ピロートーク

やがて性愛

それならばまんまとかかって

君の名は。について今さら考えている。

 

入れ替わりとかの謎現象や「君」じゃなければならない理由が明らかになっていないところが面白かった。

入れ替わりについては「若い頃によくある現象」と言われただけだったし。従来の漫画とかだったら瀧君と三葉は前世で恋仲で将来の約束をしていたとかそういうつながりがあったから、現世で二人は出会い、運命を変えていく~みたいな話が多いのに、あの映画だと、瀧君の相手が三葉なのは唐突で、そんな二人が世界や運命を変えようと奮闘していた。
「入れ替わりってそういうもんよ」「出会いっていうのはそういうもん」という『そういうもん』という説得力の無さが説得力になるというのは、凄いと思う。それ以外の道筋が完璧だったのかもしれない。

 


「やっぱり入れ替わって相手のこと知るうちに、恋に落ちちゃうもんかな」と友人と話した結果「高校生ってのは、そんな感じで人を好きになっちゃうもんでしょ」という結論が出て、ここでも『そういうもん』か、と感じた。

すぐ人を好きになっちゃうわたしにしたら「そういうもん」と言われると、助かるような情けないような気持ちでいっぱいだ。
「あつこが惚れっぽいのはそういうもんでしょ」「別に理由とか無いっしょ、マインドがティーンエイジャーだもんね」みたいな。

恥ずかしながら、年相応に生きてきたつもりではありますが、思春期のボーイズガールズの如くわたしは人を好きになっちゃうので、何も否定は出来ない。

 

 

前に数人でお酒を飲んでて、 わたしが歯の治療をしてる話になった。その時に、同席していた男の人が、歯の治療といえば、と「俺めちゃめちゃ歯並びいいんだよ」と口をイーーッとして歯並びを見せてくれた。歯並びは本当に良かったんだけれどわたしはクラクラした。あ、やばい、好きになっちゃう。

 

また別の場面では、裸眼だった人と二人で食事しながら話していた時「あ、ごめんちょっと」と席を立たれた。戻ってきた人にどうしたのか?と聞くと「コンタクト外してきた」と言われて、とてもキュンと来てしまった。どうしよう、好きになっちゃいそう。

 

わたしはそういった、人の、変な無防備さや考えなしの行動に、弱い。うちのめされる。君の名は。みたいに入れ替わっちゃったら大変だろうなすぐ好きになっちゃうだろうな、と今から心配なほど。そういう人が好きなのは、たぶんわたしの時頭と経歴がとてもお堅いからだろう。ふつうの高校を出て、ふつうの大学に入って、ふつうにお勤めをして。大きな揉め事も、目立った反抗期もなくふつうに成長して。我ながらつまらない人生過ぎて、時々嫌になる。ここいらでいっちょう、男の子と入れ替わりでもして運命を変えて、恋に落ちたいものだ。入れ替わりなんかしなくてもいつでも恋はできるけど。そういうもん?そういうもん。

 

<それならばまんまとかかってしまうのもわたしの仕掛けの戯ればむ罠だ>鈴木英子

 

 

 

燃ゆる夜は二度と来ぬゆえ

鍵を失くしたという連絡が入ったから、部屋の掃除がてら探してみるとベッドサイドにぽつんと落ちていた。ははあ、あの時に落としたんだな、と目星をつけ「あったよ」と伝えた。


「マーベル・コミック的なヒーローの飾りがついているやつでしょう」
「そうそうそれそれ、じゃあ今度会う時に、持ってきてくれないかな」
「うん、このヒーロー、何マン?」


ヒーローの名前を教えてはもらったが、知らない人だった。そもそもわたしはヒーローに詳しくないので、当たり前っちゃああたりまえ。
それって強いの?と聞くと「とても強い」とのこと。


「彼はね、つらい過去を背負っているんだよ」
「なんかそういうの多いね」
「ヒーローの条件だから」
「ふうん」


じゃああなたはヒーローに向いていないね、と思ったけれど、口にするのはやめておいた。

ヒーローの条件が、強くてつらい過去を背負っていることなのだとしたら、ヒロインの条件はなんだろう。一途で、優しいことだろうか。それならわたしもヒロインには向いていない。誰もが自分の人生の主人公、なんてミュージカル映画のコピーみたいなことを言うつもりもないので、ヒロインになれないのならそれもまた受け止めるのみである。

