ピロートーク

やがて性愛

スピッツの美しい歌詞10選(①~⑤)

 スピッツが今年で結成30周年というアニバーサリーイヤーを迎え、CDを出したり、ライブをやったりとお祭り騒ぎなこの頃である。中学生の頃からファンになったわたしにとっても、今年はファン歴10年のアニバーサリーイヤー。

 

そんな中こんな愛溢れるブログ?を見つけたので

わたしもスピッツでまねしてみた。

note.mu

 

はい、そんなわけで、個人的美しい歌詞10選~~~~~~。



「愛と希望に満たされて誰もかもすごく疲れた」死神の岬へ

 

最近で言うところの“パワーワード”だと思う。重たすぎる。
この歌は「た」の完了形・過去形で終わる文章の連続で構成されていて、聞き手からすると「だから、それで…?」となってしまうが、だからそれで、何もない。それで終わりなのだろう。
満たされなさを歌うと、きりがないし、満たされた後はすごく疲れてしまう。だからなのか、スピッツは、愛や希望では無く、ガラクタや無駄なものをいつもいつも大切に抱え込んでは歌っている。

「正義のしるし踏んづける もういらないや/トンビ飛べなかった」
「いらないものばっかり 大事なものばっかり 持ち上げてキョロキョロして/海とピンク」
「しょいこんでる間違いならうすうす気づいてる/ラズベリー
「山のようなジャンクフーズ 石の部屋で眠る 残りものさぐる これが俺のすべて/俺のすべて」
「ゴミに見えても捨てられずにあふれる涙をふきながら/アカネ」

子どもやゴミ屋敷の住人らは、ガラクタのようなものを溜めこんでは、真剣な顔で「それは宝物だから捨てないでくれ」と言う。これを笑ったり呆れてはいけない、だって、本当は、普通な 大人だって、そうやって好きなものにかこまれて暮らしたくてたまらないのだ。愛や希望や正しさばかりがいっぱいの部屋だと、時々凄く疲れて、死神の岬へ行ってしまいたくなってしまう。だからスピッツはそれを歌う。文句なしの、初期の名曲だと思う。

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「孤りを忘れた世界に水しぶきはね上げて/バタ足大きな姿が泳ぎ出す」プール

 

夏蜘蛛、ドブ川、笹舟という暗めな単語が散らされた歌詞中にサビの上記歌詞が輝いている。
君に出会えたことがいかに自分の中できれいな出来事なのかが伝わってくる。
太陽いっぱいの日差しがプールの水面に反射する。
そんなきらきらとした情景が、水音のようなサウンドと歌詞からイメージが出来る。
“誰も触れない二人だけの国”と歌うロビンソンの歌詞のことを、
何かのインタビューで「二人だけの国の国歌のようなものを作ろうとした」と読んだことがある。
スピッツの歌詞は、あらゆるものから逃げ出したり、新たな土地を求めて旅をしてばかりだ。
(だからもっと遠くまで君を奪って逃げる/スパイダー)
(最後の雨がやむ頃に本気で君を連れ出した/虹を越えて)
(歪みを消された病んだ地獄の街を 切れそうなロープでやっと逃げ出す夜明け/インディゴ地平線
『プール』の場合、「君」とはどこかへ逃げることも無く、新たな世界へ連れて行ってくれるわけでも無いが、
僕がいた世界のままで、孤独を忘れさせてくれる。
でも歌詞全体で見たら「霧のようにかすかに消えながら」「風のように少しだけ揺れながら」とかすかなものが背景にある。
君と僕との国歌が生まれる直前の歌だと思う。(わたしは、ロビンソンよりプールの方が好き)


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「君の青い車で海へ行こう おいてきた何かを見に行こう もう何も恐れないよ
そして輪廻の果てへ飛び下りよう 終わりなき夢に落ちて行こう 今変わっていくよ」青い車

 

涼しげでさわやかな曲調の中で、歌詞は現在形ですすんでいく。
車・海・輪廻というモチーフからこの曲は心中ソング説が出来上がっているのも納得できる。(わたしはそういうの好きじゃないけど)

