ピロートーク

やがて性愛

かみ合わぬ理論投げ合い

昨年、嵐の「愛を叫べ」がゼクシィのCMソングをもってヒットした。らしい。そしてわたしの友人は少しおかしくなった。本当に“少し”おかしくなった。
その友人の名は、松井君と言う。男子だ。
ハッキリ言って彼は天才だ。
天才という大雑把な言葉で人を括ったり、もてはやすのはあまり好きでは無いのだけれど、彼の場合そうとしか言い表せられない。正直なところ、わたしにも彼の何が凄いのかよく分からない。でも、松井君と接していると「こいつは只者ではない」「こいつには敵わない」と思い知らされる。

そんな松井君は、元から嵐に多大な好感度を持ち合わせていたこともあったからか「「愛を叫べ」聞いた?」と嵐の新曲を追っていることはさも常識であるかのように聞いてきた。「聞いていない」そう言うと、彼は驚き、頼んでも無いのにその新曲を説明しだした。


嵐の新曲を知っていることはどうやら常識らしいので、皆さんはご存じだろうけれど「愛を叫べ」の要点は以下の4つだ。

・「愛を叫べ」はウエディングソングである
・新郎と嵐のメンバーは高校時代の仲間
・新婦は「俺たちのマドンナ」
・嵐の5人が、新郎新婦の結婚式の余興で歌っている(という設定)

 

 

男の友情というものは、女のそれと比べると、確かなものに喩えられることが多いけれど、松井君が言うにはそんなことは無いらしい。男同士といえども、仲良しグループの全員が平等ということはありえず、何かしらの上下関係や距離感をもって友情は育まれるそうだ。

そんな中、ティーンエイジャーの頃にマドンナを奪い合ったにも関わらず、その友情関係には上下関係が一切無く、新郎新婦を祝福する、嵐らの姿はそれだけで「奇跡」を具現化しており、その奇跡性と「個々の祝福の気持ち」が重なることで更なる奇跡が起こる。そのとき「愛を叫べ」という楽曲の「力」は「真」になるそうだ。実を言うとわたしは、ここらへんから話についていくだけでいっぱいいっぱいだった。


女の友情は偽りだ、みたいなのはよく聞くけれど男もいろいろあるのね。まあ思春期って他者の存在が特に気になる時期だしヒリヒリしたりすることも、あるよねえ。
あんまり友人関係で大きく苦労したことない幸福なわたしは、うすぼんやりとした感想を述べた。よく女性の本音!みたいなWEB記事や特集で、女の友情の浅さというものが語られているけれど正直ピンと来たことがない。いわんや男子をや。


「男と女で友情の成り立ちが違うなんて、そんなことあるはずない。女の友情が脆いとき男の友情も脆いのだよ。」

「でもさあ、その上下関係って松井君の気のせいかもじゃん。それに他のグループにも絶対あるなんて言いきれなくない?」と言い返すと「それは違う。いくら仲良しで平和なグループでも、多少の見えない上下関係が存在する」と断定された。うーーーん、と腑に落ち切れないわたしは、絞り出して言った。

「でも、ほら“のび太の結婚前夜”とか。」
「アニメの話を持ち出すんじゃない」

 

確かに具体例でアニメを出してしまった点で、わたしの負けなのだろう。でも、いわんやアイドルソングをや。わたしだけが負けということは、まさかあるまい。

 

<かみ合わぬ理論投げ合い疲れ果てかたみに寂しく見つめあいたり>道浦母都子