後日、二人で夕食をとる約束をし、鍵を返した。お礼を言われたので「何度こっそりと合鍵を作ろうと思ったことか」と言うと、「あっちゃん、それ、なんか怖いよ」と怯えられた。並んで手を繋いで駅まで歩いた。まだ夜は少し寒いね、桜開花したらしいけど全然見ないよね、そんな話をしながら。

ポケットに入れた鍵の音がちゃらちゃらと聞こえる。わたしの鍵には、小さなクマのマスコットをつけている。駅へ向かう途中、ふいに抱き寄せられた時に、自分の冬物のコートのポケットから、相手の上半身を越して、やらかいクマの感触を感じた。あ、クマつぶれてる。そう思った。

 

<燃ゆる夜は二度と来ぬゆえ幻の戦旗ひそかにたたみゆくべし>道浦母都子

 

恋と呼ぶなら恋かもしれない

「ワンニャンの暮らしが第一党」という政党を作って、党首を犬山猫男氏にして、それの議員秘書になったところからわたしも都知事選に出たい。だからそれまで小池百合子さんには頑張っていて欲しい。もし小池さんがなんらかの不祥事やらで都知事を辞めることになったら、また選挙が行われるじゃない。そのときまでにわたしの所属する「ワンニャンの暮らしが第一党」が政界で力を持てている自信は今のところ無いからだ。


ワンニャンの暮らしが第一党のマニフェストは「ワンニャンの暮らしを守る。人間は自分でがんばれ」である。

医療や教育や税金や高齢者へのサービスやそういった問題は別の政党がそれぞれ高い目標を持って頑張って宇動いてくれるだろうから、ワンニャンの暮らしを守りたいという気持ちを掲げる政党が日本にひとつぐらいあっても良いんじゃないだろうか。
犬山猫男氏、どこかからひょいと現れてくれないだろうか。ペディグリー・チャム、ちゅ~る、モンプチ、愛犬元気。


てなわけでわたしは犬やら猫やらといった生き物を人間より深く愛している。

それは「人間と違ってワンニャン達は嘘をつかないから大好き」という厭世的なワンニャンラヴァーでは無く、「おまえたちはめちゃめちゃにかわいいねえええ」という積極的ワンニャンラヴァーである。
わたしはそれを他人に対してもオープンに出していくので、あつこラヴァーの人はそれを知っており、一緒にお散歩しる時なんかは「ほら、あっちゃん、そこにワンちゃんがお散歩しておるよ」と指さして教えてくれる。わたしはめっちゃ喜ぶ。


わたしはどの恋人たちよりもワンニャンの方がかわいいから好きなんだけれど、わたし自身がそう思われるのは嫌だ。一番好き、じゃないなら、いらない。
ついこの間も、わたしは不安やさみしいが募って「じゃあワンニャンとあつこ、どっちが好きなの」と問い詰めた。相手は「そんな、どっちも好きだよ」と困っていた。

「可愛いワンちゃんと三日お風呂入っていないうす汚れたあつこなら、可愛いワンちゃんをとるんでしょ」「可愛いニャンちゃんと、ケンカ中のあつこだったら、ニャンちゃんの方が好きなんでしょ」「あつこへの好きは、ワンニャン以下?」
我ながらむちゃくちゃな質問ばかりしているので、相手は困る。困る。とても困る。答えにつまっている様子を見計らって「わたしがあなたなら、どんなワンニャンよりも君が好きだよ、って言うのにな。やっぱりあつこへの愛なんてその程度なのね」とふてくされてみせる。
相手は、困る。困る。とても困る。わたしは変に意地悪なので、わたしを好きと言う理由で困っている姿を見るのも、ワンニャン同様に大好きなのだ。これが楽しくて仕方がない。

 

 

この手の質問がわたしは大好きで、しょっちゅうしたがるのだけれど、この手の質問は相手を困らせてしまう。これが原因で愛想をつかされてしまったら、わたしはいよいよワンニャン党(略称)を立ち上げるしか無くなってしまう。

あっちゃんは、なんでいつもそんな質問ばかりして俺を困らせるかなあ、とため息をつかれたのでわたしは「愛情の確かめ方を他に知らないから」と答えた。たぶん、大正解。

 

