ピロートーク

やがて性愛

君の都合で決まる本当

フェチという言葉をよく見聞きするがどうも苦手だ。自分が何に興奮するかを語るのは抵抗があるし、語られると、その人と部位によっては、謎のセックス感にあてられてしまいぐったりと来る。


「あなたが好きだ。」
「だからあなたの体の部位の一つ一つも愛しく思う。特に愛着を感じる部位もある。」
「でもそれは、その部位すらもあなたであるから愛しいのであって、部位だから好きという訳ではない。」
「わたしはあなたの魂そのものを愛しているのだ。」
こういうことなら言えるけれど、“魂”とか言うと、それだけでひかれることもあるので注意しなければならない。


ではわたしにフェチは一切ないのかというと、そうでもなくって、わたしは名前というものにクラクラしがちだ。
「優子」「健太」「誠一」「真由美」みたいなメッセージ性の強い名前も好きだし、「奈々子」「茜」「遼介」「蓮」みたいな名前の由来が分かりにくかったり響きを重視でつけられた名前も好きだ。名づけられた背景や、友達や恋人からの呼ばれ方を空想しては勝手に好きになる。


Twitterを見ていてくださる方は分かると思うけれど、うちにはニャンがいる。ニャンは便宜上ニャンと呼ばれ記載されているけれど本名は実は別にある。でもわたしの本名をここで述べないように、ニャンの本名はここには記さない。
ニャンは基本的におっとりとした良い子なんだけれど、この前久しぶりに粗相をした。わたしはベッドの上を汚されてしまったため怒りたかったのだけれど、こちらの都合だけでニャンを怒るのはそれは筋違いだ。だから、説得をした。


「ニャンよ、よく聞きなさい。お前の名前は本当は◎◎◎◎だね」
「◎◎◎◎という名前には、強く優しく立派なネコになって欲しいという願いをこめられているんだよ」
「おまえは粗相をしたね、粗相そのものは悪いことじゃない。誰にだって失敗はあるものだから」
「でもね、ニャンよ。おまえには◎◎◎◎という名に恥じない立派なニャンになってほしいのだよ」
「強く、優しく、大きく…。ネコでもヒトでも、生き物の価値や男らしさというのはそういうところからはかられるものだと思うよ」
「分かるかい、ニャンよ。◎◎◎◎よ」

 

最初は抱っこをしていたが暴れだしたので(わたしは猫抱っこが下手だ)、途中から寝転がるニャンの前にわたしが正座して説いている。なーんだか変だけれどまあいい。わたしは偉そうなことを言っているがこれらのほとんどは嘘なのだ。
◎◎◎◎という名前には実は意味は無い。わたしの兄が、某猫マンガに出てくる可愛い猫ちゃんのキャラクターからパクったのだ。要するにこの説得は名前にかこつけた方便だ。今回は説得力を重視したので、◎◎◎◎という名前を都合よく利用させてもらった。名前に重きをのせる考え方は好きだけれど、所詮名前なんか何文字かの組み合わせに過ぎない呼称に過ぎない、という考え方もわたしは支持している。名前なんてものは素晴らしいものだから、意味なんてくだらないものは自分の都合に合わせて使い分ければいいのだ。
なにはともあれニャン(◎◎◎◎)がもう粗相をしないことを祈るばかりだ。

 

<本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当>枡野浩一

 

書架でわたしは迷わない

横溝正史の金田一耕助シリーズが大好きなんです。

高校生の頃にはまったのですが、地元の本屋さんやブックオフではメジャーどころしか売られていなくて。
「犬神家の一族」「八つ墓村」「獄門島」「本陣殺人事件」「悪魔が来りて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」どうしてもそこらへんばかりになってしまう。今なら、都内の有名な古本屋街に行ったり、ネットで買ったり出来るけれど、当時は高校生だったし。本屋や古本屋でにネチネチと探すぐらいしか出来なかった。


でもある日、わたしの高校の図書室はなぜか金田一耕助シリーズが充実していることに気づいて。「白と黒」「仮面舞踏会」「夜歩く」「悪霊島」あたりも置かれていて、大体そろっていたんです。何故だか分からないけれど、本当に充実していた。
それで、いざ借りようと本についている貸出カードを確認すると、真っ白だったんですよね。
ていうことは、今借りようとしている「わたし」以外、この高校では誰もこの本を借りていないということ。横溝正史の小説は、図書館に来てパラパラと読んで立ち去るなんてことは不可能だから、イコール誰にも読まれていない新品の本。

