ピロートーク

やがて性愛

「ドラえもん のび太と宝島」鑑賞文(ネタバレ有り)

ドラえもん のび太の宝島 を知人と見に行った。そのぐらい時間を持て余してしょうがない日があったのだ。劇場版のドラえもんを劇場で見るのはわたしは15年ぶりぐらい、知人は20年ぶりだった。

物語の基本にあるのは親子愛と勇気。
ドラえもん一行は宝島冒険の最中に、ある一家に出逢う。その一家は、昔、母(妻)を亡くしていた。研究者の父と、少年とその妹。みんながみんな、家族を大事に想っているはずなのに、その想いゆえに、すれ違い、ストーリー内最大のトラブルがやってくる。そのトラブルを回避させようと奮闘するドラえもん一行。途中途中に、笑える箇所や過去の映画のオマージュがあり、見ごたえは抜群。

映像もとてもきれいで、波しぶきのひとつひとつがキラキラしている。青い空青い海青いドラえもん、夏が来るのが楽しみな気持ちになった。子どもたちがキャッキャと楽しそうに遊んでいるのを見るとわたしも嬉しいし、みんなが不安な顔をしたり泣きそうな顔をしているとわたしにも伝染してしまう。

 

 

ここからはネタバレ。
個人的な趣味としての一番の感動ポイントは、のび太の勇気だ。
のび太の勇気の見どころは2カ所あった。
一つ目が、さらわれたしずかちゃんを助けようとする場面、二つ目が、スーパー大ピンチに陥ったドラえもんを助けようとする場面だ。

一つ目のしずかちゃんを助けようとする場面では、しずかちゃんは小型潜水艦のような乗り物に連れ込まれてさらわれるのだが、そこにのび太は衝動的にしがみつき、一緒に海の底まで行こうとする。もちろん助けることは出来ずに、のび太は途中で溺れしまった。でも、わたし達はのび太が泳げないということを知っている。だから、そんなのび太が、しずかちゃんのために海に飛び込んだということに胸を打たれる。
二つ目のドラえもんを助けようとする場面では、しずかちゃんの時の衝動とは全く別だった。僕が助けに行かなければ、と思うも脚が震えてたじろいでしまう。自分を奮わせ、勇気を振りしぼり、ドラえもんの元へ駆け寄るのび太

これらの場面を見て、そうだ、と思い出した。前者と後者の「助け方」は全く別のものだけれど、のび太は大好きな人のためなら動こうと出来る子なのだ。映画だから主人公補正がかかっている部分はあるだろう。でも、昔の映画でしずかパパが言っていた「人の悲しみを悲しめて人の喜びを自分のことのように喜べる」というのび太の長所はこういった行動で表れてくる。

ドラえもんに駆け寄るのび太の姿を見て、しずかちゃんも動き出す。これで救える、と思ったその時、あまりに膨大なエネルギーに3人は抱き合ったまま、外の世界へ放り投げだされる。ああもうダメだと観客が思った瞬間に助けてくれるのは、ジャイアンスネ夫といった仲間たちだった。これがこの映画の答えだと思う。

みんなみんなそれぞれ良いところがあるのだ。
のび太は前述したような勇気が、ジャイアンには男気が(映画定番!)、スネ夫の「抜かりなさ」を発揮することで良い連携プレーを生み出す。しずかちゃんは優しくて困難な場面でも柔軟に対応することができる。
わたしは星野源が歌う主題歌『ドラえもん』の「何者でもなくても世界を救おう」が思い出す。
何者かでなくちゃ何かを救えないなんてことは無い。でもみんなが何者かというわけでは無い普通の少年少女だ。だからこそ、みんなの長所を生かすことでハッピーエンドへ向かうことが出来るのだ。

数年分の映画をいっぺんに見ているような感じになる充実した内容だった。ちなみに映画の中で一番かわいかったのはミニドラたち。マジ主役級の可愛さ。イエーイ、ラブ・ハピネス。