ピロートーク

やがて性愛

長生きができたらいいな

死ぬほど、という比喩が凄く好きでたまらなくって、聞くたびについニヤニヤしちゃう。

わたしが今おつとめをしている会社は、今は閑静な雰囲気の街にあるけれど、数年前までは、若者の街という感じのところにあったらしい。周辺にはレストランや飲み屋やカフェやバーがたくさんあり、ランチや飲み会には苦労しなかったそうだ。
ベテランのおねえさまがたが「前の本社はぼろっちかったけどランチ環境は良かったわよね」と今でも時々言っていて「このへんはいい飲み屋が死ぬほど無い」と愚痴をはいていた。


面白くてたまらない。
あのおねえさんが、いい飲み屋が無いために死んでしまう姿をイメージする。死ぬと言っても色々あるから、この場合どのような死に方が一番適しているかを考える。きっと、太陽の光を浴びたドラキュラが無念そうに砂化していく、そんなのが似合うと思う。
あのおねえさんのことはかなり好きだから、もちろん死んでほしくないけど、でも、いい飲み屋の無さにあのおねえさんが砂化して死んでしまったら、わたしは多分お腹を抱えて転げまわって笑うと思う。


このことを友人に話すと「大体笑いとは不謹慎ですよね」と言われた。
「実にそのとおり」
「お葬式での変なクシャミとか」
「それクソ面白いやつ」
「説教中のオナラとか」
「よっ大統領」
全面的に大肯定したその流れで、『絶対に嫌な死に方』と言う話になった。

わたしは圧死と焼死、友人は「一番意識がギリギリまでありそう」という理由で水死が一番に嫌だという。“理想の死に方”をせーので言ったらお互いに「腹上死」で手を叩いて笑った。

わたしの周囲には『太く短く生きて結婚もしない子どもも持たなくていい 無になって死にたい』という人が何名かいる。
『太く短く生きる』の対義語が『細く長く生きる』なのだとしたら、そりゃみんな元気な今の内は太くて長い方を選ぶよな、と思う。
若くして死ぬと決まった運命なら、無をめざして結婚もせず子どもも持たずに死ぬのもありかもしれないが、わたしは太く長く健康寿命伸ばしまくりで180歳ぐらいまで生きていきたい。
180年の命があるなら、結婚は数回、子どもは10人ぐらい出産したい。それだけの歳月で得たものを、無にして死にいくのは勿体ないからゴチャゴチャとあらゆるものに囲まれて死にたい。本音は死にたくないけど、わたしは三途の川を大荷物で渡ることになるだろう。

「これは成人のお祝いでもらったネックレスで、これは飼ってたニャンの写真、これは最初の夫と新婚旅行のハワイで買ったマグネット、これはリっちゃんとお揃いで買ったディズニーのキーホルダー、こっちは初孫の乳歯」と川岸でお店屋さん状態にことになりそうだ。鬼だか死神だかも呆れるだろう。死ぬほどに。そうだ。死ぬほどに、生きたい。

 

<長生きができたらいな    ひまわりの黄は漆黒にあんがい似てるね>早坂類