<世界という庭にときどき咲く花を恋と呼ぶなら恋かもしれない>佐藤りえ

ひとつひとつを祈りのように

先日人にお金を貸した。

これまでも千円や二千円ぐらいならサッと貸したり、友達との旅行代を一時的に立て替えるぐらいならしていたけれど、今回はなかなかの大金だ。そのお金の受け渡しに、わたしは新宿駅近くの半地下の喫茶店を指定した。

 

 

喫茶店に先に着いたのはわたしだった。

その日は食事をとる暇がなく腹ペコだったので、わたしはコーヒーとホットドックを注文して待っていたら奴が来た。注文カウンターは混雑しているので、わたしはついでに奴の分の注文をした。奴はアイスコーヒーしか飲めないことをわたしは知っている。そしてそれが極度の猫舌だからということも。アイスコーヒーでいいよね?うん、と挨拶もそこそこに、二人前の注文をした。

 

 

受け取り口からホットコーヒーとホットドックとアイスコーヒーをトレイに置いて運び、事前にわたしがとっていた席に座ると奴は既にそこに待っていた。

お腹すいてるからわたし食事とりながらだけどすまんね、とムシャムシャとホットドッグを口に運んだ。

 

まわりくどいのは好きでは無いので「はい、これが例のもの」と封筒に入ったお金を渡した。

「本当にありがとうございます」と恐縮されている。

奴とは誰なのか、はここには書かないがわたしの人生の中で最も信頼を置ける人物の一人で、貸した分は必ず返済されるという保証はある。そして、このお金が何に使われるのかというと、要するに痔の手術代だ。

 

 

 

「わたし痔じゃないからわかんないんだけど、野原ひろしみたいな感じになるの?」

「ひろしは切れ痔だけど俺はいぼ痔だからそこのへんが違うんだよ」

「入院するの?ひろしみたいに」

「自分の場合は日帰りで済む」

「どうやって手術するの?メスを入れるの?」

「痔核に直接薬剤を注射するんだって。そしたらその痔核がやわらかくなってとれるんだよ。それで終わり」

「ひろしは違うの?」

「さっきから、ひろしばっかりだね」

「うん」

 

「煙草つけんぜ」と奴はタバコを出して火をつけた。

「手術はいつなの」と聞いたら、3月だった。もう予約はしているらしい。おしりに支障が出た時のため、次の日に有給もとったそうだ。なんとなくだけれど、その日はおそらく晴れだろう。そして、わたしはいつもどおり働いているだろう。そんな中、奴はおしりをお医者さんの前で出して手術をするのだと思うと感慨深かった。

 

春。うららかな陽気。おだやかな風。花のつぼみ。おしりの手術。

こいつはもう季語だな、と思った。春のイメージの中にぼんやりとおしりが浮かび上がる。そしてそれはいぼ痔らしい。

 

「わかった、わたしはその日フツーに仕事だけど、おいのりするね」

そう言ったら白い煙を吐きながら「おうよ」と言われた。特定の宗教を持たず、祈ることに慣れていないわたしは、両の掌を胸の前で合わせ、そのまま指を組み、おでこにつけて祈る。おしりよ。そこから先の言葉が思い浮かばないから、ひたすらに『おしりよ』と唱え続ける。おしりよ。おしりよ。どうか、どうか。

 

<清らかにボタンを留めるひとつまたひとつひとつを祈りのように>早坂類

雪の晴れ間を今流れゆく

祖父が急逝した。

一足先に向かった父以外の家族は、実家のある大阪へ各々現地集合した。

 

通夜、告別式は2日かけてスムーズに執り行われた。

 

初めて顔を合わせる親戚も数人居て、知らないおじいさんが、祖父との思い出話を勝手に語っていた。寛永年間の頃の板右衛門さんという腕の立つ宮大工がいた、明治の頃は長州でヤクザもんとドンパチやった、芸者の娘を身請けした、満州で商売を始めて儲けて本土へ戻ってきた。爺さんというのは歴史が好きな生き物であるという自説を補強させた。嘘か本当か今では分からないような、ファミリーの歴史。味わい深かった。

 

 

