ピロートーク

やがて性愛

渋谷から阿佐ヶ谷までの終バスに

渋谷が苦手という話。

都内の大きな駅はなんとなくイメージがつくけど、渋谷だけはどうしても何度行っても意味がわからない。

新宿もややこしいかもしれないがブロックごとにイメージしたら大体分かる。
東口はアルタや伊勢丹、少し行けば三丁目と歌舞伎町。西口は高層ビル群、南口はバスタがある。
池袋は東口と西口が分かればほぼ攻略。東口にはサンシャインがあって、西口には立教大と芸術劇場。北口は歓楽街。
上野ならどこから出たら何があるかイメージしやすい。上野公園方面、アメ横方面、あっち側から出たらパンダのでかいぬいぐるみがいる。
東京駅はあっちが丸の内でこっちが八重洲側。品川はあんまり行ったことないから忘れちゃった。


ところが渋谷。
これは常日頃言ってるんだけど、渋谷駅は江戸城に似てると思う。

ほら京都は碁盤の目状に街ができてるっていうじゃない。それと江戸城は真逆で、江戸城は、江戸城を中心に放射線状に街ができてる気がするのよね。図参照。

 

f:id:Atsukohaaaan:20171208190111j:image


それと同じで渋谷も渋谷駅を中心に街が組み立てられてて、訳がわからん。ハチ公側にいたつもりが少し歩いてたら別のゾーンに居る、みたいなことが多々ある。図参照。

f:id:Atsukohaaaan:20171208190133j:image

 

人と渋谷で会って、何食べる?とか〇〇ってどっちだっけ?とかなっても何一つ分からなすぎるからわたしは「渋谷よかロンドンの方がまだ案内できるレベルで渋谷は無理」と何も言えなくなる。ロンドン行ったことないけど。たぶんロンドンの方が案内できる気がする。

 

イラスト変だったらごめん。てなわけで渋谷が苦手です。一緒に行くことになっても何も期待しないでください。何も知りません。

 

<渋谷から阿佐ヶ谷までの終バスに揺られおり母の胎内おもいて>斎藤光

夜の浮浪の群に入りゆく

自分は人並みにきれい好きだとは思うが、潔癖症というわけでは全然無い。周りに自称潔癖症の人が何人かいるので、聞いたところ、多かれ少なかれこんな感じだった。


・自宅以外の便座に座りたくない
・人~他人がにぎったおにぎりは嫌
・洋服の貸し借りに抵抗有り
・温泉に抵抗あり~自宅のお風呂でも一番風呂がいい
・リップクリームの貸し借りに抵抗有り
・「一口ちょうだい」など食事に手をつける、つけられる
・電車のつり革には触りたくない
・バスタオルは家族共有では無く個別にしたい
・自分のベッドで人に寝られると嫌だ
・外に出る服と部屋着を分けたい
・ウォッシュレットは使いたくない
・寄せ鍋の直箸はされたくない
・旅館とかでのスリッパ共有が嫌だ


わたしはこの中だと「他人が素手でにぎったおにぎり」のみ抵抗がある。土井善晴先生が握ったなら別だけど。上記の項目を大きく分けると対外的・対内的の二つに分かれるのかな?
【知らない人が関わってるのは嫌だ系】か、【自分のテリトリーを守りたい系】みたいな?細分化しようとするとなかなか難しい。


わたしの友人のKさん(男性)はその中でもなかなかの潔癖症なため、上記のことは大体あてはまる。一緒に食事などしていても「ねえ これ こうやって食べようと思うんだけど大丈夫?」とめっちゃ気をつかうが、まあそれは他人と関わるってことはそういうことだよなとぐらいには思うし、それを抜きでもKさんとは仲良しのお友達なので、嫌では無い。(面倒ではある)

「じゃあ、友達の元カノと付き合うとかは平気なの?」と聞いたら「潔癖とかじゃなくてそれはなんか嫌だけど、ある程度はしょうがないよね」とのこと。まあそうよね。

「前に見たたけしの映画で、不良達が女の子を誘拐して集団レイプするのよ、みんなで代わりばんこで」「まわす、ってやつね」「そう、もちろんそれは犯罪なんだけど、それは出来るの?」

 

 

