ピロートーク

やがて性愛

どこまでも本気でしたか


『話聞いてみると、そいついつも一人で飯食ってるんだって。やっぱり食事は家族でしないとね…』教師をやっている知り合いが「家庭環境が複雑な子」の食事事情の話を始めた。そんなことを聞いたからには黙っていられない。

「家族そろって食事をして、そこでコミュニケーションをとれるのが最高だとは思うけど、いろんな家庭があるんだから 出来ないおうちもあるのはしょうがない。一人ごはんだからかわいそうだ、という考えは、かわいそうがられた子どもがかわいそうだし、今後自分が子どもを育てる時に苦しくなると思う。」
「私たちが育ったころとは時代も違うし、働き方や家族の在り方も変わりつつあるはずだ。自分が育ったころを理想として今を生きようとすると歪ができるだろう」
「さらに言うならば子どもが孤独を抱えているのだとしたら、それの根本的な原因は食事が一人だから、では無いだろう。一人の食事は抱えている孤独の中の一部に過ぎない。もし家族の愛情を本人が感じられる環境に居たならば、一人の食事に感じるさみしさは今のものとは違うはずだ」

ここまでのことを一息で言う。
相手は納得したり顔をゆがませたりしながらこれを聞き「あっちゃん、教師になったほうがいいんじゃない?」と言った。「わたしは残業とか福祉の精神とか聖職者とかそういうマインドは絶対無理」と返す。

いろいろ問題が生じるたびに考えたり悩んだり行き詰ったりはするが
わたしの言いたいことは要するに「みんなが生きやすく生きられるように色々試行錯誤しよう」「現状で変えた方がいいことはどんどん変えていこう」だ。
わたしは詩や花や音楽や恋といった、美しいものが好きで、無駄なものを強く愛する。だからこそ、合理的や建設的と言われるような考え方を支持するのだ。それだというのに「あっちゃんはさ、なんか年々強くなってるよな、俺なんかそのうち負けて吹っ飛ばされそう」なんて言われてしまっている。ちがう。強くはなっているかもしれないが、好きでこうなったわけではない。
強くならなかったら、わたしは多分あの時に死んでいたと思う。そういう「あの時」がわたしには、ある。

理屈ばったことはいつもすらすら言えるのに、そういう自分のことはどうしても言えず、目をかっぴらいて、にじんだ涙を気合いでかわかした。

 

<どこまでも本気でしたか唇に滲み始めるあなたの轍>田丸まひる

「いま風をたべているの」

知り合いが第二子妊娠中らしく、わたしも嬉しい。第一子は坊やだった。産まれたての頃、わたしも抱っこをさせてもらったがとても可愛かった。今は2才になったそうだ。最新の写真を見せてもらったら健やかに成長しているらしく、この前までは赤ちゃんだったのにすっかり「ちびっ子」になっていて感動した。

「本当におめでたいね、坊やもお兄ちゃんになるんだね。嬉しいだろうね」とわたしが言うと「そうなの だけどだめなの」と言われた。な、何がダメなの、と心配したら話は続いた。

「坊やにね『ママのお腹には赤ちゃんが居るんだよ』って教えるじゃん」

教えるね。実際にいるもんね。

「そしたらね、坊や、なんか勘違いしたのか、人間のお腹には赤ちゃんが居るって認識したそうで、自分のお腹さわりながら「赤ちゃん!!!!」って言うのよ」

なるほど、となった。 坊やなりの理屈があり、「通した理屈」と「実際の状況」にギャップがあるところにおかしみや可愛らしさを感じ得る。微笑ましいが、ここで笑ったら坊やにとっては「????」となるだろう。そして、笑われたことに対して、戸惑いや疎外感を覚えることになるだろう。

 

少しだけ違うが、わたしにも同じような経験がある。

5才の頃、わたしはクレヨンしんちゃんが大好きで、漫画をよく読んでいた。漫画の中には、しんちゃん(5才)の母ちゃん、みさえは29才とのことだった。だからわたしは「同い年のしんちゃんの母ちゃんが29才なら、わたしのお母さんも29才なんだろうな」と認識し、わたしの中で母は数年間29才でいた。(母は29才のまま年をとらなかった。母は実際は32才でわたしを産んでいるので、そもそもが間違っていた)

