ピロートーク

やがて性愛

放熱つづく夜を覚めをり

7月22日は、父と父の登山仲間と埼玉県の高校野球準決勝試合を、県営大宮球場で見てきた。バックネットすぐの良い席で、準決勝ともありなかなかいい試合だったと思う。
熱中症と日焼けの対策は万全だった。思いつくあらゆるものを持っていき、予防したので、倒れることも真っ黒に焦げることもなかった。

試合中盤に日陰で休憩していると、担架で高校生の女の子が運ばれていった。今試合している、県立高校の応援の女生徒さんだろう。担架の上に寝ていたが、顔とスカートの上にタオルが置かれていて、そこの配慮はされていて良かったと思った。でも、そりゃ倒れるよなとも思った。

 

試合後は、立ち飲みやでビールとレモンサワーと焼き鳥なんかを食べた。父と父の友人らと旅行の話や過去に起こした交通事故の話をして解散をした。


ちなみにわたしは自損事故を一回だけしたことがある。
社会人1年目の夏、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を池袋で見た次の日に、映画の影響で「俺がマックスだ!!!」という気持ちでハンドルを切ったら、柱にぶつかり車をへこませた。母に土下座して謝った。修理代3万円。ちょうど車検のシーズンだったので、何とかなった。俺はマックスなのに…。


話がずれた。


家に帰って、買い物をして、大河ドラマを見た。
昼間に浴びた日光がまだ体内に残っていて、火照っている気がしたので銭湯に行った。はじめて水風呂に肩まで浸かることができた。小学生の頃のプールの授業と同じで、水に触れると冷たくてとてもこの中には入れないと思うけど、思い切って入ってみると意外と大丈夫なんだね、あれ。水風呂の高さが中途半端だったので、空気椅子みたいな体勢でしばらく浸かっていた。体の中の熱が出ていく気がして気持ちいい。
水風呂と、ジャグジー風呂を何回か往復して銭湯を後にした。
水風呂効果か夜のおかげか、汗をかかずに家まで着いた。やっぱり疲れているみたいなのでエアコンをつけて寝転がった。ラコステのポロシャツワンピースを着ている。テレビニュースで明日は暦のうえでは「大暑」と言うとキャスターが話す声が聞こえてきた。洗濯しなきゃなとかお米炊いてないなとか明日何着て行こうとか考えるも、ちょっとだけ眠い。少し休んだら、明日の支度をしようと考えた。「ラコステの鰐も寝ころぶ大暑かな」という一句が出来て、こりゃ朝日新聞に投稿するしかねえなと思った。野心があるのか怠惰なのか疲れてるのか元気なのか、よく分からんが、夏の夜らしくて良いなと少しだけ思った。

 

<呼び交はし稲妻光り天と地の放熱つづく夜を覚めをり>栗木京子

君も君も君も死ぬなよ

はしかもおたふくかぜも水ぼうそうもかかったことない。ちなみに骨折も盲腸もりんご病手足口病も経験無い。母からは「ああいう子どものうちにかかっておく病気に、おまえがこの年になってかかったら…死ぬわよ」と、なんか細木和子みたいなこと言われている。でもかかったことないんだからしょうがないじゃん、とも思う。

インフルエンザもかかったことが無い。高熱でうなされたことは何度かあるけど、どれもインフルじゃ無かった。インフルエンザ経験者の知人に「やっぱり普通の高熱とは違うの?うなされながら『これはインフルの方だ』って分かるものなの?」と聞いたら「わかるもんだよ、あつこも一度かかってみるといいよ」と言われた。かかりたくない。わたしがかかったときに看病する気もないのにそんなこと言うのはやめて。そう言うと「看病はできないけど、食事はウーバーイーツで頼んでおくよ」と言ってくれた。その手があったかと思ったけれど、なんだか切ない。おおむね健康に生きてきたけれど、牡蠣にあたったことならある。あれはつらかった。

 