数秒間が空いて、一言。
「それは…できるね」

 


「てめぇ本物のクソヤローだな」
「冗談だって」
「全体的にもっとためらえよ このクソッタレ」
「だから、あっちゃん、これは冗談だって」 

 

 

 

とことん   とことん責めぬきながら、盛られた生ハムを箸でつついた。これは許された行為。だいたいね、こんな居酒屋で何か食べながらきれいに拘るなんてそもそも無理なのよ諦めなさい、そう言って、わたしは追加注文をした。ほらアルコール消毒じゃ、頭からかけてやろうか。やめい。やめんわい。ヘラヘラと、酔いながら。夜は汚くてとても楽しい。


<汚れたるヴィヨンの詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく>山崎方代

あの夏の数かぎりなき

京都の人は京都プライドがすごいから、「前の戦争」っていうと太平洋戦争じゃなくて『応仁の乱』をさすらしい、という話を聞いた。都市伝説?わたしは京都にあまり縁がないから「そうかあ」ぐらいにしか思わない。
京都市以外を京都と認めない、とか、都落ちという言葉に敏感という話は以前どこかで聞いたことあるけれど、まあその程度だ。この話が事実なのだとしたら、応仁の乱は相当凄かったんだろう。ただ、わたしは応仁の乱にあまり縁がないから「そうだろうねえ」ぐらいしか言えない。


仕事で雑談をしていたときに「あつこさんって震災の時何歳だったの」と不意に聞かれた。
文脈的にここでいう「震災」とは、東日本大震災のことだということは分かる。「なんと、わたし高校3年生だったんですよ」と言うと「若!!!!」とのこと。自分でもそう思う。若すぎる。
「大変でしたよ~卒業式も入学式も延期になるし、卒業旅行は中止になっちゃうし」とわたしは話す。相手も「私達は仕事してたな~~電車動かないから●●さんのところに泊めてもらったのよね」と雑談は続く。

東日本大震災が、「あの震災」として共通認識になり、みんなが思い思いにその時何をしていたかを話し出すのは、わたしは実は結構好きだ。不謹慎なのかもしれないけれど、みんなが「あの瞬間」何していたかを知れることは、地球の裏側とテレビ電話しているような感動がある。なんだか感慨深い。震災の影響や被災者や被災地どうこうでは無くて、ただただ、感慨深いのだ。

わたしは確か友達の家で卒業アルバムを見ていたと思う。実家の近くにいたから、帰るのには不便は無かったが、家に着いたら親からめっちゃ心配された。母はパートに行く途中の道だったらしい。仕事は中止になって家に帰ると、ニャンが部屋の隅に隠れて怯えている姿を見たと言っていた。かわいそうに、おおよしよし。

 

母に「東日本大震災の前、お母さんにとっての『あの震災』ってなんだった?」と聞いたら「阪神淡路大震災かしらね~~~あれは凄かったなあ」と言っていた。住んでいる場所や年齢や時代によって、「あの」は変わる。でも同じ「あの」を共有している間、わたし達は同じ方向を見つめている。それは、なんだか、とても凄い。

 

ちなみに今のところ一番感動している「あの」は、幕張で仕事をしていたというKさんだ。Kさんはその日、幕張のホテルの高層階で、お客さんへのセミナーをしていたらしい。Kさんが他の人に頼まれて、おつかいで一瞬ホテルから出たときに揺れたらしい。Kさんは、揺れる高層ビルを見つめながら「俺だけ生き残ってしまうのか」と思ったそうだ。

 

<あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ>小野茂樹

どこまでも本気でしたか


『話聞いてみると、そいついつも一人で飯食ってるんだって。やっぱり食事は家族でしないとね…』教師をやっている知り合いが「家庭環境が複雑な子」の食事事情の話を始めた。そんなことを聞いたからには黙っていられない。

「家族そろって食事をして、そこでコミュニケーションをとれるのが最高だとは思うけど、いろんな家庭があるんだから 出来ないおうちもあるのはしょうがない。一人ごはんだからかわいそうだ、という考えは、かわいそうがられた子どもがかわいそうだし、今後自分が子どもを育てる時に苦しくなると思う。」
「私たちが育ったころとは時代も違うし、働き方や家族の在り方も変わりつつあるはずだ。自分が育ったころを理想として今を生きようとすると歪ができるだろう」
「さらに言うならば子どもが孤独を抱えているのだとしたら、それの根本的な原因は食事が一人だから、では無いだろう。一人の食事は抱えている孤独の中の一部に過ぎない。もし家族の愛情を本人が感じられる環境に居たならば、一人の食事に感じるさみしさは今のものとは違うはずだ」