わたしが1年に1歳年をとるように母も1年に1歳年をとる。永遠の29才なんて、ありえない。小学校にあがる頃、干支の話や世間常識としてようやく理屈をつかんで、母の年齢を更新させたが(29才の後にいきなり40歳ぐらいになったんだから全方位型の衝撃)、とにかく子供というのは自分の知っている知識だけで世界の全てを理解しようとし、更に自分のママとパパを基準に大人や世間を測るから無茶苦茶な理屈になりがちだ。そしてそれはカワイイ。(過去の自分含む)

 

兄と新幹線に乗っている時に、雑談としてその話をしたら

 「となるとあれだよな。Twitterとかで大炎上したり、他人に自分一方の理屈をリプライ飛ばす人ってのは子供と同じなんだよな」と言っていた。たぶんそうなんだとわたしも思う。

 

母ちゃん29才以外にも、わたしはいろんな勘違いをしていたが、今となっては全てが微笑ましい。坊やもいつか笑い話にできるだろう。「おれ、子どもの頃、人間のお腹の中には赤ちゃんが居るもんだと思ってたんだよ」なんて。笑いたい。でも、なんだか、笑ってはいけないような気がして、とても愛おしい。

 

<「いま風をたべているの」といふ吾子と自転車のベル鳴らしつつゆく>小野光恵

わが生きざまのごとき灯が

「ダメな大人」の影響力はすごいという話です。


知ってるかもしれませんが、わたし、たけし映画が好きでして、昨年の頃に『菊次郎の夏』を見たんですよ。
見てない人のためにおおざっぱにネタバレ抜きであらすじ説明します。


小学3年生の少年、正男は東京の下町で祖母と暮らしています。
正男は小さい時に父を亡くし、母は遠くに働きに出てると祖母から聞かされていました。
夏休みが始まると、祖母は日中は仕事、友達は家族旅行、通ってるサッカークラブは夏休暇になってしまい、正男は暇で寂しい気持ちになります。
そんなあるとき、正男は箪笥から母の写真を見つけます。その写真には母の住所(愛知県豊橋市)も書いてあり、正男は母に会いに行くことを決めました。
祖母の友人のおばちゃんが「子ども一人で行くのはあぶない」と、おばちゃんの夫のチンピラ中年である菊次郎(ビートたけし)に、同行させるようにします。
こうして正男と菊次郎の旅がはじまります。

 

背中に彫りもんがある菊次郎は ハッキリ言ってろくでなし。
正男の所持金やおばちゃんから渡された旅費は競輪につぎこむし
競輪で得たお金はキャバクラや酒につかうし(正男も連れて行く)
窃盗、当たり屋、自動車泥棒、たかりは当たり前。菊次郎が夜、酒を飲んでいる間、正男は放っておかれて変態ジジイにパンツ脱がされそうになるし。(なんとか未然に防げたから良かったものの)

いろいろあって、菊次郎との旅がおわるころ、正男は映画の冒頭とは比べ物にならないほど良い表情をしている。そして映画を見ていた人たちは「ああ この旅は正男にとって良いものだったんだなあ」と思うことが出来るようになっている。


菊次郎の夏』の話はここまで。ここからは山田洋二の話をする。
山田洋二監督作品、映画『おとうと』は、鶴瓶演じるろくでなしの弟と、しっかりものの姉(吉永小百合)の家族愛の話なんだけれど、公開されたとき、プロモーションで吉永小百合が「どこの家庭にもひとり、こういう人(鶴瓶演じる弟)がいるものでして…」と語っていたことがとても印象的だった。
「うちだけじゃなかったのか!!!!!」と。
わたしの一族にも、「ダメな大人」がいる。わたしの家族含むみんな、その人に迷惑をかけられてきて、変な苦労をしょったり心配をしてきた。だが、それはわたしの家に限ることなのかもと思っていたが、吉永小百合の家族にもいるのなら、わたしの家族にいるのは何も不思議では無いなと悟った。


