ピロートーク

やがて性愛

哀願と呪詛をいだきて

体育教師の「二人一組になれ」コールが怖かったという話を見ると、ああみんなそうだったんだと少しホッとする。わたしは今でもそれらの類のものが怖くてしかたない。

 

ビルのエレベーターの中で、わたしは4人の人と乗り合わせる。内訳、男性二人と女性二人。おじさんとお兄さんと、おばさんとおねえさん。それとわたし。

こういう時に「今ここで二人一組になれって言われたらわたしはどうしよう」と不安になる。

二人一組になる必要は、多分、デスゲームがこれから行われるからだ。エレベーターは突然止まり、真っ暗になる。「きゃあ!」と驚くと同時にチャイムの音がする。それから放送が流れる。
「エレベーターにご乗車の皆さんこんばんは、あなたがたにはこれから二人一組になって殺し合いを始めて頂きます。おやおや、どうやら5人乗っているようですね、ではあぶれた方には早速ですが死んでもらうことにしましょう」
ピエロの仮面をつけた男の影が、エレベーター内にぼうっと映り、そう言い放つ。我々に拒否権は無い。

二人一組にならなくちゃ。男の人はきっと男同士でペアを組もうとするだろう。だとしたらおばさんかおねえさん、どちらかとペアーを組まなきゃここでわたしは死んじゃう。どうしようどうしよう。
もちろんそんな放送は無くペアーを組む必要もないため、取越し苦労中の取越し苦労で済むのだけれど、本当に、いつも思う。そしてわたしは焦る。


会社でも、家でも、どこでもそういう考えが過るから、デスゲーム系のコミックやドラマが流行っているのはなんだか分かる気がする。

「殺人ピエロ」的な謎の力に向き合った時に絶望を感じるのは、ピエロから逃れるために必要なのは、運や知恵や力だけじゃないからだと、本能が感じているからだと思う。

ピエロが殺したいのは、運や知恵や力が無い非力で愚かな者では無い。彼の求めるものは、「殺されてもしょうがない人」だ。このデスゲームに勝ち残るには、普段の暮らしで“良いやつ”だったということが必要になってくる。良いやつだったなら、二人一組のペアー組に悩む必要も無いし、誰かに迷惑をかけた罪とかに心当たりが無いから余計な神経をすり減らさずに済む。でも、自分が「殺されてもしょうが無い人」じゃ無くて「良いやつ」であると、どうやって自信持って答えられよう。

 

体育の授業、ビルのエレベーター、飲み会、オフィス、満員電車。

今もどこかでデスゲーム・チャンスが生まれている。

わたしは良いやつでありたいし、さほど大きな悪事を働いたことは無いはずだ。とはいえ、とても怖いし不安だ。でも、ピエロが怖いからっていう理由で今後は心を入れ替えて生きるなんてのもまっぴら御免と思ってしまう。兎にも角にもピエロに怯えながら、出来るだけ過ちをおかさないように、生き続けるしか無いのだ。今のところは。

 

<星遠き深夜の窓に哀願と呪詛をいだきて歩みよりたり>広中淳子