ピロートーク

やがて性愛

車窓から海が炎えるよ

ゴールデンウィークの最大の思い出は警察署に行ったことだと思う。逗子警察署。人に悪いことをしたわけでもされたわけでもなくて、忘れ物を取りに行った。

 

3月に母から腕時計をもらった。華奢な雰囲気のきれいなやつで、わたしは大層喜んだのだが、それを受け取った後にすぐに乗った電車内で失くしてしたというわけだ。一回もつけずに失くしたのだが、母から「時計つけてる?」と聞かれた時には胸が痛んだ。「ファッションにあわせて時々つけてるよ~~~」と呼吸するように嘘をついた。

 

遺失物の受け取りは平日のみとのことだったので、有給をとってガタンゴトン湘南新宿ラインに揺られて行った。別のルートでも逗子に行く方法はあったけれど、時計への贖罪の気持ちから時計の辿った道をわたしも行こうという思いが湧いたため湘南新宿ラインを選んだ。都心を過ぎ、住宅街を過ぎ、川や林を越え、横浜や鎌倉で人を大量に降ろしてわたしは逗子についた。電車に乗る前に買ったクラフトボスが空になっていた。(クラフトボスめっちゃ美味しい 段ボールで贈られてきたいぐらいに)

 

そこから乗り換えて、駅から歩いて、警察署に入り届出みたいなものを書いたり印鑑を押したりした。手続きは30分もかからずに終わった。日差しがまぶしくて暑くって着ていたオレンジ色のカーディガンを脱いで、ランチを食べに行く。逗子のことは何も知らないしたいして調べずに来てしまっていたので結局、テキトーに駅の近くにあったイタリアンレストランでおしゃれな丸いハンバーグランチを食べた。やることもないのでとりあえず標識に従って海に行く。

 

ファミリー層や大学生っぽい人たち、外国人のグループも居た。制服姿の学生が遊んでいるのを見て、今日が世間的に平日なことを思い出す。とりあえず腰をかけて海を見る。波の向こう側にはヨット遊びをしている人たちがいたからヨットでも見ようとセンチメンタルを自らに許可するも、遠くのヨットより近くの波打ち際の汚さの方に心惹かれる。プラスチックごみが寄せては返す波の間に漂っていた。人間が捨てたプラスチックごみを、海がめや魚が食べてしまい死んでしまうことがある、というニュースを思いだし、一日一善!とごみを拾い、ごみ箱を求めてうろうろする。あまりにもごみ箱が見つからないためその辺の植え込みにでもポイしようかと思ったが、一日一善が本末転倒になるため、20分ぐらい探し回ってようやく捨てることができた。ごみを捨てたら、もう逗子にいる必要も無いなと思い駅へ向かった。お土産がてらNewDaysプロ野球チップスを1袋買った。車内で選手カードを確認すると村上宗隆(ヤクルト)と大山悠輔(阪神)だった。つまらないカードだと思って、帰りの電車内は寝ることにした。

 

<おちついて目を閉じなさい  きみのいる車窓から海が炎えるよ>井上法子

花影に影を重ねて二人かな

さっぱりした好意を持ち合った関係というのは良いな、と思ってる人がいて。健全で良い友人関係を築いてこれている。


平日の仕事終わりに会うことが多くて、だいたい集合時間は19時半、解散時間は22時前。話しが合うから楽しい。もう一度言うが健全で良い友人関係。

時々は休日に会うが、二人での用事を済ませると、いつもサッサと帰ってく。「お茶でもしていこうよ」とか言っても効かない。たとえば、わたしは「15日に映画見に行こう。15時から上映だから14時に集合しよう」と言われたら基本的に15日は14時以降はフリーにしておくのだけれど、その人は違うようだ。14時から18時までしかあけずに、その前後に予定を入れることは気にならないらしい。

これは性格や休日の捉え方の違いに過ぎないから、お互いがうまいように妥協し合ったりすれば良いだけで、基本的にわたしが「まあ他の用事があるならしょうがないよね」みたいに、あちらの事情を優先させてきた。だってしょうがないじゃんね?