一昨年の10月のこと、お昼におしゃれレストランでカキフライ定食を頼んだ。その日は忙しい日だったから「午後からのエネルギー!」として奮発したのだった。午後、一生懸命働いた。昼食から約12時間後の夜寝る前、腹痛がやってきた。トイレにこもる。ひぃひぃ言いながら嘔吐と下痢を繰り返した。

誰か助けて、と思うのと同じスピードで「上は大水、下は大火事これなーんだ」というなぞなぞを思い出した。答えはお風呂じゃない、わたしだ。死んじゃうよう。死んじゃうよう。このままじゃ死んじゃうよう。誰か助けてよう。
泣きながら「牡蠣 あたる 対策」「牡蠣 死亡」「牡蠣 あたったとき」などで検索するも要するに「牡蠣にあたって腹痛の時はとにかく体内から出すこと、薬を飲んじゃいけないよ」しか書かれていなかったから、耐えるのみだった。なんかわかんないけどポカリとか飲んだ方がいい気がする、と思い、ちょっと体調が落ち着いた際に急いで且つゆっくりとした足取りで自販機まで買いに行き、すぐトイレにもどり、飲んだり吐いたり、飲んだりしゃがみこんだりした。朝方までにはなんとか出し切れたみたいで、一応会社に行った。

 

その後しばらくは牡蠣断ちをした。カキフライもオイスターバーも我慢、オイスターソースすら使うのをやめて、2ヵ月後くらいに牡蠣克服パーティーを友人とした。どきどきしながらカキフライカレーを食べた。

これが一昨年の話だから、その後何回か体調をくずしている。ウィルス性の風邪をひいたり、生理痛でぶっ倒れたり、ストレスで吐いたり。頭痛で早退したこともある。でも、多分基本的に健康なんだと思う。

ウーバーイーツのお店の中におかゆうどん屋さんってあるのだろうか。水ぼうそうおたふく風邪になったときはその友人を頼らねばならないから、見捨てられないように今後も良い関係を保ち続けたい。
ちなみにおしゃれレストランはその後しばらくして閉店した。いい気味だと思ってる。

 

<君も君も君も死ぬなよ蒼ざめし頬浮かびくる闇に叫びぬ>道浦母都子

クラフトボス めっちゃおいしい

クラフトボス   めっちゃ好きという話。

以上です、と言いたいんだけど、せっかくだからクラフトボスについて話します。

 


クラフトボス   めっちゃおいしい。あんなにおいしいボトルコーヒーはもう二度と販売されないのではないだろうか。あまりにわたしがクラフトボスをほめるため、友人に「クラフトボスってそんなにおいしいの?」と聞かれた。いつもの癖でわたしは大口を叩く。

「うまいのなんのって、わたしは自宅の蛇口からクラフトボスが出てくることを日々願ってるよ」「ブラック?ラテ?どっち?」そう聞かれてわたしは断言する。「右の蛇口ひねるとブラック、左をひねるとラテ」

後悔は無いと言い切ったが、これを聞きつけた人たちに、わが家の水道管を工事されて、これから米を炊くのも風呂もトイレもあらゆる水の代用にクラフトボスになってしまったらどうしよう。

別の友人に、不安をそう漏らすと「会社やめてクラフトボス屋さんになりゃいいじゃん」とアドバイスされた。わたしもそれしかないと思う。


てなわけでクラフトボスを愛飲してる。基本はブラック、おやつ代わりに飲むときはラテ。近頃、クラフトボスブラウンという新味が出るらしい。ああもう楽しみでしょうがない。わたしの中ではブラックは水、ラテはスイーツ、てことはブラウンはご飯とみそ汁くらいの立ち位置になりかねない。クラフトボス(食事)のお供にクラフトボス(飲料)となる日も遠くなかろう。

 


クラフトボスの魅力は、あの量とコスパはもちろん、味がいい。無限に飲み続けられそうな軽い飲み口。そのスッキリさは歯医者で口の中に吹きかけられるシャワーと争えるレベル。たぶんこれは良くない表現。豆が良いのか焙煎がいいのか良い水を使ってるのか???わたしにゃわからない。ただ、何もかもがうまく歯車が回り、そして、おいしい。