 


ジブリ映画の「耳をすませば」って分かりますか?あれ、いいですよね。少女が図書館で借りた本のカードを見ると、いつも自分の前に同じ男子の名前があるんですよ。名前は「天沢聖司」。良い名前ですよね。詩的。
少女は、だんだんと見たことも無い「天沢聖司」が気になってくる。その後に実際にその男子と出会って、最初は反発するも仲良くなって、好意を寄せあうようになるんですよね。まあ、読書好きの少女にとってあれほどドリームなお話はありません。


もちろん当時のわたしも「よっしゃ!!やったるでえ!!!」と、横溝正史相手に誰かの天沢聖司になろうとやる気が湧いてきたんです。しかしね、半分も読んだところで気づいたんですが、わたしが通っていたの女子校なんですよね。どう考えたって運命の人に出会える訳がない。それに、わたしなら、横溝正史の小説ばかり読んでいる女子と運命的な出会いなんて絶対にしたくない。
でも気づいたときにはもう遅くって、貸出カードの名前は既に自分で埋まっているし、だいたい読み終えちゃったし。もうここまで読み終えたら、出会いとか関係無しに「読みたい」「読破するぞ」の方が強くなって来てた自分に救われたりしました。


何が言いたいかというと、わたしは探偵になりたいんです。
それでいて、難解で複雑な殺人事件なんかを華麗に解決したいんです。でも現時点ではそうはいかなくって、ニュースで複雑な殺人事件を見るたびに「ああああの場に居合わせられたら」、解決するたびに「先越された!」とハンカチを噛みしめているのです。てなわけで、難事件が起きましたら解決するのでぜひご連絡ください、ということです。


ついでに、金田一耕助シリーズなら「夜歩く」がマイベスト。鳥肌立ちました。おすすめです。

以上。

<夕暮れの書架でわたしは迷わない ひとさしゆびで本を引きぬく>中家菜津子

にんげんの世なのでこんなに

「お化けより本当に怖いのは人間」みたいな発言をよく聞くけれど、わたしとしてはお化けの方がマジで怖い。だって、人間相手ならたとえば地の果てまで逃げたり警察に相談したり監獄行覚悟で相手を殺すとかの対策が練られるけれど、お化けはそうはいかない。物理的社会的に逃げても、お化けは問答無用で追いかけてくる。お化けが超こわい。

でも、幸運なことにわたしには霊感がちっともない。電車で横に座ってきた人の足が無くても、顔の無い男に付け回されても、すりガラスの向こうに髪の長い女のシルエットがあっても多分気づかないだろう。そんな自分のことは結構好きだ。

 

 

 

怪談好きの仲良しの先輩がいる。しょっちゅう一緒に遊んでおり、展覧会に行ったりお茶したりお祭りや古本屋や寄席に行ったり、互いにおすすめの本や漫画を貸し合う仲だ。先輩はわたしのことを「あつこ」「あっちゃん」等ではなく「あつ子」と呼ぶ。

 

そして先輩はわたしにやたらと怪談の本を貸してくる。「僕が怖いと思ったやつに付箋つけておいたから。あつ子も照らし合わせてみ」と有無を言わせない。

わたしもわたしで借りた本を律儀に読んでは、どのストーリーが良かったかメモしては報告をする。その先輩は怪談を話すのも好きで、喋りもなかなか上手い。でもわたしは上記のとおり怖がりなため「超面白いけれど本気で怖いから最後は爆発オチにしてくれ」と事前に頼んでいる。先輩は快く了承し、爆発オチ怪談をしてくれる。怪談を聞くことそのものは、わたしも好きなのだ。

 

 

ポルターガイスト現象が起きるアパートがいきなり爆発したり、部屋に侵入してきた男が触ったであろうドアノブが爆発したり、百物語をしていた人たちの一人が話のラストでいきなり立ち上がって爆発したり。これまで様々な爆発オチ怪談を語ってもらった。どんな恐怖怪談でも爆発オチになると、その唐突さに笑えるので、わたしはなんとかここまでやれて来ている。とはいえ、オチる前の話はやはり怖く、いつも早く爆発してくれ…と祈りながらゾクゾクと話を聞いている。

 