あるとき、ふと「たまにはわたしとも一日遊んでよ」みたいなことを言ってしまった。つい口から出てしまったのだ。こんなこと言うキャラじゃないのに、とても後悔してる。わたしのその言葉に「ちゃんと遊んでるじゃん」と返事をされた。あっ、となった。ちゃんと遊んでる。「ちゃんと」の言葉で目が覚めた。彼は、彼とわたしの間の関係における、適切な時間分は全て充ててくれているつもりなのだ。そういうことがやっと分かり、自分が恥ずかしくなった。


わたしは、彼の中のわたしという立場も彼の友情に対しての向き合い方も理解してなかったらしい。そしてわたしは彼の中にある「ちゃんと」の枠を飛び越えて、欲張ろうとしてたんだと思う。彼にそんなこと言える権利なんて最初から無かったのだ。

 

でもそれはしょうがない。わたしの怒りや寂しさが届く場所では無いし、恋人でもなけりゃ家族でもない、契約を結んでるわけでもない、ただお互いの好意のもとに成り立ってる友情だからだ。


彼のことはなんだかんだ好きなので、ここはわたしが折れる(?)し、変わることはないだろう。わたしは何度でも同じことを言うが、なぜならこれは性格や休日の捉え方の違いに過ぎないからだ。そしてわたしは彼のその考えを尊重したいと思っているからだ。そのうえで今後も良い友情を育んでいきたいと思う。(H君へ)

 

<花影に影を重ねて二人かな>黛まどか

写真のきみを切り刻む

子供のときに、学校のイベントが終わるごとに作文を書かされたものだが、とても苦手だった。遠足中にやったことは覚えてて、時系列に物事を書くことはできる。その途中途中で何を考えたかは書けるが「ユミちゃんのお弁当にポケモンのかまぼこが入っていて、可愛いかまぼこだった。うちのお母さんはお料理上手だけどそういうかまぼこは買ってくれないよなあと思った」みたいになってしまう。先生に提出したり壁に掲示される作文に、お母さんがかまぼこをお弁当に入れてくれないと書くのはなんか違うよなあと思ったので、つまんないことを書いて濁していた。

 


ここ数年の野球観戦でも、試合が終わってしまえば、試合の流れは忘れてしまう。その場で見てるときは感動したり胸に刻んだりもするし、ルーズベルトゲームでずっとてに手に汗握りっぱなしだったということは覚えてても、どの選手がどう活躍してたとかは覚えられない。一番鮮明に覚えられるのは「隣の席の阪神ファンがめっちゃキレて◯◯選手のことを▽▽と罵ってた」とか「一緒に見に行った◯◯ちゃんとS選手の走り方がちょっとキモい、N選手は走り方がかっこいいと喋った」みたいなことで、これも感想文として提出したら、先生に赤入れられてしまう気がする。

 


もしかして脳の作りがちょっと危ないのではないか?とも思うが、どう危ないのかはわからないから放置してる。

よく物事を視覚で写真のように覚える人がいるという。わたしはそれは出来なくて、どちらかというと心で覚えるタイプらしい。心に引っかからなかった、流れて行ってしまった時間は何も覚えてられないようだ。

 


会社の先輩と旅行について話した。わたしは広島カープファンなので広島で野球観戦してみたいと言うと「私も前に広島行ったよ、宮島とか見てきた」と返してくれた。知っている、二年前の2月頃に行ってきて、その写真をFacebookにあげてたし、チーズ味のもみじ饅頭をお土産で配ってくれてたよね。よく覚えてますよわたしもその頃広島行きたいなって思ってたから。でもそう言ったら怖がられるだろうから言わない。

 


一番申し訳ないのは、中学生の時の同級生のHくんに対してだ。わたしは彼の当時のメールアドレスを今でもそらんじて言える。Hくんだけじゃない、S君、K君、T君、Mちゃん、Yさんのも覚えてる。多分わたしは一生忘れないだろう。でも、でもH君やT君や皆さんに「中学生の時に××××ってアドレスだったよね?」とでも聞いたら絶対に嫌な顔をされる。だから言わない。彼らはおそらくメールアドレスを変えてるし、わたしは言わない。だから何もなかったのと同じなのだ。わたしの記憶なんてものは、そういう扱いが丁度いいと思う。

 