実家の土地掘ったらクラフトボス湧いてこねえかなと思う。たぶん出てこない。蛇口からも出てこない。雨の代わりに天からも降らないだろう。クラフトボスが欲しいなら、コンビニか、自販機か、スーパーにでも行くしかないのだ。わたしはこの現実に大いに感謝をする。なぜなら、外に出ずしてクラフトボス飲み放題になるのだとしたらわたしは家から出てこない引きこもりになってたと思うからだ。ありがとう、ありがとう、クラフトボス。おかげで社会生活を営めている。この恩は忘れない。いつまでもいつまでもクラフトボスは美味しくみんなに供給されましたとさ、こんなおとぎ話のようなハッピーエンドをわたしは心から願う。

無体なる愛の言葉を思ひつつ

結婚したいし、子どもがほしいなと思う。結婚したい理由は、おおざっぱにいうと人生を共にするパートナーが居た方がわたしの人生はもっと面白くなりそうだからだ。


子どもがほしい理由は、おおざっぱにいうと「子を宿し産む」という機能を自分が持ってるらしいからだ。せっかくなら備わってるらしい機能を試してみたい。一人じゃ子どもはつくれないから愛する人やパートナーとの子どもにしたい。わたしにとって、子への愛だのなんだのはその後の話だ。


人間の子どもを育てるのは難しいだろうけれど、やりがいがありそうだし、自分一人の人生じゃ感じられないような想いをたくさん出来そうでなんだか面白そうだ。

結婚も出産も子育ても想像のようにはうまくいかないだろうけれど、どんな結果だったとしても納得して満足したい。

 


でも最近のTwitterやニュースや世相を見ていると、なんだか軽く絶望してしまう。悪いニュースばかり目に映ってるのかもしれないけれど、妊娠、出産、子育て。これからやろうとしてる人、やってる最中の人へのあたりが強いらしくて、とても敵わないなと思ってしまう。こんなに風当たりが強いのなら、もしかしたら一人で生きる方がとやかく言われなくて楽なのかもしれない。


ちなみにここ最近の最大の絶望案件は「赤子が泣いたりうるさい」「赤子が泣くのは良いとして、親は対処する振る舞いを見せてくれ」だ。

赤子の泣き声がうるさいと思うのなら思えばいい。赤子と接する親の対応に不満を持つなら持てばいい。でも赤子に泣くなおとなしくしろというのは無理だろうし、他人に「私が望むように振舞ってみせろ」というのは無茶苦茶だ。


家族や友人相手に自分の要望を通そうと声を張るのはまだ分かる。でもそれだって、所詮は他人なのだから要望が通るとは限らない。わたしは他人が望むようには動かないし動けない。だから他人のこともわたしの意思で動かそうとしないし、してはならないと思っている。

動いてくれたらいいのにと思うことはある。でも、それは、それだけの話だ。わたしはそうやって考えて生きていて、この前友だちに「そんなに正しく生きてて辛くならないの?」と言われてしまった。どんなに辛かったとしても、この考え方はわたしの中でしばらくは変わらないだろう。

そして、わたしがわたしの望むままに他人が動かないことを理解して覚悟するように、あらゆる理不尽や困惑がこれからの人生で多く降ってくることを覚悟する。

政治も制度もお金も何も誰も守ってくれないかもしれない。愛してる愛されてるといった曖昧な愛なんてものだけじゃ立ち向かえないこともあるだろう。でも、きっと最後に愛とかいう曖昧なものが残れば良い方なんだろうと思う。


ちなみにまだ結婚も出産も予定はない。予定ができたらいつか報告します。これでおしまい。

 

<無体なる愛の言葉を思ひつつホース上向け水を湧かしむ>栗木京子

車窓から海が炎えるよ

ゴールデンウィークの最大の思い出は警察署に行ったことだと思う。逗子警察署。人に悪いことをしたわけでもされたわけでもなくて、忘れ物を取りに行った。

 

