ピロートーク

やがて性愛

それぞれの影を濡らして


かっこいい別れを演出するためにお習字を習いたい。

たとえば、互いに愛しあっているのに、別れを切り出さなければならない恋なんかだと理想的だと思う。
直接でなんてとても言えないから、サイドボードの上にあるメモに「さようなら」と一言書いて、わたしは早朝に部屋を出ていく。
少し遅れて起きた彼は、わたしの不在に気付いた後、そのメモを見て全てを察する。彼は立ち上がり、ブラインドの傍へ向かう。そして、昨夜とこれまでを思いながら、ブラインドを開ける。窓の外には一人で過ごすことになるこれからの朝がやってきている。そんな彼の姿には、煙草が一本あっても絵になるだろう。

要するにわたしの想像力は貧困そのものなので、こんなありきたりな別れ方に憧れ、その憧れの場面が訪れた時のためにお習字を習いたいと思っているのだ。


わたしの字は丸っこくて、大人っぽい字とはあまり言えない。下手ではないけれど、かっこいい別れの場面にふさわしい字かというと、そうでは無い。切なさが残る大人の恋の終わり、というよりも女子高校生が書いた手紙の字っていう感じだ。

試しに白いメモに「さようなら」と書く練習をしてみる。あまり真っ直ぐに丁寧書くと形式ばって見えるから、さりげなく見えるように走り書き気味に。斜めにずらしてみたり、縦書きにしたり、字のサイズを変えてみたり、様々な形の「さようなら」を書いた。
「さようなら」「さようなら」「さよなら」「さようなら」
今まで言えなかった分もこれから言う分も。文字の後ろに、誰かの顔の影がちらつく気がしたけれど、それも含めてお別れだ。みんなみんな、さようなら。
呪文を唱えるように書いているうちに、メモが「さようなら」で埋め尽くされてしまった。
こんなメモを人に見られたら、ギョッとされてしまうことを案じ、数個の「さようなら」を消した。フリクションで書いていて良かったと思った。消したはずの文字が、うっすら残っていることが気になった。

 

<それぞれの影を濡らしてわたしたち雨だった、こんな雨だった>井上法子