滅ぶことなく生くる哀しさ
恋人が友達と「死ぬのってこわいね」みたいな話をしたそうだ。
その友達は「俺は不老不死の薬を飲んでずっと生きていたい」と、恋人はそんなの嫌だと言った。
その話を聞いて、わたしは「不老不死の薬ねえ」と笑った。
「じゃあわかった、不老不死の薬、一緒に飲もうか。」
そう言ったら、またしても「それはイヤだ」と返された。
わたしなりの、アイラブユーだったんだけれどダメだったみたいです。
相手には死なれたくないとか、元気でいてほしいとか、普通の感情よね。
今年の七夕は、お星さまに恋人の健康を祈りました。
「ずっと一緒にいられますように」とか「結婚できますように」とかカップル特有の願い事はいろいろあるだろうけれど、それらはわたしが頑張ればどうにかなるかなあと思いまして。
でも健康とかそういうものは、今のわたしには何もできないし。マジで星頼み。うん。
延命治療とか安楽死とかあるじゃない。
愛してるから辛い姿は見たくない、といってそういった処置をとるとか安楽死させるとかあるじゃない。
なるほどなーと思ってたんだけれど、最近久しぶりに『あさきゆめみし』(大和和紀)読み返していて考えました。
年齢を重ねて、自分の限界が来る前に来世のために出家したがる紫の上に対して、「愛してるから離れたくないから出家しないでくれ」と頼み込む源氏の君。
あー、そうだそういう愛もあるんだよな、と。
現在の感覚と、平安時代の感覚と(それも一流貴族!)、同じように考えてはだめだろうけれど、
ずるずると、かっこよくない、潔くないものも、有りかもな。
本当に紫の上を愛してるなら、彼女の望むように出家させるのが、真実の愛とかいうのかもしれないけれど、それも良いんだよねェ。有無。
かっこいい別れなんて、当分わたしには出来んね。いや、したくないけれど。
素敵な別れ方のプロデュースが出来るうちは、まだまだ大丈夫なんだろうなとか言ってみたり。
どうせお別れするならかっこいいのが良いけれど、
なりふり構わずがむしゃらに愛したいものです。
ではまた。
〈ダ・ヴィンチの解剖図譜の美しさ滅ぶことなく生くる哀しさ〉小関祐子