<笑みかけてくる写真のきみを切り刻むこの指さきの逆流の音>李正子

輝けわれの雑多なる生

ミニマムライフやシンプルな暮らし、はわたしには到底無理な話で、目をはなせばすぐに物が増えてしまう。物を増やさないように努力はしているが、定期的に片づけをしてなんとかわたしの暮らしは体裁を保てている。この“いっぱいいっぱい”がわたしのダサさの根源なのだろうと思い、ため息が出る。
もっとしゃれた、スマートな暮らしがしたいものだが、それをやるゆとりが無いだけかもしれない。

わたしの長年の友人に、何事もスマートな人がいる。Sちゃん。思い返してみればSちゃんは生き方の全てがスマートだった。受験や就活など人生の転機もスマートにこなし(影で見えない努力をしていたのだとは思う)、悩みや愚痴を言うときもあっけらかんとしていて、何より部屋の荷物が少ない。Sちゃんの家に行った時にあまりのシンプルさに感動してしまった。

そんなSちゃんは下着を年に1回しか買わないそうだ。7月らしい。「7月に古い下着は全部捨てて、その年着る分の下着を数着買う。そして1年間でそれを着つくす」と言っていた。あっそれだ!!!と思い、わたしも昨年からマネをしている。7月の第一週に下着を買い、それまでずるずると着ていたボロの下着を全て捨てた。現在5月なので、今手持ちの下着もだいぶボロになってきた。

洗練された暮らしは無理だとしても、こういった「期日」を設けて、そのルールに則った暮らしならわたしにも続けられるかもしれない。下着だけでは無くて、他の者や家事雑事においても、こうやって期日と更新の作業を続けて、いつかスマートな人になりたい。そう思っている。そんな話を、最近飲み友達になったMちゃんに話した。すると、後日、また二人で飲んでいる時に券をもらった。
「昨日化粧品買ったら、なんか貰ったからこれあっちゃんにあげるね」と渡された券はユニクロのエアリズムのキャミソールかパンツの無料引換券だった。「いいの?ありがとう~~~」とわたしは感謝を伝えた。
「なんかこの前あっちゃん、今下着が全然無いって言ってたじゃん。だから、それでパンツ増やしなね」とのこと。なんとなく、わたしの話が完全には通じていなかったんだなと分かったが、これはこれで面白いので、ありがたく受け取った。Mちゃんの中ではわたしが「手持ちの下着が無い子」なのだろう。いや、あるけど。ボロなだけで。

 

スマートな暮らしを渇望するより深く、わたしは「変な勘違い」を愛してるかもしれない。その前は他の友人Rちゃんに「あつこのお兄さんってマタギやってるんだよね?」と聞かれた。どこかでわたしがテキトーに言ったほら話がいつのまにか真実性のある話になっていたみたいだ。面白いから「確か山梨にいるらしい」と勘違いを助長させて、その話は終わらせた。

 

Sちゃんはわたしの知らないところで、スマートに暮らすために今頃ボロの下着を身につけ、Mちゃんはわたしの下着事情を心配し、Rちゃんはわたしの兄を山梨でマタギをやってる人だと思ってる。今この瞬間も、3人の他人にこの事象が起きているということに、わたしはなんとも言えない面白みを感じる。

 

<振り払うべきものばかりしょいこめば輝けわれの雑多なる生>鈴木英子

「ドラえもん のび太と宝島」鑑賞文(ネタバレ有り)

ドラえもん のび太の宝島 を知人と見に行った。そのぐらい時間を持て余してしょうがない日があったのだ。劇場版のドラえもんを劇場で見るのはわたしは15年ぶりぐらい、知人は20年ぶりだった。

物語の基本にあるのは親子愛と勇気。
ドラえもん一行は宝島冒険の最中に、ある一家に出逢う。その一家は、昔、母(妻)を亡くしていた。研究者の父と、少年とその妹。みんながみんな、家族を大事に想っているはずなのに、その想いゆえに、すれ違い、ストーリー内最大のトラブルがやってくる。そのトラブルを回避させようと奮闘するドラえもん一行。途中途中に、笑える箇所や過去の映画のオマージュがあり、見ごたえは抜群。

