ピロートーク

やがて性愛

いまさら純潔など

果物の持つ魅力は甘さとかの味覚云々よりもみずみずしさだと何より思う。

果物のことは詳しくないのだけれど産地によって糖度とか皮の硬さとか、そういう違いってあるのかしらんって考えているうちに、いつも食後のデザートの皿は空になっている。

物足りないくらいがちょうどいいのだっては分かっている。けれども四六時中ビタミン不足のわたしは、次いつ食べられるのかも分からないし、そもそも生活に果物を自分の意志で加えられるほどの余裕が足りていないのだ。

たとえば卵の持つ「凄さ」はイコール命そのものだろう。
もう少しどうにかしていたらヒヨコちゃんだったあの楕円が、卵と化したという、命そのものを頂いている感はある。
じゃあ果物は?と考えると、これも命に近いものを感じる。
でも卵ほど、直結していない。
果物を渇望するこの“感じ”。

 

何億年だか前には、わたしたちはヒトである前にサルだったのでしょう。
そのずっとずっと前はもっと両生類みたいな生き物で、更に前は魚みたいな、その更に前はプランクトンかなにかだったのでしょう。
陸に上がったからこそ食べることができたもので、生まれ故郷の海を思い出させるんじゃないかな。
水から離れたから果物の持つみずみずしさに感動や共鳴できているんじゃないかな。


果物の持つあの球体は宇宙だ。
宇宙の中に水を容れてまあるく己を保っているあの重さが、外側の確かさと内側のもろさがわれわれの感性にツン、と来るのだろう。


あの、水分をぎりぎりの個体に保った姿に。甘さを皮で隠しながらも口に含むとあふれてくるところに、生命力とエロスを感じる。生命力とエロスは=で結ばれる。


いつだったか前に、泊まる前にコンビニで買い出しをした。(誰とかは察しろ)
ペットボトルドリンクと、アイスだか何だかをその人はわたしの意向を聞きつつカゴに入れていった。
なんとなくわたしは手持無沙汰でコンビニ内をうろうろし、新作のドリンクやコンビニスイーツを見ている。
「あつこちゃん、パイナップルとマンゴーどっちが好き?」そう聞かれた。
どっちでもいい、そう思ったけれどこの前親戚から送られてきたマンゴーが美味しかったことを思い出し「マンゴー」と答える。
じゃあマンゴーにしよう後で食べようね、とその人はレジへ向かう。


あとはもうご想像のとおり。
一仕事(???)終わって、布団にくるまれながらさっきまでの行為を足りない頭でひとつひとつ思い返してみると、横にごろんしていたその人は立ち上がり、備え付けの冷蔵庫からパックの果物を出す。
はい、あーん
雛鳥のようにわたしは口を開ける。
今すごくバカ面こいてるんだろうなと思いながら咀嚼すると、冷やされていたマンゴーが口の中でじんわりとにじみ出るように甘さと水分を放っていく。

「すごく美味しい」

思わずそう言うと、その人は嬉しそうな顔をした。きっとわたしのことがかわいくて仕方がないんだろう。
違うんだ、そういうことが言いたいんじゃない。そう言ってやりたかったけれど、おいしいのには変わりなくて、わたしは布団にまた顔をうずめ、自分の体を触り、確かめてみる。


これが胸、ここがおなか、脚、うん、肉体がある。大丈夫。
一つ一つ確認して、太古の地球の姿を思った。
海と呼ばれるものの中には、今では見ることのできないような殻みたいなものに包まれたエビだかカニみたいな生き物や、変な触角をもった魚がいる。
陸と呼ばれるものの上には、よく分かんない水陸両用みたいな生き物や、色鮮やかすぎるほどの鳥や、サルだかサル未満の生き物だったわたしたちがいるだろう。
恐竜はいるのだろうか。
我々は二足で立ち上がり、鬱蒼としたジャングルに入っていく。
空腹に気づき、樹の上になっている鮮やかな実をもぎる。口に入れる。


甘いだろう
みずみずしいだろうな

セックスと生きることと死ぬことは良く似ていて、ときどき間違えてしまいそうになる。
どれかを渇望するときに、同時に別のものも求めてしまうことがある。
(あ   くだもの)
自分がどこからやってきてここまで人間をやってこられたのかを思い起こすきっかけになったのが、わたしにとってそのマンゴーだった。
そしてまだ背丈の足りないサル未満の生き物だったわたしたちの祖先が、木の上になる果実を憧れ求めたことを、子どもの頃の出来事のように懐かしく思う。


(夏みかん酸っぱしいまさら純潔など)鈴木しづ子