そう。ダメな大人ってのは一家族にひとりはいる。
そして、その存在は良かれ悪かれ子供にすごく影響を与える。


わたしとわたしの兄はかなり影響を受けた方だと思う。わたし達は子ども時代、その人のことを「優しくておもしろいおっちゃん」として慕い、遊んでもらったり色々なことを教わったりして、大きな影響を受けて育った。
今考えるとあのおっちゃんは、世間的に見たら「ダメな大人」だったのだと思う。でも、だからと言って、わたしたち兄妹から遠ざけるべき悪いものだったかというとそれは絶対に違う。あのおっちゃんが居たからこそ、今のわたしや兄があると思うし、受けた“悪影響”なんかどうってことない。

同じく山田洋二監督の『男はつらいよ』の寅さんだって同じだ。寅次郎はけっして立派な大人とは言えないだろう。でも、さくらの息子の満男は寅さんを慕い、成長するにあたって大きな影響を受ける。


子どもの時こそ気づかなかったが、立派な大人になるのは意外と苦労する。
きちんと働いてお金を稼ぎ、できれば家庭を築き、安定した暮らしをしていくこと。なかなか思うようにはいかないが、かといって、アウトローに生きるのはもっと大変そうで覚悟が必要だ。だから、大人は映画で、自分のサイドストーリーとしてダメな大人像を求めるのかもしれない。寅さんを見て涙するのは、きっと、自分とは全然違った生き方だけど、根っこのところに自分が持っていたい純粋な優しさがあるからだ。
そして子どもが親戚のそんな人に惹かれるのは、その人から感じる優しさや楽しさが、子どもの感じる波長に合うからかもしれない。周りの大人とは違う生き方をしている人は、子どもにとって可能性のひとつであると同時に、自分の延長線上の存在に感じられるから身近に思えるのだと思う

 

さて、アウトローに憧れても成り切れず、だからといって立派な大人にもなれる自信がないわたしは、せめて優しい人になろうと、柔軟剤を目盛り以上に入れて、洗濯機を回す。

 

<ぶざまなるわが生きざまのごとき灯が冬の運河に映りて揺れぬ>道浦母都子

おれの話をちょっと聞いてくれよ

小中学生のころに書きめぐった「プロフィール帳」のことを思いだし、懐かしい気持ちになった。あれは良いカルチャーだったと思う。今でもあるのだろうか。
当時書いていた時、まあ多少人の目を(読まれるということを)意識しながら書いてはいたし、少しぐらいは気を使ったとは思うけれど、それより自分のことを語るという面白さの方が勝っていた。
小中学生は、大人よりも「自分を語る」手段や機会や語彙が少ない。だから、自分なりの言葉で精いっぱい自分のことをどうにか記したかったんだと思う。すごくよく分かる。


大人になった今だって肩書を持たぬ一般市民ゆえに、せめて何が好きでどういう人なのかぐらい自分で好きに語って、身の回りの友人ぐらいからの認識くらいは得たいとわたしは思ってしまう。つまりのところ、自分のことや自分の好きなもののことを語りたくてしょうがない。

 




親友の一人に、好きなものがころころ変わる子がいる。
わたしは会うたびにその子に今好きなものを聞く。それが楽しい。


彼女は「好きな食べ物」は3か月ごとに更新されていく。
ここ数か月でいうと、


★★亭のオムライス定食⇒スシローのサーモンのお寿司⇒おいしい豆腐、と。


「好きなもの」は、


中学時代:スポーツチームの●●⇒高校時代:アイドルグループの▲▲⇒大学時代:ミュージシャンの■■⇒社会人:◆◆劇団、と変動し続けている。

わたしはというと病めるときも健やかなるときも、アンパンマンドラえもんが好きだった。スピッツに夢中で、カレーや甘いものを食べ続けている。漫画は、ガラスの仮面ばかり読み返している。そして語る。こんな生活をもう15年近く続けている。
だからみんなから「あつこはちっとも変わらないね」とよく言われる。そうなんだと思う。

わたし、きっと死ぬ直前までアンパンマンドラえもんが好だろう。他に好きなものが増えるかもしれないが、アンパンマンドラえもんへの情熱はずっと続いてしまうだろう。



だから、彼女のことをいいなあ、と思う。「好き」の気持ちと人生が同時に動いている。懐かしさを感じるチャンスと思い出のリンクが多くて、なんだか楽しそうだ。
わたしがガラスの仮面を読んでいるこの間も、彼女は何かに出会い、衝撃を受け、好きになる。好きなものがどんどん増えて世界も広がっているのだろう。とても羨ましい。