1日目。

東京はどんよりと雲の重たい日だった。西に行けば晴れるだろうと思って新幹線に乗っていたがそうでは無かった。日本列島中どんよりとした天気だったらしく、わたしが大阪に着く頃には、ちらほらと雪が降っていた。参列者は想像以上に少なく、身内に少し色がついた程度の人数だった。無宗教形式で行われたため、お坊さんとかは来なかった。その代わりに、親戚に般若心経を読めるおじいさんが居たらしく、その人が般若心経を読んだ。通夜振る舞いで余ったお寿司を、若いんだからという理由で食べさせられた。マンションに帰る途中の道で、歯ブラシとメイク落としを買いに、コンビニへ立ち寄った。

 

 

2日目。

ぐったりと目を覚ました。出かける前、母の黒ストッキングが破れていたから指摘した。父の会社の人に娘です、と挨拶をした。棺の中の祖父はなかなか良いスーツを着ていて男前だった。花を飾った。祖母は眠る祖父にずっと話しかけていた。お骨は意外としっかりしていた。式場の人が足腰の骨の残り方を褒めた。仕事のメールが入ったから、机の下にスマホを隠して返信をした。知らない親戚のおじさんがアロマオイルをくれた。

昨日と違って、雪こそ降らなかったが風の強い日だった。父と祖母に代わり、兄が遺影を、わたしが骨壺を入れた箱を持ってマンションまで帰った。

仏壇は無いので、植木鉢を飾る用のローテーブルに遺影やお線香や花を置いた。父と母は残り家や資産の片づけをするとのことだったので、明日から仕事のわたしと兄だけ夜の新幹線に乗って帰った。

 

 

 

新幹線で兄は爆睡していた。わたしも寝たかったけれど、ここで寝て家で寝られなくなることを恐れて、読みかけの小説の続きをめくった。

 

 

小学生の頃、家族みんなでテレビを見ていたら、ブラジャーのCMが流れた。まだ元気だった祖父がわたしに向かい「あつこがもっと大人になったら、おじいちゃんがブラジャー買ってやるからな」と笑った。わたしもワーイワーイと喜んだ。

数か月前に、そのことを思い出し、祖父に話すと、祖父は「おじいちゃんは約束を守る男や、ブラジャー買うたるからな」と力強く宣言をしていた。

 

ブラジャーまだ買ってもらって無いのに。

悲しいとか淋しいとか後悔とかの感情より先にそれが浮かんできた。

祖父の遺産は、わたしのところにも少しは入るだろう。そしたら、新宿の伊勢丹に行って一番いいブラジャーを店員さんに見繕ってもらおう、と思った。

ぴったりのサイズで、おちちの形を美しく見せる素晴らしいブラジャー。四十九日まで、まだ時間があるから、わたしは理想的なものを探さなければならない。おやすみなさい。

 

<生き急ぐわが姿にも似る雲が雪の晴れ間を今流れゆく>道浦母都子

約束の果たされぬ故につながれる

おまえの言うことはあてにならんと親戚中から注意を受けた。
知らない知ったしこっちゃ無い。そもそも、わたしは“あてになる奴”なんかになるのはまっぴら御免なのだから、親戚の皆さまには申し訳無いのだけれど、この手の注意叱責はちっとも効果が無い。
でもまさかこの年齢になって、親戚中から注意を受けるなんて、とへこみつつも、この年齢になっちゃったもんはしょうがないじゃん、ねえ、といつもわたしの味方をしてくれる人にぼやいた。

 

「あれ、ごめんあっちゃんていくつなんだっけ」
「数え年なら26で申年。てんびん座のO型は現実的なロマンチストで公平と調和を愛するの。生まれた年に毛利さんが宇宙へ行って、バルセロナでオリンピックがあったよ」
「分かりやすかった。ありがとう」

 

それだけ聞いて、若いねとも意外と年いってるんだねとも言わないこの人のことはかなり好きだなと思った。
わたしもわたしでこの人の確かな年齢を答えられる自信が無い。干支ならハッキリ答えられるのは、前に年賀状の話で盛り上がったから。誕生日にはお祝いするけれどローソクは適当に数本買ってなんとかなってきたし、多分今後もなんとかなる。

あてのならない人、というのが他人においてもわたしは好きなのだ。
街中を一緒に歩いていて、相手がいきなり倒れた時に、救急車の後は誰に連絡したら良いのか分からないような曖昧さ。
倒れた君の横で「ごめん、財布の中見させて頂きます」と片手で謝り、免許証や色々なカードを見てようやく住所の詳細や、ライフスタイルが分かるような、何も知り合ってない関係性。
知りたくないんじゃないけれど、それは今である必要は無いから、いつか気が向いたとき必要に迫られた時に話せばいい気がしている。


