読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ピロートーク

やがて性愛

どうしてもつかめなかつた

テレビの健康番組で顎関節症をゲストの医者がパネルを使ってタレント達に紹介しているのを見て、中学時代の友人Tを思い出した。Tは、なんか変な子だったなあと思う。ふつうに可愛くて勉強もできる子だった。一時は凄く仲良くしていたけれど、なんか変なことを言う子だった。


「あつこにだけ言うね、Tね、実は病気なの」
部活帰り、夕方の下足箱付近で打ち明けられた。
(よく考えるとすごくそれらしいシチュエーション
「顎関節症っていう病気なの、治らないんだって」と言われた。
がくかんせつしょー?となったけれど「治らない」「あつこにだけ」という言葉が気持ちを重くした。
あれから10年。わたしは10年間かかって、Tは何か勘違いをしていたか話を盛っていた、ということを知った。テレビの医者曰く、顎関節症は若い女性がなりやすく、症状が重いとしんどいが治る病だとのこと。

「今度温泉旅行しようよ。うちに旅行のチケットがあるから無料なんだ。伊勢エビとか蟹みたいな御馳走も超食べられるし、部屋から海も見えるんだよ。あつこの家族を誘っても平気だよ。みんなで行こうよ。」
これは初夏の登校中に言われた。旅行かあ、ええなあ、とぼんやりしていたら一日が終わった。下校時に一緒に帰る時Tに言われた。
「今朝の旅行の話。あれ、実は全部ウソ。騙された?」
えっ、と思い、とっさに「忘れていた」と言うと「なんだ、楽しみにしているかと思った」とのこと。
(でも、今思うと中学生が考えたわりには渋い旅行プランだなあ)

 

小さな嘘や見栄をつかれ、話を盛られることが多かった。お父さんは○○大学を出て××に勤めしている、親戚の人が△△をしている、みたいなほんの小さなもの。
わたしはいつも信じこみ、後になってそれが嘘だったことを知る。騙しやすかったのかな。そのうち疎遠になっていった。不信がたまったことが原因じゃない。だた、互いに付き合う友人のジャンルが自然に変わっていった。

彼女のよく分からない嘘や話の盛りは、「少女期によくある症状」と呼ばれるものだったのかもしれない。

 

吉田秋生の『ラヴァーズ・キス』(文庫版)巻末に収録されていたエッセイを読んでハッとなった。ラヴァーズ・キスは鎌倉を舞台にした高校生男女6人のラブストーリーで、それぞれの思いの交錯が読み手の胸をしめつける。高校時代の感覚を思い出した有吉玉青さんの文章。

 

「次々と頭と心を悩ますような出来事がふりかかってくる。それについては、その対処の仕方がわからなかった。悩み方がわからないのだ。もっと言うなら、なにで悩んでいるのかが、わからない。たとえば、失恋をしたにしても、そのあと心を覆うさまざまな感情が手にあまった。互いに心を開いて話し合える友達のいることは心強かったが、表現力に事欠いて「失恋のショック」としか言えないことが、もどかしかった。」

「問題を整理できるほどの言葉も経験もなく、よって問題が何であるかも定かでない。また、それがわかったところで、問題には解決のつかないものがあるということを知らず、ごまかしたり折り合いをつける、あるいは開き直ってしまうといった、生きてゆく上での小技を知らない。かくして、その時代の問題は、そのときに処理しきれなかったまま残っているのである。」

 

中学時代、わたしは嫌な思いをたくさんしたし、わたしもきっとたくさん人を傷つけてきた。でも、何も言えなかったし何も言われなかった。自分の気持ちを表現する術を知らなかった。気持ちを表す言葉を獲得したのなんてここ数年のことだし、本当の気持ちなんて未だに言えやしない。こういう人って多いんじゃないかと思う。

当時の話をしていると、自分の言葉によって気づかされる感情が多くある。

 

「なんで嘘つくの?」

例えば、わたしはTにそう言いたかったんだと思う。でも言えなかったし思いつきもしなかった。

今となって、わたしは話すけれど、それは今の言語感覚から推測された当時のわたしの心境に過ぎない。「当時のわたし」はきっと、今でも言葉にできないもやもやを抱えているのだろうし、10年越しに表現されることなんかきっと求めちゃいないだろう。でも今のわたしには言語化して寄り添ってやるぐらいしか出来ない。過去に生きている人を抱きしめることはできないのだ。

 

<どうしてもつかめなかつた風中の白き羽毛のやうなひとこと>今野寿美