たぶん何枚プロフィール帳を書いても、わたしはそんなに書くこと変わらなくて、つまらない同じことばかり繰り返す。でも書きたい。変わっていく面白さは欲しいが変わらない。こればっかりは性分だからね、と割り切って たうえでそれを楽しみたい。

そうだ、中学生の女の子が使うようなラブリーなプロフィール帳を買おう。それで友達にたくさん書いてもらって、たくさん遊ぼう。どうかあなたにも一枚書いてもらいたい。
 

<「枝毛切るその真剣な目でおれの話をちょっと聞いてくれよ。」>植松大輔

相聞の歌など持たず

夜中に電話で話していた。相手は少し酔っていて、さっきまでの飲み会のことやこの前のデートの話や仕事が忙しいということについて、酔っぱらい独特の緩急つけた調子で話していた。わたしも色々話す。会話に一瞬間が生まれて、あ と言うより先に「それでいつ結婚しようか」と言われた。

 

女性雑誌やヤフー知恵袋やインターネットコラムでは「彼がなかなか結婚に踏み切ってくれない」「私と結婚する気あるのかしら 彼にとったら遊びなのかしら」みたいな悩み相談がたくさんあるのをわたしは知っているから、その点、わたしはそれらについて悩まずに済むようで良かったなとは思う。

 

でも 友だちと夜遅くまで遊んだり 一人で出かけたり 家族に甘えたり 自分のために料理を作ったりする今の暮らしが楽しいし、病床の母が「死ぬ前に娘の花嫁姿を見たい」と懇願してるわけでもなし、お金や住むところに困っているわけでもなし、急いで結婚したいということは無いし今すぐにはしたくない。今、結婚したらわたしはきっと『もっと遊びたかった!!!』となると思う。

 

だからといってプロポーズの言葉をジロリジロリと待つのはじれったい。白か黒か、の二択は絞りすぎだとは思うけど、わたしは白か黒かグレーかその他、ぐらいの大らかではっきりした選択肢を提示する、されることを求める。

 

 

「結婚のタイミングとか見極めるのって絶対難しいから、たとえば2年後の2019年の5月にしましょう、と約束だけしてそれまでは今までどおり楽しくやるのがいいんじゃない?現地集合みたいな」と提案したら
ONE PIECEの二年間の修行期間じゃないんだからそんなにロマンのないこと言わないでくれ」なんて言われてしまった。

ONE PIECEはきちんと読んでないけれど、あんな大冒険スペクタクル漫画と重なる部分があるならかなりロマンのある提案なのでは?と、内心思った。


建設的で、ストレスのない良い提案だと思ったのだけれど(それに実行したら絶対思い出になる)それだけが良いことでは無いらしい。ロマンというのは良い面倒と良い厄介が付きもの、なのだろうか。 そういう自分公式を作って、人を当てはめていくのは、ちょっと違うなと思う。確実でフェアーで無理が無い、そんな選択肢を見つけ出したいがまだ見つからない。やっぱりあれがベストだったように思う。

 

<みづみづしき相聞の歌など持たず疲れしときは君に倚りゆく>石川不二子

幾度も海を確かめに行く

最近はこのへんはじめっとしていてどうも夏らしくない。暑いのも嫌だけど、どんよりとしているのも陰気くさくて嫌だ。昨日はポケモンGOやりたさに一人で横浜に行き、一日中モンスターボールを投げたり進化させたり街中をうろうろしていたら、日光なんか全然出ていなかったくせに日焼けをしてしまった。
帰りにビタミンC配合ドリンクと、日焼けた肌に塗って炎症を抑えるクリームを買って帰ってぐっすり寝た。何が何だかわからないことが、自分でも多々ある。

まだ日が昇る前に目が覚めたので、本棚から本を適当にとり、読んだ。坂口安吾の『堕落論』『私は海を抱きしめていたい』『日本文化私観』どれも短くてこんな変な朝方に読むのに適しているから、適していなくても大好きな作品だ。

 