先輩によって怪談の量をこなしているうちに、ある種のパターンを覚え、最近は謎の霊感が備わってきた。

夜、一人で帰ったりしていると「これは後ろ振り返ったら霊がいるパターン」エレベーターに乗ると「これは次の階のエレベーターホールに血まみれの女がこっちを睨んでくるパターン」と覚えたての怪談を自分の実生活に置き換えるようになってきてしまい、大変怖い。

 

「先輩のせいで逆説的霊感が備わっちゃって生活に支障きたすんですけどどうしてくれるつもりですか」とクレームをいれると「爆発オチにしたらいいじゃん」と言われた。仰るとおりだけれど、これじゃあわたしが爆発する可能性の方が高い。霊に襲われるのも嫌だけれどオチのたびに自分が爆発するのも勘弁してほしい。

 

「いいじゃん、霊感。備わったらさあ、話してよ。怪談聞きたいな」と先輩はのんきなことばかり言うので、いつか本物の霊感が備わって本気で怖い思いをしたら、登場人物を先輩に置き換えて爆発させてやろうと思う。

 

<にんげんの世なのでこんなに木がしろくたゆたゆたゆと揺れています>阿木津英

やくざ死す

会社で一人残業している時に、別の部署のカッコいい先輩が来る。
「頑張ってるね、大変?」と、自販機で買った飲み物を差し入れしながら聞いてくれたら、何て答えるのが正解か?

 


具体的でありきたりなシチュエーションを例に出して、なんかモテる友人に聞いてみた。

「はい、頑張ってます。でも、ちょっと悩んでいて…って目を伏せるの。そうしたら、今後その先輩が気にかけてくれてるようになるでしょう。それで相談したいことがある、って連絡先を交換するのよ。そしたら外で会えるようになるわよ」と。


わたしは駅前のチェーン店のコーヒーショップで絶望した。

「そんなの…ズルじゃん!!!!」と言うわたしに、彼女は「物の言い方って大切よ」と笑う。
わたしならきっと「ハイ!頑張ってます!しんどいですけれど、どうにかしなきゃっすね!何とか22時までには終わらせたいっす!!!」と答えてただろう。反応が体育会系。
「体育会系だって恋がしてえよ」とわたしは意味不明の涙を流すことになった。

 

そういうわたしも男の人とお付き合いをしたり好意を寄せられたことが何度かあるので、そういった反応が全てでは無いということは分かっている。でも、要するに、モテるタイプではないし、【そういうモテ方】をしたことが無い。

【そういうモテ方】をする人は、どこにでも一定数居る。そして彼女らの彼氏は、クラスメイトやバイト先の人やSNSを通じて会った人、とかでは無く「カード発行センターで担当してくれたお兄さん」や「学校の先生」や「公園で知り合ったバンドマン」みたいなことが多い。
わたしとしては「知りあうことは出来るとしても、どうして付き合うって流れになるの???」と疑問でしょうがなかった。で、ようやく出た答えの一つが上記の“弱みを見せる”らしい。

 


この前「その男、凶暴につき」を見たんです。北野武初監督作品の映画。タイトルどおりバイオレンスシーンが多いんですが、わたし、いたく感動してしまいました。
それでね、好きな彼に、たけしのこと。話すじゃないですか。

「この前、たけしの映画見たのよ。それで、たけしが凶暴な警官の役なのよ。それで、麻薬の売人の男を殴るシーンがあって。『おい、この野郎。バカヤロウ。ええ?ああ?こっのバカヤロウ。』って殴ったり蹴るの。相手がうずくまっても構わず乱暴するのよね。いやあ、いいわあ。映画って心や体の動くところを映し続けるのが基本なんだなあって思っちゃった」

手を拳にしてエアーパンチをしつつ、たけし風に首をクイって横に曲げ、映画を観たときの感動を相手に伝えるために、精一杯まねをした。

そしたらさあ「面白いし俺はめっちゃ好きだけれど、あっちゃんがモテない理由はそれだよね」と言われたんですわ。はあ~~~あ!これです!!!!これまでは自分の言葉づかいが体育会系だからだと思っていたのですが、たけしの物真似。正確に言うと、「たけしの物真似をする必要も無いのに自らしてしまう姿勢」が原因だったそうです。もうこりゃどうしたら良いのかますます分かんなくなってきた。バカヤロ!!!ていうか20歳も何年か過ぎて今更モテも糞もあるかってんだい。コノヤロ!!!こちとら江戸っ子でい!!!!ダンカンバカヤロー!!!

