ピロートーク

やがて性愛

恋はすみれの紫に

せっかくセットしてきた髪がぼさぼさになっちゃって、わざとらしくため息でもつこうかといじわるなをことばかり考えていたら、突然切り出された。

「この前、○○神社行ってきて」


なぜこのタイミングで神社トーク?と思うも、それで?と続きを促す。
その神社はわたしでも名前を聞いたことがある地方の有名なものだった。
トークの内容はたいしたものじゃなかった、道中での出来事とその神社の由緒やどういった人がよく来る神社なのかを話された。雑談は好きだ、意味のないものならなお。


ふと、気になって「神社では何をお願いしたの?」と聞いた。
わたしはその人のことが好きで、その人の願いを叶えてあげたいと思っていて、そのとっかかりとして、愛想返し程度に聞いたのだ。

 

不用意に口をつぐまれた。
「あつこちゃんの」

 

はっ、と予感がして視線を向けた。その人は下を見ていた。視線は合わないまま、助詞を変えて言葉は続いた。

 


「あつこちゃんが、幸せになりますようにって」

「そう祈った」

 

予想外の答えに目を大きく見開いてしまい、わたしも声をなくした。頭の中がぐるぐるして、変な涙が出そうだった。
声をふりしぼって問う。「わたしの幸せって、なに」

「分からない、でも、幸せになってほしい」


なってほしい、なんだね。してあげたい、では無いんだ。
わたしは意地でも将来しあわせになるつもりでいるけれど、誰の手を借りなくても幸せになろうって思っているけれど、幸せにしてあげたい、とも誰かから思われたかった。身勝手な話。

「なるよ、なるから大丈夫」
ようやく出てきた言葉はこれっぽっちだった。
雑談だと思っていたけれど、この人は、最初からこれが言いたかったんだと悟った。
神社がどうの、なんてのは話題の切り口に過ぎない。
神社で何を願ったのか。わたしが聞かなかったらこの人は自分から言うつもりだったんだろう。
わたしから聞いちゃってごめん。でも、それで良かったでしょう?

「幸せに、なるからね」
10代の頃は、ぼんやりと好きな人のお嫁さんになってその人と家庭をつくっていくことが幸せの最低原則のように思っていたけれど、20歳も数年超えると、いよいよ分からなくなってくる。正直、10代の頃の方が今より、ずっとしっかりした考え方を持っているみたい。

 

 

「神様を、信じるの?」と聞いた。
「お正月は初詣に行くし、お盆には実家で線香あげるし、クリスマスにはケーキを食べるよ」
「でも、神様がいるかどうかは、わからない?」
「わからない」


耐え切れなくなって、胸に飛び込んだ。
頭を押し付ける。顔は、化粧がとれるのが嫌なので左をそっぽ向いた。
神様が本当にいたら、今のわたし達をどう見てるんだろうね。
黙って見て、それでいて何も変えようとしてくれないんだったら、凄い嫌なやつだと思うわ。

幸せになりたいんです。
できればこの人と一緒に。できればこの人の手によって。
だからどうか神様お願いします。神様なんていませんように。

 

<きけな神 恋はすみれの紫にゆふべの春の讃嘆のこゑ>与謝野晶子