ここまでのことを一息で言う。
相手は納得したり顔をゆがませたりしながらこれを聞き「あっちゃん、教師になったほうがいいんじゃない?」と言った。「わたしは残業とか福祉の精神とか聖職者とかそういうマインドは絶対無理」と返す。

いろいろ問題が生じるたびに考えたり悩んだり行き詰ったりはするが
わたしの言いたいことは要するに「みんなが生きやすく生きられるように色々試行錯誤しよう」「現状で変えた方がいいことはどんどん変えていこう」だ。
わたしは詩や花や音楽や恋といった、美しいものが好きで、無駄なものを強く愛する。だからこそ、合理的や建設的と言われるような考え方を支持するのだ。それだというのに「あっちゃんはさ、なんか年々強くなってるよな、俺なんかそのうち負けて吹っ飛ばされそう」なんて言われてしまっている。ちがう。強くはなっているかもしれないが、好きでこうなったわけではない。
強くならなかったら、わたしは多分あの時に死んでいたと思う。そういう「あの時」がわたしには、ある。

理屈ばったことはいつもすらすら言えるのに、そういう自分のことはどうしても言えず、目をかっぴらいて、にじんだ涙を気合いでかわかした。

 

<どこまでも本気でしたか唇に滲み始めるあなたの轍>田丸まひる

「いま風をたべているの」

知り合いが第二子妊娠中らしく、わたしも嬉しい。第一子は坊やだった。産まれたての頃、わたしも抱っこをさせてもらったがとても可愛かった。今は2才になったそうだ。最新の写真を見せてもらったら健やかに成長しているらしく、この前までは赤ちゃんだったのにすっかり「ちびっ子」になっていて感動した。

「本当におめでたいね、坊やもお兄ちゃんになるんだね。嬉しいだろうね」とわたしが言うと「そうなの だけどだめなの」と言われた。な、何がダメなの、と心配したら話は続いた。

「坊やにね『ママのお腹には赤ちゃんが居るんだよ』って教えるじゃん」

教えるね。実際にいるもんね。

「そしたらね、坊や、なんか勘違いしたのか、人間のお腹には赤ちゃんが居るって認識したそうで、自分のお腹さわりながら「赤ちゃん!!!!」って言うのよ」

なるほど、となった。 坊やなりの理屈があり、「通した理屈」と「実際の状況」にギャップがあるところにおかしみや可愛らしさを感じ得る。微笑ましいが、ここで笑ったら坊やにとっては「????」となるだろう。そして、笑われたことに対して、戸惑いや疎外感を覚えることになるだろう。

 

少しだけ違うが、わたしにも同じような経験がある。

5才の頃、わたしはクレヨンしんちゃんが大好きで、漫画をよく読んでいた。漫画の中には、しんちゃん(5才)の母ちゃん、みさえは29才とのことだった。だからわたしは「同い年のしんちゃんの母ちゃんが29才なら、わたしのお母さんも29才なんだろうな」と認識し、わたしの中で母は数年間29才でいた。(母は29才のまま年をとらなかった。母は実際は32才でわたしを産んでいるので、そもそもが間違っていた)

わたしが1年に1歳年をとるように母も1年に1歳年をとる。永遠の29才なんて、ありえない。小学校にあがる頃、干支の話や世間常識としてようやく理屈をつかんで、母の年齢を更新させたが(29才の後にいきなり40歳ぐらいになったんだから全方位型の衝撃)、とにかく子供というのは自分の知っている知識だけで世界の全てを理解しようとし、更に自分のママとパパを基準に大人や世間を測るから無茶苦茶な理屈になりがちだ。そしてそれはカワイイ。(過去の自分含む)

 

兄と新幹線に乗っている時に、雑談としてその話をしたら

 「となるとあれだよな。Twitterとかで大炎上したり、他人に自分一方の理屈をリプライ飛ばす人ってのは子供と同じなんだよな」と言っていた。たぶんそうなんだとわたしも思う。