 

<やくざ死す故郷の空の青も見ず>西村恕葉

夢の産む言葉が道に

「ピアノは鍵盤楽器か?それとも打楽器か?」と誰かと議論する夢を昨晩見た。


「ピアノは打楽器だろう。鍵盤を打つことによってピアノ本体の中にある音が出る器官から音が出るんだ。これは打楽器だろう。」
「いや、鍵盤楽器だろう。確かに仕組みとしては「打つ」行為が音を出すために必要だけれどそれは鍵盤を媒介するじゃないか。「打つ」という行為から音が出るのは、極端な話どの楽器だって同じだろう。鍵盤を有している限り、ピアノは鍵盤楽器だ。」
「待ちたまえ、ピアノの中にある機関は弦だということを知らないのか。あの弦を打つことで音が鳴るのだとしたら、弦楽器とも言えよう。」

自分がどの意見の支持者だったのかは忘れてしまったが、目がさめたあと、何かを語った後の疲れが寝起きの自分の体に残っていた。
「マジかよ」「どれも説得力あるぞ」そうつぶやいた。
自分の中にこんなにたくさんのピアノに対する見解があるとは思わなかった。だって、ピアノが何楽器かだなんてこれまで考えたこと、ちっともない。


また、別の日の夢では、わたしは冒険者だった。
わたしは、“笑い”という抽象的な概念を探し求める旅をしていて、その途中で「緊張と緩和の森」に迷い込んでしまう。すると後ろからドロドロとしたビジュアルのモンスターが追いかけてきた。わたしは走って逃げる。緊張と緩和の森は薄暗く、背後にいるモンスターに捕まらないように逃げなければならない、というところで目が覚めた。起き上がり、せかせかと朝の身支度を整えながら考えた。
「マジかよ」「そうだよ、緊張と緩和だよ」


お笑い芸人や漫才師のネタを見ていると分かるけれど「笑い」が起きるときにはいくつかのパターンがある。ダチョウ倶楽部とダウンタウンはどちらも超面白いけれど、それぞれは笑いの起こりかたが違う。芸風云々の話ではない。
年末のガキつかスペシャル笑っていはいけない○○や、お葬式とかの厳粛な場で起きる小さなドジがとても笑えるように、「緊張と緩和」は笑いを産む。笑いとは何か?の唯一の答えと言い切ることは出来ないが、答えの一部分を確かに担っているだろう。

笑いについての哲学なんて持っていないし考えたことすらなかったのに、夢の中の自分は感覚的にその答えを分かっていた。ピアノだってそうだ。起きている時の「わたし」よりもずっとピアノについての考えを巡らせられている。

夢の中の自分の方が現実の「あつこ」より数段賢い可能性が出てきた。
このままだと「夢」のあつこの方が力を持ち始めて、「現実」のあつこを乗っ取ってしまうかもしれない。ありがちなストーリー。嫌だな、って思うかい?自分のままでいたい、って思うかい?

あつこよ、そして「誰か」よ。
「現世は夢。夜の夢こそまこと」って乱歩が言うてるよ。
自分がたった一人のかけがえのない存在だなんて、そんなのは思い上がりかも、しれないよ。

 

<夢の産む言葉が道に降りしきるわからないから歩いてゆくよ  加藤治郎

P.S.

ピアノは、鍵盤楽器でも打楽器でも絃楽器でもあるそうです。大正解!

 

季節外れの夏の香水

夏は週末ごとにどこからか火薬の匂いがするのがいい。どこかで燃えているものを感じると、夏という字に奥行きが出る。もし字に意味だけでなく奥行きを与えて3Dにすることが出来るなら、『夏』は匂いだね。他のどの季節よりも嗅覚を刺激する。

ドーン、という音がするけれどどこからするのが分からなかった。上をぐるりと見回してもそれらしいものは見えなかったけれど、よそのお家のベランダから指をさしながら何かを話し合う人たちが見えた。その人達の姿かたちは逆光だったけれど、あの人たちはきっと家族だろう。わたしもマンションのエレベーターを上がって振り返る。少し離れた遠い街に。ああ、これ。これ。花火。

 


