ピロートーク

やがて性愛

お正月の大阪観光

お正月は大阪に行った。昨年は祖父の喪中で行けなかったため、二年ぶりだった。グループホームから一時帰省している祖母と親戚たちと、おせちやお雑煮を食べ、会話を楽しんだ。
夕方には親戚も祖母も父も帰ったため、わたしと母と兄の3人で大阪の実家に泊まることになった。翌日は祖母に頼まれていた用事を早々に3人で済ませた。1月2日になんばから出る夜行バスに乗る予定だったので、まだ時間が10時間ぐらい余っている。母に「あんたたち二人で観光でもしてきたら」と勧めてもらえたので、わたしと兄は二人で大阪をめぐることにした。二人で大阪をめぐるのは、昨年の四十九日後に行った「森友学園見学」以来である。
(詳細:思えば遠き春のこと - ピロートーク 思えば遠き春のこと - ピロートーク


梅田駅をかいくぐり、着いたのは大阪市西成区
「着いてきてこんなこと言うのもなんだけれど、なぜ正月にここを選んだの」と聞くと「こういうものを見ておかんといけん」と兄は言った。仰るとおりだなと思ったので、それでその話はおしまい。

めし、湯、簡易ホテル、従業員募集、など雑多な看板がある街中に大きな建物に寄り添うように段ボールや毛布にくるまれる人たちがいた。いつも思うのだが、段ボールは分かるけれど、毛布ってそんなに外に落ちているだろうか気になる。金網に、正月の炊き出しについての広告が貼られていた。時々、むわっとした匂いが鼻を刺激する。真冬でこの匂いなら、真夏はどうなるのだろうと思った。時々わたし達は記念写真を撮る。
「…そこで暮らしている…フリーランスの方々はさ…」と兄は、言葉を丁重に選んでいるようで見事に失敗していた。野良猫を2匹見つけて、その後に床にばらまかれたドライフードを見た。「お兄ちゃん、あれ」とフードを教えると「人は、どんな状態になっても何かの面倒を見ることで保ててる部分があるんじゃのう」と言った。わたしも同感した。

玉出スーパーを横目に、めし屋を通り、50円でジュースを買える自販機を見た。商店街にはカラオケスナックや、飯屋、呑み屋の他、なんとなく入ってはいけないなと察せるお店がいくつもあった。わたし達は腹ペコで、だけど地元のお店に入ることもなく、ぼんやりとした話をしながら通っていく。たくさん歩いた先に、あれ、っとなった。

飛田新地だった。わたしの方が先に気づいて、兄にそのことを伝えると「決してお店の中を見るのではない」「目を合わせてはならんぞ」と強く言われた。古めかしいお店が向かい合うように並んでおり、店の前に、ババアが座っているのをちらりと見ながら歩いた。
「決して見るな」とは、『千と千尋の神隠し』で千尋がハクにそんなこと言われてたなと思った。湯屋っていうのもオマージュだろうし、と謎のシンパシーを感じながら歩いていたら見えてしまったのだが、オッサンという感じの身なりの方が、魔女のキキちゃんのような紺色のワンピースでボブヘアーのお嬢さんと室内に入っていく姿が見えた。ジブリ違いだよ。そっちじゃねえよと思った。

「あれって自由恋愛の名のもとに行ってるんじゃろ ソープとどう違うの」と聞くと「たしかソープは混浴のうえの自由恋愛で、新地は飯屋のうえでの自由恋愛なはず」と教えてくれた。なるほど、お店の横に料理組合と書かれた提灯が飾っている理由が分かった。「コーラが一瓶出るらしい」と兄は教えてくれた。

「でもさあ、お嬢さんがた、肉体労働で稼ぐことになったとしても、デリバリーおねえさんとか繁華街ならいろんな職種があるのに、なんでこういう目立つ方で働くのだろう」
「おそらく、親元は同じで、最初はそういうところで働いていたお姉さんたちに『もっと稼げる場所があるよ』と上の人が言うんじゃないだろうか」
「なるほど ありえそうだ」

「おれは、だめなんだ。こういうの、参っちゃうんだよね」と兄はその土地の独特の雰囲気に面くらってしまったようでぐったりしていた。意外と潔癖なんだなと思った。わたしは結構平気で、ただのフィールドワークという感じだった。商店街の中を歩いていると、カラオケスナックから宗右衛門町ブルースが聞こえてきた。商店街を抜けさらに道を進むと、また商店街と飲み屋街。わたしたち兄妹はたこやきを分け合い、ゲームセンターに入る。兄はアーケードゲームを、わたしはピンボールをした。スマートボールでは景品のコアラのマーチをゲットできた。

さらに進む。まだまだ進む。やたら高い建物があり、それはあべのハルカスだった。「来たことある?」「無いのう」「スカイツリーは?」「スカイツリーならあるわい」「わしもじゃ」関東在住民ならみんな話しそうなことを話した。ビル内には入ったが、展望台まで行く元気は無かったのでやめた。梅田を経由してまた実家に帰った。母に「楽しかった?どこに行ったの?」と聞かれたので「あいりん地区と飛田新地あべのハルカスの近く」と答えると「はあ?」と言われた。妥当な反応だと思う。なにわともあれ。なんてちゃって。新鮮なお正月だったなと思う。

 

ただ、他人の人生を垣間見るとき、わたしはそれをコンテンツとして面白がって見てないだろうか心配になる。見てる自分をイメージすると嫌なやつだなと思う。でも、見ないでモノを言うのも嫌だし、きれいなものしか見てないような奴も嫌だ。複雑な心境。たぶん考えすぎな面もある。でもわたしは猫好きだから、猫好きだからという理由でいいから、猫に餌を与える人たちのことは見ていたい。と、思う。おしまい。