3月に母から腕時計をもらった。華奢な雰囲気のきれいなやつで、わたしは大層喜んだのだが、それを受け取った後にすぐに乗った電車内で失くしてしたというわけだ。一回もつけずに失くしたのだが、母から「時計つけてる?」と聞かれた時には胸が痛んだ。「ファッションにあわせて時々つけてるよ~~~」と呼吸するように嘘をついた。

 

遺失物の受け取りは平日のみとのことだったので、有給をとってガタンゴトン湘南新宿ラインに揺られて行った。別のルートでも逗子に行く方法はあったけれど、時計への贖罪の気持ちから時計の辿った道をわたしも行こうという思いが湧いたため湘南新宿ラインを選んだ。都心を過ぎ、住宅街を過ぎ、川や林を越え、横浜や鎌倉で人を大量に降ろしてわたしは逗子についた。電車に乗る前に買ったクラフトボスが空になっていた。(クラフトボスめっちゃ美味しい 段ボールで贈られてきたいぐらいに)

 

そこから乗り換えて、駅から歩いて、警察署に入り届出みたいなものを書いたり印鑑を押したりした。手続きは30分もかからずに終わった。日差しがまぶしくて暑くって着ていたオレンジ色のカーディガンを脱いで、ランチを食べに行く。逗子のことは何も知らないしたいして調べずに来てしまっていたので結局、テキトーに駅の近くにあったイタリアンレストランでおしゃれな丸いハンバーグランチを食べた。やることもないのでとりあえず標識に従って海に行く。

 

ファミリー層や大学生っぽい人たち、外国人のグループも居た。制服姿の学生が遊んでいるのを見て、今日が世間的に平日なことを思い出す。とりあえず腰をかけて海を見る。波の向こう側にはヨット遊びをしている人たちがいたからヨットでも見ようとセンチメンタルを自らに許可するも、遠くのヨットより近くの波打ち際の汚さの方に心惹かれる。プラスチックごみが寄せては返す波の間に漂っていた。人間が捨てたプラスチックごみを、海がめや魚が食べてしまい死んでしまうことがある、というニュースを思いだし、一日一善!とごみを拾い、ごみ箱を求めてうろうろする。あまりにもごみ箱が見つからないためその辺の植え込みにでもポイしようかと思ったが、一日一善が本末転倒になるため、20分ぐらい探し回ってようやく捨てることができた。ごみを捨てたら、もう逗子にいる必要も無いなと思い駅へ向かった。お土産がてらNewDaysプロ野球チップスを1袋買った。車内で選手カードを確認すると村上宗隆(ヤクルト)と大山悠輔(阪神)だった。つまらないカードだと思って、帰りの電車内は寝ることにした。

 

<おちついて目を閉じなさい  きみのいる車窓から海が炎えるよ>井上法子

花影に影を重ねて二人かな

さっぱりした好意を持ち合った関係というのは良いな、と思ってる人がいて。健全で良い友人関係を築いてこれている。


平日の仕事終わりに会うことが多くて、だいたい集合時間は19時半、解散時間は22時前。話しが合うから楽しい。もう一度言うが健全で良い友人関係。

時々は休日に会うが、二人での用事を済ませると、いつもサッサと帰ってく。「お茶でもしていこうよ」とか言っても効かない。たとえば、わたしは「15日に映画見に行こう。15時から上映だから14時に集合しよう」と言われたら基本的に15日は14時以降はフリーにしておくのだけれど、その人は違うようだ。14時から18時までしかあけずに、その前後に予定を入れることは気にならないらしい。

これは性格や休日の捉え方の違いに過ぎないから、お互いがうまいように妥協し合ったりすれば良いだけで、基本的にわたしが「まあ他の用事があるならしょうがないよね」みたいに、あちらの事情を優先させてきた。だってしょうがないじゃんね?


