誰もさわれない二人だけの国
春に異文化コミュニケーションという授業で、アイヌ民族について学んだ。
アイヌ語かアイヌ語じゃないのかは忘れてしまったが、
十数年前の調査によると、ある言語を喋られる人は二人しか居ないと、先生が話をした。
その二人というのも、その当時で既におじいちゃんおばあちゃんだったから、今ではもう居ないかもしれない。
言葉を、言語を持つというのはその文化世界を獲得するということだと聞いたことがある。
先生が言っていた、ある言語、は、すでに十数年前に二人だけのものになっている。そしてその言語が支配する世界も。
二人のおじいちゃんおばあちゃんがどのような関係なのかは分からないけれど、二人にしか通じない言葉というものがあるとは、わたしはひどく感動した。
二人きりの世界、というとわたしは何故かスノードームをイメージする。小さなガラスの中に何かかわいい人形のようなものがあって、そこをキラキラとした雪が舞い散る。その中には誰も入れないし、ハンマーで壊しでもしない限りその中からは出られない。
雪は二人にだけ降り注ぐ。
言語が世界(スノードームの中)を即、表すのなら
二人に降り注ぐ雪は、言語がもたらす言葉のあやや、文化観・世界観を示しているのだろう。
恋に似ているかも、なんて。
恋人と過ごす時間というのは二人の世界を構築していくことになる。その中で生まれた言葉や風習は二人にしか分からない。
目配せだけでクスクス笑えたり、二人だけの特別な暗号や合図を持つようになる。それは、さっき話したスノードームに通じるものがある。
わたしは、いつか点字とか手話とかモールス信号を学びたい。そこで二人きりで話してケラケラ笑い合いたい。
二人に降る雪はどうかキラキラと美しいものでありますように。
いつか消えてしまう言語たちが一瞬でも長く輝きますように。祈りをこめて。
〈題名はスピッツのロビンソン〉