
「あっちゃん」
「ん?」
「牛とか馬とか、好き?」
「好きだよ」
「今度牧場連れて行きたいなあ、あっちゃんが馬とかポニーに乗ってるところ見たいなあ。絶対楽しいよ」


「そう、だね」


隣合わせているというのに、顔を直視できなかった。
でもそれ以上に、何も言うことが、できなかった。


<江ノ島に遊ぶ一日それぞれの未来があれば写真は撮らず>俵万智