ちなみに、わたしは2016年のリオのパラリンピックの徒競走選手の義足にもの凄い感動をしたため、義足をつけることになったら、あのシルバーの超おしゃれな靴べらみたいな脚にしたいと考えている。だから、さっきの人に伝えた。

「もし二人でいる時に、わたしが事故に遭ったら、きっと一緒に救急車に乗るでしょう。でも、あなたはわたしの親の連絡先とか知らないから、とりあえず怪我人の身内としてお医者さんと話すじゃない。」
「その時にお医者さんに『あつこさんの命のために脚を切ってもいいですか』とか聞かれたら、悩むだろうけれど、二つ返事でOKしていいからね。でも、代わりにつける義足はあのシルバーのにしてくれ、って頼んでおいて欲しいの」

「分かった。任せろ」
快諾してくれたあてにならないこの人へ、ありったけの幸福を祈る。この気持ちは、あてにしてくれて構わない。

 

<約束の果たされぬ故につながれる君との距離をいつくしみをり>辻敦子

 

哀願と呪詛をいだきて

体育教師の「二人一組になれ」コールが怖かったという話を見ると、ああみんなそうだったんだと少しホッとする。わたしは今でもそれらの類のものが怖くてしかたない。

 

ビルのエレベーターの中で、わたしは4人の人と乗り合わせる。内訳、男性二人と女性二人。おじさんとお兄さんと、おばさんとおねえさん。それとわたし。

こういう時に「今ここで二人一組になれって言われたらわたしはどうしよう」と不安になる。

二人一組になる必要は、多分、デスゲームがこれから行われるからだ。エレベーターは突然止まり、真っ暗になる。「きゃあ!」と驚くと同時にチャイムの音がする。それから放送が流れる。
「エレベーターにご乗車の皆さんこんばんは、あなたがたにはこれから二人一組になって殺し合いを始めて頂きます。おやおや、どうやら5人乗っているようですね、ではあぶれた方には早速ですが死んでもらうことにしましょう」
ピエロの仮面をつけた男の影が、エレベーター内にぼうっと映り、そう言い放つ。我々に拒否権は無い。

二人一組にならなくちゃ。男の人はきっと男同士でペアを組もうとするだろう。だとしたらおばさんかおねえさん、どちらかとペアーを組まなきゃここでわたしは死んじゃう。どうしようどうしよう。
もちろんそんな放送は無くペアーを組む必要もないため、取越し苦労中の取越し苦労で済むのだけれど、本当に、いつも思う。そしてわたしは焦る。


会社でも、家でも、どこでもそういう考えが過るから、デスゲーム系のコミックやドラマが流行っているのはなんだか分かる気がする。

「殺人ピエロ」的な謎の力に向き合った時に絶望を感じるのは、ピエロから逃れるために必要なのは、運や知恵や力だけじゃないからだと、本能が感じているからだと思う。

ピエロが殺したいのは、運や知恵や力が無い非力で愚かな者では無い。彼の求めるものは、「殺されてもしょうがない人」だ。このデスゲームに勝ち残るには、普段の暮らしで“良いやつ”だったということが必要になってくる。良いやつだったなら、二人一組のペアー組に悩む必要も無いし、誰かに迷惑をかけた罪とかに心当たりが無いから余計な神経をすり減らさずに済む。でも、自分が「殺されてもしょうが無い人」じゃ無くて「良いやつ」であると、どうやって自信持って答えられよう。

 

体育の授業、ビルのエレベーター、飲み会、オフィス、満員電車。

今もどこかでデスゲーム・チャンスが生まれている。

わたしは良いやつでありたいし、さほど大きな悪事を働いたことは無いはずだ。とはいえ、とても怖いし不安だ。でも、ピエロが怖いからっていう理由で今後は心を入れ替えて生きるなんてのもまっぴら御免と思ってしまう。兎にも角にもピエロに怯えながら、出来るだけ過ちをおかさないように、生き続けるしか無いのだ。今のところは。

 

<星遠き深夜の窓に哀願と呪詛をいだきて歩みよりたり>広中淳子