ピロートーク

やがて性愛

硝子の弾丸を撃つ


生まれて22年、平均身長平均体重中肉中背。
健やかにのびのびと育ったわたしはあらゆるものを憎んでいた。

理不尽な犯罪、動物をいじめること、すぐに充電が切れる携帯電話、平気な顔してドタキャンしてくる知人。電車で空いた席を割り込んで座ったカップル。かわいい人。


背が低かったりして可愛らしいことをアピールポイントとしてモテている女子に対しては
「単にチビなだけじゃん」と。
天然で癒し系と言われ、一挙一動を何かと注目されている女子に対しては
「馬鹿なだけでしょ、年相応の態度とれば?」と。
よく気が利いてサラダを率先して取り分ける女子に対しては
「媚びてる、召使じゃないんだから」と。
自分にできないものを駆使し、高評価を得ているあらゆるものを。とりわけ女子を憎んでいたのだ。


だから、コンプレックスをこじらせる前にいっそ真逆を目指すことにした。
自立していて、男の思うままになんか絶対にならない、しっかりしたおねえさん。
ふっきれたさっぱりとした強さを目指しながらも、わたしの脳裏にはどうしてもちらつくことがあった。


「手」だった。
手。てのひら。掌。わたしの手は変というわけではないのだけれど、大きい。一般20代女子の平均値と比べたら確実に大きい。
短くて太い指。なんか肉厚で、ごつごつした質感、、男臭くてすごく嫌。カワイクナイ。

ラブソングにある
「君の小さな手が~」とか「細い指が~」とかその類の歌詞を見かけるたびに大いに傷ついてきた。
(この歌は、わたしを歌ったものではないし、わたしをこのように思ってくれる人は世の中のどこにもいない)
思春期の頃、大好きなバンドの曲を聴いてもそんな思いでいっぱいだった。

未だにそんなことでウジウジしているなんて、自分の理想の「しっかりしたおねえさん」からかけ離れていることはよく分かっていた。だから、更にひらきなおった。
手のひらの話になったとき、手のひらに視線を感じたとき、「あれっあっちゃんって手…」と切り出される前にと自ら告白した。
「そうなのー!わたし手大きいんだよね!」
「気にしているんだよねーなんか女らしくないじゃん?」
「ラブソングの歌詞とか本当に傷つくんだよね~!」

 

相手は悪気ゼロだし、バレてしまったんだから、自分から心の予防線を張り巡らして、両手を後ろに隠す。

そんなあるとき、手をつないだ。
つないだわたし達の手に彼のまなざしが降るる。あっ来ると思い、牽制をしようとするわたしより先にあっちが口を開いた。
あっちゃん、手、小さいねえ、かわいいねえ。
えっ
そんなことないよ大きいよほーら(手をめいっぱい広げる、何してるんだ自分)
ううん小さいよかわいいよほら比べてごらん(手を重ねる、そりゃああっちのほうが大きいに決まってる)


のろけたいんじゃない。
自慢したいんじゃない。
わたしは、急に自分が恥ずかしくなったのだ。


手のひらの小ささなんかでカワイイを測らない、自立した女性になろうと思っていたにも関わらず、わたしはそのときとても嬉しかったのだ。
手が小さいと言われてとても嬉しかった。「そんなことないよ」と言える自分に快感と喜びを感じていた。
 “わたしの手は、小さくて可愛い”

憎んでいた女子たち側に今立っている。そしてわたしはこの場所に永遠に居たいと思ってしまっている。カワイイ可愛いあっちゃん。そうありたいと願ってしまった。この気持ちと「自立したしっかりしたおねえさん」は共存できない。

 

結局わたしはかわいがられたいんだ。
甘やかされたかったんだ。
女の子扱いしてもらいたかったんだ。

 

そんな自分に気づいてしまった。もう戻れない。もう彼女たちの悪口は言えない。
認められた恍惚感に絶望が寄り添ってきた。選択をしなければ、という意識に追い込まれた。


生まれて22年――秋には23歳になる。会社勤めをしていて年金も払っている
平均身長平均体重―――ここまで大きく育った、何も文句は言えない、もう十分だ

 

かわいいを捨てようと思った。
今度こそ本当のお別れだ。

もちろん社会的に見てわたしは若い女で、これからも人様から可愛いね等言われることもあるだろう。
わたし自身もうぬぼれることや、他人に無責任に「可愛いね」を言うこともあるだろう。でも、ついに、今度こそ、カワイイを求める生き方と志向にさようならを一方的に言おうと思った。

さようなら。さようなら。わたしあなたが大好きでした。ずっとずっと。


<愛してるどんな明日も生き残るために硝子の弾丸を撃つ>田丸まひる