昔はもっとセンチメンタルな小説やエッセイが好きだったけれど、こういった文章や最近見ている北野武映画や『男はつらいよ』の影響で、どんどん無頼な気持が高まっている。男女の性による差別や旧時代的な考え方はわたしは大嫌いで人間は人間として生まれて、肉体はたかが肉体に過ぎないから、心を強く持って一人の人間として自由に生きるべし、と考えているんだけれど、どうしても、無頼な男くささに憧れてしまう。わたしは自由に育ってきたけれど、自分で育てた“らしさ”に勝手に抑圧されていて、それを解放する術が欲しいんだと思う。わたしはわたしの心をもっと自由にしてあげたくて、だから、無頼に憧れる。自分が頭が固く保守的なタイプの人間だというのとは、よく解っている。

 

大学では文学部に入り、比較的まじめに勉強をして、あまりサボらなかった。自主休講をしなかった理由は、授業が面白いとか遅れるのが嫌だとか成績を下げたくないとか色々あるが「いつでも海を見に行けるように」というのが一番だった。

ある日何もかも忘れて一人で海を見に行きたくなる日が来るかもしれない、その日に単位や出席日数を気にして、海に行かないという状況になることをわたしは恐れた。結局、海を見に行くことはなかった。石橋を叩いて渡るだの、叩き過ぎて壊しちゃうだの、そんな比喩もよく見かけるが、石橋で例えるなら「石橋を渡らずにただ見つめていた」というのがわたしに最も近いだろう。

 

そしてわたしは、毎朝バスに揺られながら、海へ行く空想を楽しむ。その海は青く少し汚れていて日本のなんてことのない海岸だ。砂浜は黒く、漂着物や貝殻のかけらが落ちている。潮風で髪は乱れる。喉が乾くが自販機は遠く砂に足を取られ、なかなかたどり着けない。空想の中ですらこんな状態だがそれでもわたしは思うだろう。来てよかったと。

そこまでの空想をして今日も海に行かないという選択をする。そしてわたしはまた思う。いつでも行ける、それは今日ではないだけ、だからわたしは大丈夫なのだと。

 

<こみあげる悲しみあれば屋上に幾度も海を確かめに行く>道浦母都子

部屋のまんなかでくらくらとなる

昔 付き合っていた人が、作文が好きだったのか作家に憧れていたのか、自分で書いた小説やエッセイや詩や作文をよく読ませてくれた。多分彼には才能は無かったようで、わたしはたいして面白くも美しくも無いな、と思いつつ、でもそうは言えないので、適当に「いいね」「良かった」等と言っていた。

 

いくつか忘れられないフレーズ(思い出すだけでこっちがこっぱずかしくなるようなもの)はもちろんあるが、その中でも特出している気がするのは、エッセイの冒頭部分で「人生はよく旅だという」というものだ。ありきたりな言葉で面白味も斬新さも無ければたいして引き込まれないもので、文学少女だったわたしは内心ケッと思ったものだ。

 

今週末夏の休暇として静岡の方へ1泊2日の小さな旅行をしてくる。わたしは旅支度というものがへたで、頭の中で何かを構築できず、全て書き出したうえで、直前まであれやこれや悩み、大荷物になりがちだ。今回もそのとおりで、初日はあの服を着てあの荷物を持って、二日目は何を着て、そのためにはこれを持って行って…と考えだしたらきりが無いわりに、ぽんやりと思考が進まず、前日の夜ばかり更けていく。

 

たった一泊二日の旅支度でこんなに手間取っているのなら、わたしの人生と言う名の旅とやらは、胎児期間が10月10日どころか、15年ぐらい必要になってしまうだろう。お母さん、苦労をかけてごめんなさい。人生は旅なのだろうか。ちくしょう、くそくらえだ。そんな比喩や聞き覚えのあるフレーズと、わたくしめの人生が重ねられてたまるか。

むしゃくしゃしてカバンに着替えやらタオルやらつめこんで、思考が止まりぽんやりとする。しばらくしてハッとして、携帯用のメイク落としシートが無いことに気づき、夜中にいそいそとコンビニに出かける。自分の要領の悪さにほとほとため息が出る。やっぱり、人生は旅なのかもしれない。そう思いながら。

 

<片づけてもかたづけてもつひに氣に入らぬ部屋のまんなかでくらくらとなる>石川信雄