 

母ちゃん29才以外にも、わたしはいろんな勘違いをしていたが、今となっては全てが微笑ましい。坊やもいつか笑い話にできるだろう。「おれ、子どもの頃、人間のお腹の中には赤ちゃんが居るもんだと思ってたんだよ」なんて。笑いたい。でも、なんだか、笑ってはいけないような気がして、とても愛おしい。

 

<「いま風をたべているの」といふ吾子と自転車のベル鳴らしつつゆく>小野光恵

わが生きざまのごとき灯が

「ダメな大人」の影響力はすごいという話です。


知ってるかもしれませんが、わたし、たけし映画が好きでして、昨年の頃に『菊次郎の夏』を見たんですよ。
見てない人のためにおおざっぱにネタバレ抜きであらすじ説明します。


小学3年生の少年、正男は東京の下町で祖母と暮らしています。
正男は小さい時に父を亡くし、母は遠くに働きに出てると祖母から聞かされていました。
夏休みが始まると、祖母は日中は仕事、友達は家族旅行、通ってるサッカークラブは夏休暇になってしまい、正男は暇で寂しい気持ちになります。
そんなあるとき、正男は箪笥から母の写真を見つけます。その写真には母の住所(愛知県豊橋市)も書いてあり、正男は母に会いに行くことを決めました。
祖母の友人のおばちゃんが「子ども一人で行くのはあぶない」と、おばちゃんの夫のチンピラ中年である菊次郎(ビートたけし)に、同行させるようにします。
こうして正男と菊次郎の旅がはじまります。

 

背中に彫りもんがある菊次郎は ハッキリ言ってろくでなし。
正男の所持金やおばちゃんから渡された旅費は競輪につぎこむし
競輪で得たお金はキャバクラや酒につかうし(正男も連れて行く)
窃盗、当たり屋、自動車泥棒、たかりは当たり前。菊次郎が夜、酒を飲んでいる間、正男は放っておかれて変態ジジイにパンツ脱がされそうになるし。(なんとか未然に防げたから良かったものの)

いろいろあって、菊次郎との旅がおわるころ、正男は映画の冒頭とは比べ物にならないほど良い表情をしている。そして映画を見ていた人たちは「ああ この旅は正男にとって良いものだったんだなあ」と思うことが出来るようになっている。


菊次郎の夏』の話はここまで。ここからは山田洋二の話をする。
山田洋二監督作品、映画『おとうと』は、鶴瓶演じるろくでなしの弟と、しっかりものの姉(吉永小百合)の家族愛の話なんだけれど、公開されたとき、プロモーションで吉永小百合が「どこの家庭にもひとり、こういう人(鶴瓶演じる弟)がいるものでして…」と語っていたことがとても印象的だった。
「うちだけじゃなかったのか!!!!!」と。
わたしの一族にも、「ダメな大人」がいる。わたしの家族含むみんな、その人に迷惑をかけられてきて、変な苦労をしょったり心配をしてきた。だが、それはわたしの家に限ることなのかもと思っていたが、吉永小百合の家族にもいるのなら、わたしの家族にいるのは何も不思議では無いなと悟った。


そう。ダメな大人ってのは一家族にひとりはいる。
そして、その存在は良かれ悪かれ子供にすごく影響を与える。


わたしとわたしの兄はかなり影響を受けた方だと思う。わたし達は子ども時代、その人のことを「優しくておもしろいおっちゃん」として慕い、遊んでもらったり色々なことを教わったりして、大きな影響を受けて育った。
今考えるとあのおっちゃんは、世間的に見たら「ダメな大人」だったのだと思う。でも、だからと言って、わたしたち兄妹から遠ざけるべき悪いものだったかというとそれは絶対に違う。あのおっちゃんが居たからこそ、今のわたしや兄があると思うし、受けた“悪影響”なんかどうってことない。

同じく山田洋二監督の『男はつらいよ』の寅さんだって同じだ。寅次郎はけっして立派な大人とは言えないだろう。でも、さくらの息子の満男は寅さんを慕い、成長するにあたって大きな影響を受ける。


