ピロートーク

やがて性愛

「さみしさに嘘はつけない」

「あっちゃんは寂しがり屋だから」と言われてたじろいだ。
「えっ」
さみしがりや。
わたしはさみしがりや、だったのか。


ハードボイルドにクールにキめたいと思っている身としてはだいぶショッキングな言葉だった。
一人で映画も散歩も買い物もできるし、一日中お留守番していることもできるし、連れ立ってトイレに行くような性格ではなかった。


「そうかな」
「違う?」
「わかんない」


自分はさびしがり屋だ!!!と高らかに公言するほどダサいことはそうそう無いけれど、他人からそう言われた以上、そのように見られる“ふし”があるのだろう。


さびしさ、という言葉に向き合うたびに思い出すことが二つほどある。


一つ目は、まだ小学1年生だったとき、8月31日、夏休みの終わりの日だった。
わたしは当然のように夏休みの宿題をすべて終えていて、
(ご存じないかもしれないから自負するけれど、わたしはよくできた良い子だったので、人生で一度も親から宿題をやりなさい等叱られたこと促されたことがないのである)
「これが“夏の終わり”かあーーー」という感覚で過ごしていた。


なぜ夏の終わりにしみじみじていたのかというと、これには理由がある。
わたしは、3歳から小学校にあがるまでの間、親の仕事の都合で某南国に住んでいたのだった。
一年中、夏の国。
日焼けをした人が歩き、夕方にはスコールが訪れる、四季を持たない国。


そのため、その日はじめてまともに「季節」が一つ終わるということを感じ、感傷に浸る、という経験をしたのである。

 

5つ上の兄の持っている漫画を読み、サ○エさんやらドラ○もんやらちび○るこちゃんやらの
子供向けアニメを見て育っていたわたしは、“8月31日とは、子供が夏休みの宿題に追われるもの”という図式が既に出来上がっていた。

けれども期日内にきちんと仕上げる性質のわたしには、それらのイメージ図が無関係に終わった。
(まあでも、たしかに去年のお兄ちゃんもそういうわけではなかったし)
(そういうもんなのかなあ)


でも


「夏休み最終日ってもっと特別な感じがすると思っていたなあ」と6歳なりの夏の終わりの過ごし方について考えていた。
6才の女の子にとっての特別、って何なのか、今ではちっともわからないが
(ちなみに今のわたしにとっての特別な夏の終わり、というとBBQやスパークリングワインといったものをイメージする。たぶん昔の方がずっと繊細だったのだろう)

 

 

ところが

 


その日、兄が「自由研究」に何一つ手をつけていないことが判明したのである。

「えっだって自由ってあったし」


「前の小学校ではそんな宿題なかったし」と言う兄に対して「完全に油断していた」とパニックになる母。1日で終わるものにしなければならないため“町の浄水場”へ問い合わせ、急いで社会科見学をさせてもらいに行く二人を見ていた。

「お母さんとお兄ちゃんはちょっと出かけてくるから、あつこはお留守番していてね」とわたしは言い残され、8月31日をぼんやりと過ごし極めた。(たぶんテレビ見たり、兄の漫画読んだりしてたんだろうなと思うよ)

 

 


きっと寂しかったんだと思う。
予感が裏切られること、放り投げられること、心配してもらえないこと。
そういったこまごまとした要因が一つの結果に落ち着いて、でも自分の力ではどうしようもできないこと、というのが今のわたしの寂しさの根源に鎮座しているのだと、自分自身に気づかされる。

 

そして二つ目、

高校生の時、学校の図書館に児童福祉施設のドキュメンタリー漫画が置いてあった。
なんか変に古い絵柄で、暗い雰囲気を醸し出していて、妙に気になって手にとってみると意外と面白く、読み進めていた。

内容はあまりはっきりと覚えていない。
けれど、養子にもらった少女が素行不良で学校をさぼったり万引きやら売春を繰り返して
養父母がどうしたらいいのか途方にくれている、という展開だった。
「軽い犯罪」でも繰り返していたため、家庭裁判所的なところで裁判みたいなことになる。
(よく覚えていないし仕組みや施設についての知識が皆無なためどうしても、こういう曖昧な表現でしか言い表せないのが情けない)


少女が自分の主張をする番になる。
まっすぐに立ち、涙も流さずに叫ぶ。
「私は寂しい」


漫画の登場人物たち同様に、わたしもびっくりした。
さびしさって、アピールしていいんだ。


小学1年生の頃は、ただ自分の感情を言葉にする術も語彙も持たなかったために何も言えずにいたけれど、大きくなってもわたしは肝心なこと本当に言いたいことを言えずにここまで来てしまっていた。

何度か辛いことがあったとき、独り言ちしてみたことがある。


私は、寂しい。


すると不思議、
好きな人たちと楽しく遊んだ帰り道のような、ハッピー気分満載のときもたちまち寂しさが募ってくる。


漫画の影響を受けて放った自分の言葉に、影響を受けて本当に寂しくなるなんて、まだまだだなあと思う。
ハードボイルドの道は、とても険しい。


<「さみしさに嘘はつけない」立ったまま接吻うける花月あはれ/橘夏生>