ピロートーク

やがて性愛

写真のきみを切り刻む

子供のときに、学校のイベントが終わるごとに作文を書かされたものだが、とても苦手だった。遠足中にやったことは覚えてて、時系列に物事を書くことはできる。その途中途中で何を考えたかは書けるが「ユミちゃんのお弁当にポケモンのかまぼこが入っていて、可愛いかまぼこだった。うちのお母さんはお料理上手だけどそういうかまぼこは買ってくれないよなあと思った」みたいになってしまう。先生に提出したり壁に掲示される作文に、お母さんがかまぼこをお弁当に入れてくれないと書くのはなんか違うよなあと思ったので、つまんないことを書いて濁していた。

 


ここ数年の野球観戦でも、試合が終わってしまえば、試合の流れは忘れてしまう。その場で見てるときは感動したり胸に刻んだりもするし、ルーズベルトゲームでずっとてに手に汗握りっぱなしだったということは覚えてても、どの選手がどう活躍してたとかは覚えられない。一番鮮明に覚えられるのは「隣の席の阪神ファンがめっちゃキレて◯◯選手のことを▽▽と罵ってた」とか「一緒に見に行った◯◯ちゃんとS選手の走り方がちょっとキモい、N選手は走り方がかっこいいと喋った」みたいなことで、これも感想文として提出したら、先生に赤入れられてしまう気がする。

 


もしかして脳の作りがちょっと危ないのではないか?とも思うが、どう危ないのかはわからないから放置してる。

よく物事を視覚で写真のように覚える人がいるという。わたしはそれは出来なくて、どちらかというと心で覚えるタイプらしい。心に引っかからなかった、流れて行ってしまった時間は何も覚えてられないようだ。

 


会社の先輩と旅行について話した。わたしは広島カープファンなので広島で野球観戦してみたいと言うと「私も前に広島行ったよ、宮島とか見てきた」と返してくれた。知っている、二年前の2月頃に行ってきて、その写真をFacebookにあげてたし、チーズ味のもみじ饅頭をお土産で配ってくれてたよね。よく覚えてますよわたしもその頃広島行きたいなって思ってたから。でもそう言ったら怖がられるだろうから言わない。

 


一番申し訳ないのは、中学生の時の同級生のHくんに対してだ。わたしは彼の当時のメールアドレスを今でもそらんじて言える。Hくんだけじゃない、S君、K君、T君、Mちゃん、Yさんのも覚えてる。多分わたしは一生忘れないだろう。でも、でもH君やT君や皆さんに「中学生の時に××××ってアドレスだったよね?」とでも聞いたら絶対に嫌な顔をされる。だから言わない。彼らはおそらくメールアドレスを変えてるし、わたしは言わない。だから何もなかったのと同じなのだ。わたしの記憶なんてものは、そういう扱いが丁度いいと思う。

 

<笑みかけてくる写真のきみを切り刻むこの指さきの逆流の音>李正子