わたしを忘れてしまつていいから
BUMP OF CHICKEN、あまり詳しくないんだけれど、この前『花の名』って曲聞いて驚いた。
♪
簡単な事なのにどうして言えないんだろう
言えない事なのにどうして伝わるんだろう
一緒に見た空を忘れても
一緒にいたことを忘れない
あなたが花なら沢山のそれらと変わりないのかも知れない
そこからひとつを選んだ僕だけに歌える唄がある
あなただけに聴こえる唄がある
♪
わたしに詩の良し悪しなんて分からないけれど、本当に普通に良い歌で。
だけれど、ひとつだけ引っ掛かった。
「一緒に見た空を忘れても、一緒にいたことを忘れない」なんだね。
思い出って、五感で記憶することが多いから、五感が刺激されて、エピソードが戻ることはあったり、
エピソードだけ覚えてることはたくさんあっても、そこから五感が甦るなんてあるの??
わたし、経験したことない。
テレビの星座特集を見て、
「ああ、あつこと星空を一緒に見たことあったよなあ」って思い出されるよりも、
「ああ、こんな風な星空を昔誰かと見たことがあったなあ」のほうがわたしは嬉しい。
その後に、その相手がわたしだって思い出さなくても、別にいい。
わたしのことは忘れて構わない。
でも、感覚を忘れないで。
感覚を思い出すたびに、間接的にわたしを呼び覚まして。
それまでは記憶の中で眠らせておいたままでいいから。
好きだった人の五感の中に居られるってことは、その人の一部になれたってことだと思う。
わたしは小さくても良いから、爪痕を残したい。
五感。
嗅覚、味覚、触覚、聴覚の思い出は、なんか思い出せないなあ。
視覚ならある。
電車で、好きだった人が住んでた町を、その駅を横切るときに、いつも、いろいろなことが甦る。
二人並んで笑いながらその道を歩いたこと、すれ違う心を感じながら二人で歩いたこと、帰り道として泣きながら一人で歩いたこと。
ふっきれたはずのことまで思いだし、許したはずのことさえ怒りが目覚め、その駅を通りすぎるたび、その道を車内から見るたびに、その時のわたしに戻る。
これは視覚の記憶だと思う。
感覚と記憶ってどっちが残るのだろうか。
わたしは、好きな人と空をまじまじ見た思い出なんてないけれど、思い出さえあれば彼のことは忘れずに済むのか。
それとも空の記憶が勝つのか。
誰かの、できるなら好きな人の、一部になりたい。
一生を添い遂げるなんて無理だってわかってるし無理だったから、ほんの一部でいいから、なりたい。
わたしもわたし一人で生きてるようで、様々な人の一部で出来上がってるんだろう。
6年すると人間のからだの細胞は、みんな入れ替わるんだって。
6年前の記憶を忘れても、誰かを構成する一部になれたら、なってくれたら、わたしたちはなんだか強く生きていけそうだね。
おやすみ。
〈安らかにわたしの母は死んでほしいわたしを忘れてしまつていいから〉河野裕子