読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ピロートーク

やがて性愛

観覧車回れよ回れ

愛だの恋だの 読書や文学

「恋の最大の喜びはねえ…相手の手を、こう、握ることにあるんだよ」


これを言ったのは、以前の日記にもちょろりと書いた、高校生の頃の現代文の先生。
女子校のクラスはこの一言を食い入るように聞いていた。誰も茶化すことなどなかった。
もちろん、わたしも。
好きな人ができて、付き合うようになって、相手との距離を縮めたい(心も、体も)と思い願っていたわたしにとって、この言葉は忘れられないものだった。


彼をどこまで受け止めていいのか、彼の希望をどこまで聞いていいのか。
16才だか17才だったわたしには、そんなこととても分からなかった。
もし拒めば、嫌われてしまうのではないか。それは愛ではないのではないか。そういった心持から彼を受け止めよう願いをできるだけ叶えてあげようと必死だったわたしの心に、すとん、と落ちていった。

「真実の愛」とは「永遠の恋」とは何か――。
そういったことにばかり興味を持っていた高校生だったわたし。
(そもそも女子高生ならみんな一度はそういったものを夢を見るのではないだろうか?)
ただ、彼の手をにぎる。
それだけで恋の喜びを、わたしたちは味わえているのだと自分を信じることができたのだった。


もうわたしは22歳になるしプラトニックラブなんて求めていないし、今さらむりだってわかっている。けれど、あの頃のわたしに、何か一つだけ言うことができるのなら…と頭の中にぐるぐると、言葉が形を目視させてくれない。

 

そのときの彼と、デートで観覧車に乗ったことがある。
ゆうっくりとわたしたちを乗せた歯車が、空を横切って行こうとするとき、わたしが彼の横顔を見つめているのことなど気づいているのか気づいていないのか彼は、観覧車から見える風景についてのあれこれを説明している。
話半分に聞きながら、わたしは、今ここで死にたいと願っていた。
夢見がちにいつか彼と結婚したいと思っていたが、その時はっきりと今過ぎていく時間はもう二度と戻ってこないということ。いつかわたしたちは別々の道を歩むのだろうということを悟った。
だから、今ここで死にたい。
幸せなうちに 夢のまま終わりたい 隕石よ落ちてこい 地球よ滅べ
頂上付近になったとき、彼はわたしにキスをしてきた。

観覧車のてっぺんでキス。
こんなありきたりな光景を彼は、ありきたりを受け入れたうえで行っているのだろう。そうしながらわたしは泣きそうになった。
なんで泣きそうになったのかは教えない。
自分で考えて。

 

先日、当時書いた詩が出てきた。
JKらしくて青臭くて恥ずかしいけれど、わたしの記念碑のひとつとしてここに掲載させていただきたい。

 

『観覧車』
このまま世界が 音もたてずに
しん、と 終わってしまえばいいと
本気で祈った
十五の秋

横に座るあなたは
そんなこと きっと 考えてもいなくて
下に見える 
海と橋の話をした

悲しくて
それでも幸せで
手をつないで 本気で祈った
十五の秋の話

 


「手をつなぐことが恋の最高の喜び」と先生は教えてくれた。
現在21才、観覧車に乗った日から丸5年が経った今、わたしは決めつけてみる。
「好きな人と一緒に観覧車に乗ったことがないと恋は語れない」
これっぽっちの経験を、わたしの今後の人生のアイデンティティに、しようと思う。

 

〈観覧車回れよ回れ思い出は君には一日我には一生〉栗木京子