ピロートーク

やがて性愛

君こそもつと知りたきひとり

「いま言ったじゃない。セクシーって。どういう意味?」
「知らない人を好きになること」


クレストブックスから出ているジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』という短編集では「停電の夜に」という表題作が素晴らしいんだけれど、「セクシー」という話がやけにひっかかっている。


主人公はいろいろあって不倫の恋をしているミランダ。彼女は友人の子供を一日預かることになる。7歳の少年だ。その少年はミランダのクロゼットから恋人のために買ったけれどほとんど着ていないドレスを見つける。着てみて、と懇願されてミランダは着てみせると、少年は「セクシーだ」と言う。7歳の少年が、セクシーという言葉を使うことにミランダは驚く。
そして、冒頭の会話。


ありがちな言葉の実体験を話すのはとても恥ずかしいんだけれど、今よりもずっと若いときに男の子から付き合おうと誘われた。うーん、と唸り、なぜわたしのことが好きなのか問うと(若い娘というのは、こういうことが聞けるものなのである)
「あっちゃんと俺は似ているから」と言われた。
ええええっ。に、似てたのか。ていうか似ているから付き合いたいのか。
「君と僕とはよく似ている」なんて口説き文句がきちんと通用する人なんて本当にいるのだろうか?わたしにはちっとも分からない。ちっともちっともときめきなんかしない。だってわたしが好きになるのは、いつも自分とは全然違う人だった。 自分なんて者は一人いれば十分だし小さな世界よりもわたしの知らないワールドを持ち、手をつないでくれる人が良い。
結局その男の子とは少しだけ付き合ったんだけれどやっぱり駄目だった。そりゃあね、本当にわたし達よく似ているならうまくいくわけないよね。だってわたし自身が、似ている人は嫌だと思っているんだもん。


ミランダの不倫相手の男はデパートの店員だ。二人が関係を持ち始めたころ彼の妻は留守にしていたので気兼ねなく会っていたけれど、彼の妻が帰ってくるようになると、そうそう外で会うことはできなくなる。
初めて彼がミランダの家に来ることになる日、彼女は彼のために新調したドレスに着替え、扉を開けて迎えると、彼はトレーニングウェアでやって来た。「妻にはランニングに出ていると言っているから」 ミランダはクロゼットにドレスを仕舞い、それからは彼女もジーンズで出迎えるようになる。
そして、そのドレスが少年に見つかり、リクエストに受けて着る。少年はミランダをセクシーだと褒める。そして、冒頭の会話。


「いま言ったじゃない。セクシーって。どういう意味?」
「知らない人を好きになること」


わたしは人を好きになることが好きなので、これからもどんどん恋をしていきたいし相手を知りたいと強く思っていきたい。そして知ってしまったことに対してガッカリしたり落ち込むことを、出来るだけ受け入れていきたい。でもわたし器ちっちぇえからな、難しいかもな。

ミランダはトレーニングウェアを着て来た彼を見たときどう思ったのだろう。自分と相手の間に小さな溝のようなものを感じたのだろうか。何かわかっちゃった気が、しただろうか。(物語としては最終的に彼女から距離をとって別れるんだけれど、そのときの会話も秀逸。いつか語りたい)

知っちゃった事実云々もだけれど、気づいた知ってしまった分かっちゃったときに、何か言えるかどうかは、個人の資質の問題で、言ってしまったが最後のことが多い気がする。言ってしまった本人は、それが事実のような気がしてくるし、言われた側は釈然としなくても少し気まずくなる。なんとか埋め合わせようとしても、むなしさを感じてしまい以前のようには無邪気に好意を受け取れない。
と言っても、わたしはそれすら言えない性質なため、そのせいで後になって割を食うことがほとんどだ。これはこれでむなしい。そして、孤独だ。

 

そんなことを考えながら、北杜夫の『幽霊』を読んでいたらこんな一文があった。
「識るということは、ときとすると残忍なことのようだ、それは未知の隠避にまつわる光輝を半ばおおいかくしてしまう。」
北杜夫も言うなら、やっぱり本当のことなのだろうなと過去に思いをはせる。
自分に似ている人を探していた彼は、わたしと別れた後、彼そっくりな女の人に出会えて今頃幸せにやっているのだろうか。それとも未だに探し続けているのだろうか。その女の人は、セクシーなのだろうか。
わたしはわたしで、うまくいかないことの方が多いけれど、元気です。

 

<もろともに冬幾たびを籠りつつ君こそもつと知りたきひとり>今野寿美