あるとき、ふと「たまにはわたしとも一日遊んでよ」みたいなことを言ってしまった。つい口から出てしまったのだ。こんなこと言うキャラじゃないのに、とても後悔してる。わたしのその言葉に「ちゃんと遊んでるじゃん」と返事をされた。あっ、となった。ちゃんと遊んでる。「ちゃんと」の言葉で目が覚めた。彼は、彼とわたしの間の関係における、適切な時間分は全て充ててくれているつもりなのだ。そういうことがやっと分かり、自分が恥ずかしくなった。


わたしは、彼の中のわたしという立場も彼の友情に対しての向き合い方も理解してなかったらしい。そしてわたしは彼の中にある「ちゃんと」の枠を飛び越えて、欲張ろうとしてたんだと思う。彼にそんなこと言える権利なんて最初から無かったのだ。

 

でもそれはしょうがない。わたしの怒りや寂しさが届く場所では無いし、恋人でもなけりゃ家族でもない、契約を結んでるわけでもない、ただお互いの好意のもとに成り立ってる友情だからだ。


彼のことはなんだかんだ好きなので、ここはわたしが折れる(?)し、変わることはないだろう。わたしは何度でも同じことを言うが、なぜならこれは性格や休日の捉え方の違いに過ぎないからだ。そしてわたしは彼のその考えを尊重したいと思っているからだ。そのうえで今後も良い友情を育んでいきたいと思う。(H君へ)

 

<花影に影を重ねて二人かな>黛まどか

写真のきみを切り刻む

子供のときに、学校のイベントが終わるごとに作文を書かされたものだが、とても苦手だった。遠足中にやったことは覚えてて、時系列に物事を書くことはできる。その途中途中で何を考えたかは書けるが「ユミちゃんのお弁当にポケモンのかまぼこが入っていて、可愛いかまぼこだった。うちのお母さんはお料理上手だけどそういうかまぼこは買ってくれないよなあと思った」みたいになってしまう。先生に提出したり壁に掲示される作文に、お母さんがかまぼこをお弁当に入れてくれないと書くのはなんか違うよなあと思ったので、つまんないことを書いて濁していた。

 


ここ数年の野球観戦でも、試合が終わってしまえば、試合の流れは忘れてしまう。その場で見てるときは感動したり胸に刻んだりもするし、ルーズベルトゲームでずっとてに手に汗握りっぱなしだったということは覚えてても、どの選手がどう活躍してたとかは覚えられない。一番鮮明に覚えられるのは「隣の席の阪神ファンがめっちゃキレて◯◯選手のことを▽▽と罵ってた」とか「一緒に見に行った◯◯ちゃんとS選手の走り方がちょっとキモい、N選手は走り方がかっこいいと喋った」みたいなことで、これも感想文として提出したら、先生に赤入れられてしまう気がする。

 


もしかして脳の作りがちょっと危ないのではないか?とも思うが、どう危ないのかはわからないから放置してる。

よく物事を視覚で写真のように覚える人がいるという。わたしはそれは出来なくて、どちらかというと心で覚えるタイプらしい。心に引っかからなかった、流れて行ってしまった時間は何も覚えてられないようだ。

 


会社の先輩と旅行について話した。わたしは広島カープファンなので広島で野球観戦してみたいと言うと「私も前に広島行ったよ、宮島とか見てきた」と返してくれた。知っている、二年前の2月頃に行ってきて、その写真をFacebookにあげてたし、チーズ味のもみじ饅頭をお土産で配ってくれてたよね。よく覚えてますよわたしもその頃広島行きたいなって思ってたから。でもそう言ったら怖がられるだろうから言わない。

 


一番申し訳ないのは、中学生の時の同級生のHくんに対してだ。わたしは彼の当時のメールアドレスを今でもそらんじて言える。Hくんだけじゃない、S君、K君、T君、Mちゃん、Yさんのも覚えてる。多分わたしは一生忘れないだろう。でも、でもH君やT君や皆さんに「中学生の時に××××ってアドレスだったよね?」とでも聞いたら絶対に嫌な顔をされる。だから言わない。彼らはおそらくメールアドレスを変えてるし、わたしは言わない。だから何もなかったのと同じなのだ。わたしの記憶なんてものは、そういう扱いが丁度いいと思う。

 

<笑みかけてくる写真のきみを切り刻むこの指さきの逆流の音>李正子