ピロートーク

やがて性愛

部屋のまんなかでくらくらとなる

昔 付き合っていた人が、作文が好きだったのか作家に憧れていたのか、自分で書いた小説やエッセイや詩や作文をよく読ませてくれた。多分彼には才能は無かったようで、わたしはたいして面白くも美しくも無いな、と思いつつ、でもそうは言えないので、適当に「いいね」「良かった」等と言っていた。

 

いくつか忘れられないフレーズ(思い出すだけでこっちがこっぱずかしくなるようなもの)はもちろんあるが、その中でも特出している気がするのは、エッセイの冒頭部分で「人生はよく旅だという」というものだ。ありきたりな言葉で面白味も斬新さも無ければたいして引き込まれないもので、文学少女だったわたしは内心ケッと思ったものだ。

 

今週末夏の休暇として静岡の方へ1泊2日の小さな旅行をしてくる。わたしは旅支度というものがへたで、頭の中で何かを構築できず、全て書き出したうえで、直前まであれやこれや悩み、大荷物になりがちだ。今回もそのとおりで、初日はあの服を着てあの荷物を持って、二日目は何を着て、そのためにはこれを持って行って…と考えだしたらきりが無いわりに、ぽんやりと思考が進まず、前日の夜ばかり更けていく。

 

たった一泊二日の旅支度でこんなに手間取っているのなら、わたしの人生と言う名の旅とやらは、胎児期間が10月10日どころか、15年ぐらい必要になってしまうだろう。お母さん、苦労をかけてごめんなさい。人生は旅なのだろうか。ちくしょう、くそくらえだ。そんな比喩や聞き覚えのあるフレーズと、わたくしめの人生が重ねられてたまるか。

むしゃくしゃしてカバンに着替えやらタオルやらつめこんで、思考が止まりぽんやりとする。しばらくしてハッとして、携帯用のメイク落としシートが無いことに気づき、夜中にいそいそとコンビニに出かける。自分の要領の悪さにほとほとため息が出る。やっぱり、人生は旅なのかもしれない。そう思いながら。

 

<片づけてもかたづけてもつひに氣に入らぬ部屋のまんなかでくらくらとなる>石川信雄