子どもの時こそ気づかなかったが、立派な大人になるのは意外と苦労する。
きちんと働いてお金を稼ぎ、できれば家庭を築き、安定した暮らしをしていくこと。なかなか思うようにはいかないが、かといって、アウトローに生きるのはもっと大変そうで覚悟が必要だ。だから、大人は映画で、自分のサイドストーリーとしてダメな大人像を求めるのかもしれない。寅さんを見て涙するのは、きっと、自分とは全然違った生き方だけど、根っこのところに自分が持っていたい純粋な優しさがあるからだ。
そして子どもが親戚のそんな人に惹かれるのは、その人から感じる優しさや楽しさが、子どもの感じる波長に合うからかもしれない。周りの大人とは違う生き方をしている人は、子どもにとって可能性のひとつであると同時に、自分の延長線上の存在に感じられるから身近に思えるのだと思う

 

さて、アウトローに憧れても成り切れず、だからといって立派な大人にもなれる自信がないわたしは、せめて優しい人になろうと、柔軟剤を目盛り以上に入れて、洗濯機を回す。

 

<ぶざまなるわが生きざまのごとき灯が冬の運河に映りて揺れぬ>道浦母都子

おれの話をちょっと聞いてくれよ

小中学生のころに書きめぐった「プロフィール帳」のことを思いだし、懐かしい気持ちになった。あれは良いカルチャーだったと思う。今でもあるのだろうか。
当時書いていた時、まあ多少人の目を(読まれるということを)意識しながら書いてはいたし、少しぐらいは気を使ったとは思うけれど、それより自分のことを語るという面白さの方が勝っていた。
小中学生は、大人よりも「自分を語る」手段や機会や語彙が少ない。だから、自分なりの言葉で精いっぱい自分のことをどうにか記したかったんだと思う。すごくよく分かる。


大人になった今だって肩書を持たぬ一般市民ゆえに、せめて何が好きでどういう人なのかぐらい自分で好きに語って、身の回りの友人ぐらいからの認識くらいは得たいとわたしは思ってしまう。つまりのところ、自分のことや自分の好きなもののことを語りたくてしょうがない。

 




親友の一人に、好きなものがころころ変わる子がいる。
わたしは会うたびにその子に今好きなものを聞く。それが楽しい。


彼女は「好きな食べ物」は3か月ごとに更新されていく。
ここ数か月でいうと、


★★亭のオムライス定食⇒スシローのサーモンのお寿司⇒おいしい豆腐、と。


「好きなもの」は、


中学時代:スポーツチームの●●⇒高校時代:アイドルグループの▲▲⇒大学時代:ミュージシャンの■■⇒社会人:◆◆劇団、と変動し続けている。

わたしはというと病めるときも健やかなるときも、アンパンマンドラえもんが好きだった。スピッツに夢中で、カレーや甘いものを食べ続けている。漫画は、ガラスの仮面ばかり読み返している。そして語る。こんな生活をもう15年近く続けている。
だからみんなから「あつこはちっとも変わらないね」とよく言われる。そうなんだと思う。

わたし、きっと死ぬ直前までアンパンマンドラえもんが好だろう。他に好きなものが増えるかもしれないが、アンパンマンドラえもんへの情熱はずっと続いてしまうだろう。



だから、彼女のことをいいなあ、と思う。「好き」の気持ちと人生が同時に動いている。懐かしさを感じるチャンスと思い出のリンクが多くて、なんだか楽しそうだ。
わたしがガラスの仮面を読んでいるこの間も、彼女は何かに出会い、衝撃を受け、好きになる。好きなものがどんどん増えて世界も広がっているのだろう。とても羨ましい。

たぶん何枚プロフィール帳を書いても、わたしはそんなに書くこと変わらなくて、つまらない同じことばかり繰り返す。でも書きたい。変わっていく面白さは欲しいが変わらない。こればっかりは性分だからね、と割り切って たうえでそれを楽しみたい。

そうだ、中学生の女の子が使うようなラブリーなプロフィール帳を買おう。それで友達にたくさん書いてもらって、たくさん遊ぼう。どうかあなたにも一枚書いてもらいたい。
 

<「枝毛切るその真剣な目でおれの話をちょっと聞いてくれよ。」>植松大輔