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ピロートーク

やがて性愛

形なきものを分け合ひ

考え事 面倒でごめんね 読書や文学

詳細はよく知らないんだけれど、熊本の震災で被災者女性の生理ナプキンが足りないという声に対して男性の偉い人がナプキンは贅沢品!みたいにトンデモなこと言ったらしく大炎上している。らしい。合ってるよね?

もしこの一件にコメントを求められたら、わたしは「それはヤバいね~言ったのどうせオッサンでしょ~?」と、もう薄っぺらい反応しかするつもりはない。だって今さらわたしなんかが語ることはないでしょう。わたしより賢い優しい人たちが、きっともう語ってくれているはずだ。他者への思いやりや自分達が受けてきた性教育、性への認識の話なんかと絡めて。


まあいい。そちらについての言及や考察は誰かに任す。
それはそうと、わたしは小学生の頃に読んだ児童小説を思い出した。

ルイス・サッカーの「トイレまちがえちゃった!」
小6のときに、町の図書館でのイベントで紹介されて読んだ。アメリカのお話。いわゆる問題児の男子と、スクールカウンセラーの交流を描いた話で、大層感動した。こういった、小説の大枠だけ覚えていて、話の筋や登場人物の名前なんかは忘れてしまった。

話の途中で、問題児の男子が間違って女子トイレに入ってしまう場面だけ唯一覚えている。
(いや、覚えているつもりだけれど、正直正しい記憶かどうか分からないな)
(わたしの記憶が確かなら)
その男子は間違って入ったことにすごく恥ずかしい思いをするんだけれど「女子トイレってもっと内装が綺麗で、鏡に装飾がされていて、男子トイレなんかとは比べ物にならないぐらいの場所だと思ってた」「なあんだ男子トイレのブルーの部分がピンクになっただけのふつうのものじゃん。」と驚く。
ここが凄く印象的だった。

 

もはや震災のナプキンの話とは全然関係ないけれど、少年少女にとっての異性って、凄く遠いものなんだろう。分からないからそこで相手を過大評価したり過小評価したりしたまま大人になる。それはそれで良いんじゃないかなあと思う。だって分からないんだもんねえ。分からないから思考停止することはさほど悪い事じゃないよ。

それよりも、分かった時知った時に、「僕たちは違う人間だね、君はあっち側の人間なんだね」と、思考停止する方がよっぽど危ないのではないかと思う。
でもだからといって「相手のことを知り分かり合うための努力を惜しまない!!!」「お互いに違う人間だから分かり合えた時にとても嬉しい!!!」的なマインドを大切にしようと言いたいんじゃない。だって、分かり合うことを目的にして何がしたいんだろう?と訝しげな気持ちになっちゃう。
分かり合う、というのは目的じゃなくて結果論に過ぎないから、分かった時に自分と他人を分けて考えずに、「なるほど、そういう人もいるのか」「案外自分と他人に違いなんてないんだなあ」と同じワールド内でものを見ることができるのが、一番人間関係としてベターなんじゃないだろうか。ベストとまではいかなくても。

 

もちろん、相手のことを思いやったり、自分以外の人の立場にたって考えてみることは大切だと思う。
でも、ごく個人的な私見だけれど
生理の苦しさとちんちんを持って生きることの面倒さの両方をわたしは同じレベルで知ることは不可能だから、「まあ男の人もさ、ちんちんあったりして色々大変だよね、なんか手伝えることあったら協力するから何でも言ってよ。」としか言えない。一生懸命に分かろうとまではしないけれど、わたしはあなた達のことがとても好きだから、分かった時には受け入れるよ、出来るだけ尊重し合おうよ。怒ったりなんてしないよ。
そりゃあトイレはさあ、間違って入ったら恥かくけれど、案外自分も相手も変わらないんだなあって知ることが出来たなら、今よりずっと生きやすくなるよ。異性も同性も、本当は遠い世界の人じゃなくって自分と地続きのワールドにいるだけなんだよ。だから大丈夫。大丈夫だよ。


<形なきものを分け合ひ二人ゐるこの沈黙を育てゆくべし>小島ゆかり