映像もとてもきれいで、波しぶきのひとつひとつがキラキラしている。青い空青い海青いドラえもん、夏が来るのが楽しみな気持ちになった。子どもたちがキャッキャと楽しそうに遊んでいるのを見るとわたしも嬉しいし、みんなが不安な顔をしたり泣きそうな顔をしているとわたしにも伝染してしまう。

 

 

ここからはネタバレ。
個人的な趣味としての一番の感動ポイントは、のび太の勇気だ。
のび太の勇気の見どころは2カ所あった。
一つ目が、さらわれたしずかちゃんを助けようとする場面、二つ目が、スーパー大ピンチに陥ったドラえもんを助けようとする場面だ。

一つ目のしずかちゃんを助けようとする場面では、しずかちゃんは小型潜水艦のような乗り物に連れ込まれてさらわれるのだが、そこにのび太は衝動的にしがみつき、一緒に海の底まで行こうとする。もちろん助けることは出来ずに、のび太は途中で溺れしまった。でも、わたし達はのび太が泳げないということを知っている。だから、そんなのび太が、しずかちゃんのために海に飛び込んだということに胸を打たれる。
二つ目のドラえもんを助けようとする場面では、しずかちゃんの時の衝動とは全く別だった。僕が助けに行かなければ、と思うも脚が震えてたじろいでしまう。自分を奮わせ、勇気を振りしぼり、ドラえもんの元へ駆け寄るのび太

これらの場面を見て、そうだ、と思い出した。前者と後者の「助け方」は全く別のものだけれど、のび太は大好きな人のためなら動こうと出来る子なのだ。映画だから主人公補正がかかっている部分はあるだろう。でも、昔の映画でしずかパパが言っていた「人の悲しみを悲しめて人の喜びを自分のことのように喜べる」というのび太の長所はこういった行動で表れてくる。

ドラえもんに駆け寄るのび太の姿を見て、しずかちゃんも動き出す。これで救える、と思ったその時、あまりに膨大なエネルギーに3人は抱き合ったまま、外の世界へ放り投げだされる。ああもうダメだと観客が思った瞬間に助けてくれるのは、ジャイアンスネ夫といった仲間たちだった。これがこの映画の答えだと思う。

みんなみんなそれぞれ良いところがあるのだ。
のび太は前述したような勇気が、ジャイアンには男気が(映画定番!)、スネ夫の「抜かりなさ」を発揮することで良い連携プレーを生み出す。しずかちゃんは優しくて困難な場面でも柔軟に対応することができる。
わたしは星野源が歌う主題歌『ドラえもん』の「何者でもなくても世界を救おう」が思い出す。
何者かでなくちゃ何かを救えないなんてことは無い。でもみんなが何者かというわけでは無い普通の少年少女だ。だからこそ、みんなの長所を生かすことでハッピーエンドへ向かうことが出来るのだ。

数年分の映画をいっぺんに見ているような感じになる充実した内容だった。ちなみに映画の中で一番かわいかったのはミニドラたち。マジ主役級の可愛さ。イエーイ、ラブ・ハピネス。
 

思えば遠き春のこと

昨年2月に祖父が亡くなり、4月には四十九日が行われた。喪服を着て新幹線で新大阪へ向かった。法要は夕方前には終わったが、父母は実家の片づけや引き出物の準備等があるとのことなので、わたしと兄の二人で先に東京へ戻ることになった。

 

 

その時期、ニュースで森友学園の小学校や幼稚園の問題が取り上げられていた。それらの学校は、わたしの実家から行ける場所にあるため、タクシーで新大阪駅へ向かう際に、少し遠回りをして見に行くことにした。野次馬根性だ。

 

タクシーをつかまえて、運転手のおっちゃんに「豊中市の野田町にある野田中央第二公園のあたりまで」と地名で頼むと、運転手さんは場所が分からないと言った。「じゃああの森友学園のあの赤い小学校に行きたいんですけど…」と頼むと大体わかってくれた。細かなナビは兄がGoogleマップを見ながら指示を出した。運転手さんは「野田町にあるのは知ってたけど実際に行くのは初めて」と言っていた。

 