好きな人に見せたいと思った瞬間、冷静なわたしの頭が「あの人はきっともっといい花火を見てるだろうよ」と言った。確かに有りうるね、と返事をした。脳内vs脳内でも聞き分けがよく気にしないふりの自分に腹が立つ。
花火なんか勝手に見やがれ。ちくしょう。夏なんていくら感傷的になったところであと30日もしたら秋になるんだ。何がサマーだ。ばかたれ。拳を振り下ろしたけれど、ガンッと手すりに手をぶつけただけで酷く痛かった。ちくしょう。ちくしょう。
そういえば一緒に花火を見たことがなかったことを今になって気づく。もしかしたらもう一生一緒に見られないのかもしれないけれどそれは、まあ。しょうがない。その時はわたしが贈ってやろうと思う。花火の一発二発ぐらい、打ち上げてやらあ。あなたのためなら。


火薬の匂いを嗅ぐたびに、夏が来るごとにわたしを思い出して、わたしを傷つけたことを後悔したらいい、と嫌な気持ちになっている。ドーン、という音。遠くの街で放たれる火のつぶつぶ。あれら一つ一つが、誰かの夏を燃やしているのだと思うと、孤独なんて言葉のちっぽけさが浮き彫りになる。手すりをぎゅっと掴んで、放して、自分の家へ入って行った。部屋からはもう花火の音は聞こえなかった。腹が立って、悲しくって悔しくってしょうがなくって、香水の瓶を振って頭からかぶった。

 

<ときどきは誰のものでもない夜の季節外れの夏の香水>田丸まひる

稚なきわれの論理さへ

父親が出張から帰ってきたと思えば機嫌が悪いらしい。仕事から帰ってきたわたしに母はそう耳打ちした。

「話しかけても無視するし、むすっとしているから空気が悪くなるし、そのくせリビングにずっといるのよ、嫌になっちゃう」とぶつくさ言う母に
「母さんや、人の心を動かすのは美しい言葉と優しい心。すなわち真の心、まごころ。愛を以て接すれば必ずや父さんにもその心が伝わり機嫌も良くなること間違い無しじゃよ。何もかも根本は、愛なのですよ…」
自分の右掌を母に向け、左手は自分の胸にあて、アルカイックスマイルを浮かべつつアドバイスをした。御仏の心。神の御導き。どちらにも通じるものはすなわち「愛」こそ全てということ。All you need is Love.

 

すると
「あんたは正しいことばっかり言って理屈っぽい。じゃあそのまごころとやらでお父さんの心でも癒やしてきなさいよ」と言われた。

「正しいことばかり言う」「理屈っぽい」はしょっちゅう言われる。母親だけでなく友人や歴代ボーイフレンドにも。傷つくんだよな、これが。
何が悪いんじゃい。間違ったこと言えと??こんちくしょう。
「人には親切に」「家族や友人を大切に」「自分の身は自分で守る」みたいな小学校のクラス目標みたいなことぐらい守ろうって思うじゃないの。それの何が悪いのか理屈で説き伏せなさいよ。

「一度きりの人生だ!どーんと好きなことやってみい!!」と、他人を応援したり背中を押すような強さを持ち合わせておらず、自分自身の人生でも失敗をしないよう出来るだけ堅実に確実に…という性質のわたくし。他人から見たら、“つまらない人生”と一蹴されるだろうと思う。要するに意地が無いんだよね。だから、せめて正しいことを言おうとする。そして、言葉や行動に納得したり理解したいので、言葉を尽くす。そうでもしないと、ちゃぶ台をひっくり返しかねない。「説得してくれ!」「言ってることが分からんのじゃ!!!」「貴様の言う“正さ”を俺に分けろ!!!」と怒る。


黙っていてもわかりあえる、なんてそんなのは傲慢だ。だから、たくさん話し合おう。わかり合えるよう努力をしよう。だから連絡ちょうだいよ、おしゃべりしよう。(私信)

 

ちなみに。機嫌悪い父には関わる自信がなかったので、わたしは「機嫌が悪いなんて気づいていない」フリをしながら父の過ごすリビングでPCをいじったり食事をとり、同じスペースで過ごした。もちろん、それで父の機嫌が良くなりなんかはしない。でも、うちのニャンがにゃあにゃあ鳴いて「扉開けてよ」と父に言ったとき、父は扉を開けてあげる優しさを残していたので、なんとなく、多分大丈夫。

 

<問ひつめて稚なきわれの論理さへかはさぬきみが少しく悔しく>今野寿美