ピロートーク

やがて性愛

羽海野チカの漫画。

今さらだけど、羽海野チカの漫画が好き。読んでいると、いちいち心を動かされて忙しい。批評や皮肉を言う暇もないほどに好きだし、多分これからもずっと読み続けると思う。


「ハチミツとクローバー」「3月のライオン」のどちらも、天才を書いた漫画。
はぐちゃんや森田さんや、桐山零や様々な棋士が、自分の才能とどうやって向き合っているか、どうやって「天才」になったのか、その才能が他人からどのように受け取られるか。天才では無かったわたし達も、漫画を通して「天才」を知り、感情移入することが出来る。
でも、自分が実際にはぐちゃんの同級生だったり、棋士だったら、嫉妬したり恐れたり「天才のことは分かんねーよー」と遠ざけたかもしれないな、と思う。わたしは、性格が結構悪い。知ってた?

羽海野さんのことは、あんまり知らない。
コミックスのおまけに書かれた作者の日常コーナーや、キャラクターブックに書かれた対談や他の漫画家のコメントでしか、作者の面影を感じたことが無い。ツイッターをやってるらしいけれど、なんとなくフォローはまだしていない。でも、なんていうか、きっと「天才」なんだと思う。だから、漫画の中で“天才”と呼ばれる人を描かずにはいられないんだという気がしている。

 

ハチクロ6巻で、はぐちゃんがキャンバスを前にうずくまっている姿。
ライオン8巻で柳原棋匠が周囲からの“襷”を掴み、盤を見つめる姿。


こういった姿と見たことのない羽海野さんの姿が重なる。内臓のどこかがキリキリちりちりする。ごめん、ごめん、わたしには分からない。でも、分かりたい・応援したい。そんな気持ちになる。

羽海野漫画を通してわたし達は「才能や使命と向き合って生きることの大変さ」を知ることができる。そして、才能と使命というセットを背負いこんで生きるのは、しんどそうだということも。
強い才能は他人を巻き込むものだから、自分一人だけの世界にはどうしても居られない。自分の背負いこんでいた荷物だけではなく、他人から何かを抱えこまされたり守らなきゃいけないものなんかも生まれてくる。そうすると、何かを創作したり戦うためにあけていた両手が不自由になる。

重いものを背負っていても、何かを抱えこまずに両手を自由に広げられることは本当に難しいだと思い知らされる。森田さんや森田父のようになるのは、きっと相当強くなければ難しい。
(あの父子は本当によく似ている。馨はつらかったろうな。だからいろいろ抱えてしまったんだろうな。両手がふさいで何かに没頭するしか無かったんだろうな)

今さら何かの天才にはなれない自分と、母の再婚によって初めて自分自身のことを考えなければならなくなった竹本くんの姿が、家族を失って将棋に没頭するしか無かった桐山くんの姿が、ここで重なる。竹本くんは自分の道を見つけられたし、桐山君もかじりついてかじりついて生きている。

だから、大丈夫。もがくしか無い。自分に出来ることを精いっぱいやってみて、その後の人生のことは、その後に考えることにする。