赤い小学校はなかなかしゃれていて立派だった。テレビカメラは来ておらず、学校前の公園では子供たち元気よく遊んでいた。

運転手さんには、待っていてもらい、わたし達はタクシーを出て、写真を撮った。ひとしきり撮り終えて後ろを振り返ると、運転手さんもタクシーを出て小学校の写真を撮っていた。

 

タクシーにまた乗り込み、今度は大阪市淀川区にある塚本幼稚園に連れて行ってほしいと頼むと、運転手さんに「失礼ですけど、あんたら新聞記者か何かですか?」と聞かれた。「ただの観光中の兄妹です」と答えた。全部事実なのだが、それにしても怪しすぎる喪服姿の二人だっただろう。

 

塚本幼稚園は、町の風景になじんだ目立たない幼稚園だった。窓越しからぬいぐるみやカラフルな掲示物の影が分かるが、門が閉じているからよく見えない。わたしと兄は記念写真を撮り、ダブルピースをしてふざけたりした。幼稚園を少し回り込んで覗いてみると、柵の向こうに送迎バスが見えた。送迎バスはネコの形をしていて、調べたところ、クラクションの代わりに「ニャー」と鳴くらしい。超可愛くて乗りたくてしょうがなかった。

「いやー 良い幼稚園だ 素晴らしいなこりゃ」「教育に適した素晴らしい環境ですね」とわたし達は話し合い、やっと新大阪駅へ向かった。

 

新大阪駅へ向かう間、運転手さんは安倍総理の悪口や政治への不満をわたし達に語った。関西弁で喋るから、リズムがあってなんとなく面白おかしく聞こえた。

 

その後、籠池夫妻が逮捕されたときは思わず「逮捕されちゃったね」「他人事とは思えないよな」と話した。最近、またニュースでこの話題が再熱して、なんか凄いことになっている。

わたしが政治や国のカネや 問題についてどう思うかは置いておいて、そのニュースを見るたびに「ああ あの幼稚園と小学校…」と、まるで母校のように懐かしさとニャーと鳴く送迎バスへの恋しさが募るのだ。

 

<今にして思えば遠き春のこと望まずおりし日々を差し引く>山田消児

それぞれの影を濡らして


かっこいい別れを演出するためにお習字を習いたい。

たとえば、互いに愛しあっているのに、別れを切り出さなければならない恋なんかだと理想的だと思う。
直接でなんてとても言えないから、サイドボードの上にあるメモに「さようなら」と一言書いて、わたしは早朝に部屋を出ていく。
少し遅れて起きた彼は、わたしの不在に気付いた後、そのメモを見て全てを察する。彼は立ち上がり、ブラインドの傍へ向かう。そして、昨夜とこれまでを思いながら、ブラインドを開ける。窓の外には一人で過ごすことになるこれからの朝がやってきている。そんな彼の姿には、煙草が一本あっても絵になるだろう。

要するにわたしの想像力は貧困そのものなので、こんなありきたりな別れ方に憧れ、その憧れの場面が訪れた時のためにお習字を習いたいと思っているのだ。


わたしの字は丸っこくて、大人っぽい字とはあまり言えない。下手ではないけれど、かっこいい別れの場面にふさわしい字かというと、そうでは無い。切なさが残る大人の恋の終わり、というよりも女子高校生が書いた手紙の字っていう感じだ。

試しに白いメモに「さようなら」と書く練習をしてみる。あまり真っ直ぐに丁寧書くと形式ばって見えるから、さりげなく見えるように走り書き気味に。斜めにずらしてみたり、縦書きにしたり、字のサイズを変えてみたり、様々な形の「さようなら」を書いた。
「さようなら」「さようなら」「さよなら」「さようなら」
今まで言えなかった分もこれから言う分も。文字の後ろに、誰かの顔の影がちらつく気がしたけれど、それも含めてお別れだ。みんなみんな、さようなら。
呪文を唱えるように書いているうちに、メモが「さようなら」で埋め尽くされてしまった。
こんなメモを人に見られたら、ギョッとされてしまうことを案じ、数個の「さようなら」を消した。フリクションで書いていて良かったと思った。消したはずの文字が、うっすら残っていることが気になった。

 

<それぞれの影を濡らしてわたしたち雨だった、こんな雨だった>井上法子