何も恐れないと言いながら、進む先が青い海、そして輪廻の果て。
輪廻といえば『田舎の生活』では土地に根付いた暮らしに対して「終わることのない輪廻の上」と歌っている。
続いていく今の暮らしから抜け出したい、という歌は数多くあれど、抜け出した先が「パラダイス」や「天国」では無く「輪廻の果て」という歌はこの曲以外に無い気がする。
輪廻もパラダイスも天国も死のイメージから近いけれど、パラダイスや天国のような、土地感のある言葉では無く、“果て”というただの場であること。それに突き進んでいくところが、この歌の持つ怖さだ。

スピッツの歌には、死は様々なモチーフとスタイルで出現するが
「ボロボロになる前に死にたい」僕はジェット
「どうせパチンとひび割れてみんな夢のように消え去って ずっと深い闇が広がっていくんだよ」ビー玉
それらのような死生観や死への向き方を歌うのでは無く、生と死を同列の上で語り歌う。
そのうえで明るく爽やかで前向きな『青い車』は間違いなく、スピッツ史上最上の歌詞だとわたしは思い込んでいる。

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「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日 でもさ君は運命の人だから強く手を握るよ」運命の人

 

物語を拓く冒頭だと思う。
バスの揺れ方→人生の意味がわかる、という図式ですら「?」なのに、さらに「でもさ君は運命の人だから」→「強く手を握るよ」と、???な展開を重ねられると、聞いてる側は(そういうもんなのかな)とつい納得をしてしまう。
愛はコンビニでも買える気もしてくるし変な下着に夢がはじけることもある気がしてくる。知らないうちに歌の中の描写に自分を重ね、バカのように「うん、うん」と、うなずいている。
「もう少し探そうよ」「叩き合って笑うよ」とか更に言われると、頭の処理能力が既に追いついていないため「うん!」と着いて行ってしまいそうになる。
その時にはもう手遅れ。既に扉は開いているし、この地球の果てまで一緒に走ることになっている。もう今さら引き返すなんてとても無理なのは、自分で「うん!」と言ってしまったことをきちんと覚えているからだ。
でも、恋の喜びや運命の人と出会った時の高揚感や向う見ずに走ってしまうような感覚ってあるかもしれない。それもいいかもしれない、と、この機に及んでも納得させられてしまう。
この曲においては、余計な歌詞解釈や深読みは必要ないと思う。
突拍子もないことに共に驚き、なんとなくでどこまでも行けちゃいそうな、そんな恋の喜びをめいっぱい体で感じるのが良いと思う。そのトンデモさに、一票投じたい。

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「唇をすり抜けるくすぐったい言葉のたとえ全てがウソであってもそれでいいと/
偽りの海に身体委ねて恋のよろこびにあふれてる」フェイクファー

 

この歌の詞は、過去完了形の言葉の長い連続から、上記の現在形へ移動していく。
分かち合うものなんか何もないし、全てがウソで、この恋は偽りだらけかもしれないと
十分に分かったうえで、それでも「今から箱の外へ」と未来へと動きだし
「未来と別の世界 見つけた そんな気がした」と弱気ではいるけれど、
何かを得ようと模索している姿が、スピッツの中では、いまだにとても新しい。

他の楽曲で夢幻にすがっていたり
(幻よ さめないで/渚)
(正しい物はこれじゃなくても忘れたくない鮮やかで短い幻/ホタル)
騙されている嘘だと分かってても何もしないままだったり
(ふざけ過ぎて恋が幻でも構わないといつしか思っていた/冷たい頬)
(幾つもの作り話で心の一部をうるおして/魚)
(君の言葉を信じたい ステキな嘘だから/ネズミの進化)
ひどいときなんかとんでもない拍子抜けたこと言いやがる!畜生!
(すべてが嘘だったとわかった お弁当持ってくれば良かった/五千光年の夢)」

恋の場面で、自分が「分かってしまっている」時のせつなさといったらこのうえない。
でもこの歌はそれでも暗くなり過ぎずに救いがあるような、だけどなんだか不安定な
そんなふわふわしたやわからさが全体から溢れていて、もう、泣いてしまう。

 

後半へ続く

 

 

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