ピロートーク

やがて性愛

もう一つの人生なんてどこにもない

朝や夕方の情報番組を見るのが結構好きだ。
司会者や常任コメンテーターの批評や切り口や安定の流れなんかも見ていて面白いけれど、一番好きなのは各ニュースごとに呼ばれる「その道の専門家」たちの意見や振る舞い方。

「日中間の政治情勢に詳しい○○大学△△学部のA教授」
「子供の成長における家庭内の影響を研究されている□□クリニックのB医師」
「桜の開花状況専門家の◇◇学会のC先生」

まあ政治経済や教育、環境問題について詳しい人を探すのはまだわかるけれど
時々 おいおい その専門家どこから見つけてきた??? みたいな人がいるのが面白くて特に好きだし、正直わたしもそういう人になりたい。

 

河童と人間の生命比較倫理学、とか(?)
猫ちゃんのおみみ甘噛み研究家、とか(?)
秋葉原アイドルと秋葉原カレー店愛好会、とか(?)
そんな感じのひとかどの人物。


ただ、こういった方々がどういうときにテレビ番組にコメントを求められるのかは今のところ検討がつかない。
たぶん河童の社会進出の際に河童が「河童だから」という理由で不当な差別を受けて裁判を起こした際や、猫のおみみにがん細胞を殺す成分が見つかった際、アキバ系アイドルが秋葉原のカレー屋で謎の死を遂げた際なんかには、うってつけかもしれないが、そんな事件が起きるとはなかなか考えにくい。

ぼーっとテレビ見てるときに「河童と人間の生命比較倫理学を研究していらっしゃる○○大学のA先生にご意見を…」なんて司会者が言い出したらわたしは絶対に三度見はするだろう。タイミングや分野によっては牛乳ぐらい吹き出すかもしれない。

あまりの○○に何かを吹き出す、というのは面白さや驚きの強さの比喩にはなれど指標にはなり得ぬと思う。でもそのときばかりはわたしは吹き出すだろう。ただわたしは吹き出す側よりも吹き出される側、コメンテーター・専門家側としてその場に座したい。
わたしは葛藤する。ひとかどの人物になりたいのは、自分の自信のなさからくる願望であって知的探求心では無いんじゃないだろうか。認められたい誉められたいからわざとニッチな分野のスペシャリストになりたい、と言い換えているだけなんじゃないだろうか。そんなの本当の「専門家」じゃなくって、ただの元気なミーハーさんなのでは無いだろうか。
わたしは葛藤する。どうせ、何にもなれやしないんだから何か一つぐらい頑張ってみよう。ひとかどの人物になれるように。今からでも何かに近づくことは出来るっていうことをわたしが信じたい。

 

<もう一つの人生なんてどこにもないあかね雲からほとばしる蜜>加藤治郎